顕正末端様へ | 純粋健気な顕正会員さんに向けて

純粋健気な顕正会員さんに向けて

元顕正会員総支隊長補。立正安国論、三世の生命、臨終の相に感激し、平成5年より約12年間活動。「一生成仏」「広宣流布」「国立戒壇建立」を目指し活動に没頭。偽本尊を始めとする教義逸脱を知るに至り10年間な空白を経て2015年日蓮正宗へ。大石寺塔中「百貫坊」所属。世話人

顕正末端様へ

顕正会の同志 幹部についての経験談近いうち掲載いたします。わたくしも思い当たる節が、ありましまし、周りもほんとそんな人が多かったようにおもいます。





先日コメント欄で掲載した

下記、血脈についての浅井会長の変節の経緯です。

我々は仏じゃないので、正しいとか間違ってるとか、そもそも論じれる立場でないし、仏と同じ知恵がなかったらわかることなんて、到底不可能。

日蓮大聖人様の仏法をなぜ信じれると思ったのか、道理、文証、そして鎌倉幕府がひれ伏すなどの大現証をお残しくださったからに他ならないと思います。

毎回幹部やまわりの同志から、浅井先生こそ唯一の正しい師匠などと聞かされ、我々も無知故かつ、仏法が正しいが故に、浅井氏の言うこともすべて正しいような、正しいに違いないと思いはじめ、気がつくと 懸命に広宣流布を見つめ、日々活動する毎日を約12年過ごしました。

一信徒、しかもご相伝も知らない凡夫の身でありながら、ご法主上人のみ知り得る血脈について語り、しかも時代により変節する変節の経緯よくよくご覧ください。




顕正会・浅井昭衛氏の邪難発言
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▼「かくて日道上人・日行上人・日時上人・日阿上人・日影上人・日有上人と、
『本門戒壇の大御本尊』を付嘱の法体として代を重ねること67代、(※日顕上人)
清浄の法水はいささかも断絶することなく今日に至っている。
これが正系門家・富士大石寺の伝統である」

(『冨士』 表紙   昭和61年11月号 )


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▼「ここで、正信会が問題にした阿部管長の相承疑義について触れておく。
(中略)
非常事態が万一あったとしても、
血脈が断絶するようなことは断じてあり得ない。
御本仏の下種仏法は金剛不壊である。
法体たる戒壇の大御本尊は厳然としてましまし、金口の相承また厳然である。
(中略)
どうして途中で中断するような方法をお用いあそばすであろうか。
甚深の御仏智に深く信を取らなければならぬ。
いかなる事態があろうとも、本宗の血脈はまた不断である。
ちなみに現在、正信会に席を置いているか否かは知らぬが、
久保川法章の戒壇の大御本尊と血脈についての所論のごときは、
いまだ初学の慢心者が、学会憎しのあまりに血迷って吐いた大謗法の邪説に過ぎない。」

(『学会・宗門抗争の根本原因』 浅井昭衛著  表紙 ① ②)


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▼「阿部管長憎しのあまり、そして池田大作を偉く見せるために、
ついに下種仏法の命脈たる金口の相承までも学会は完全否定してしまったのであります。
(中略)
これを仏法破壊といわずして、何を仏法破壊とというのか。
これを大謗法といわずして、何がいったい大謗法でありましょうか。」

(『顕正新聞』平成4年6月5日号)


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▼ 今池田大作は、大石寺を怨嫉する要法寺の謗法貫主と同じ論法で、この「唯授一人の血脈相承」を否定しているんだ。
まさに仏法の命脈を断たんとする魔の所行といわねばならない。


▼ 阿部日顕管長の権威を徹底して失くしたいんだね。
だから学会は、日蓮正宗の血脈そのものを否定するだけでなく、その上に阿部管長については、「日達上人から相承を承けていない」「贋(にせ)法主」「詐称法主」などと、最近ではしきりに匂わせている。
「日蓮正宗には本来血脈相承などない」と云っておきながら、「日顕は日達上人から相承を受けてない」というのも矛盾した話だがね(大笑)


▼ 血脈は絶対に断絶しない。
たとえ御相承の儀式があろうと、なかろうと、絶対に断絶はしないのです。


▼ 断絶してたまるかい。
長い歴史の間にはいろいろなこともある。
しかしどのような事態が起きようとも、断絶しないようになっているんだよ。
大聖人様の御仏智によって。


▼「戒壇の大御本尊は一日として付嘱の人の空白ということがない。
またこの付嘱に付随して『金口の血脈』もなくなることはない。
(中略)
何代、代を重ねようとも、また面授の儀式があろうとなかろうと、断絶もせず、色も替わらず、伝えるように出来ているんだ。
これが御本仏の御仏智なのです。
だから御相承の儀式のあるなしは、本質的には全く問題ない。
断絶などはあり得ないのです。」

(『顕正新聞』平成5年1月5日号)


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大矛盾!

▼ 「細井管長は昭和54年7月22日、入院していたフジヤマ病院で、
臨終思うようにならず急死を遂げた。
貫首の立場にある人が、誰もそばにいないとき、一人で急死してしまった。
よって御相承をすることができなかったのであります。
まさしく御遺命に背いたゆえに、細井管長は御相承を『授ける』ことができず、
阿部管長また御遺命違背の科によって『受ける』ことができなかった。
『授』なく『受』なしであります。(中略)
 もし大聖人の御心に叶う正しい貫首上人が御出現になれば、
そのとき、たちまちに正系門家の血脈は蘇る。
そういうことになっているのです。」
(顕正新聞 平成11年4月25日号)



これを語った総幹部会の現場に居合わせましたが、当時バリバリの総支隊長補の私でしたが、

そんなこと どうしてわかるんだ

と、ものすごい違和感を覚えたのを覚えています。



いまや、偽本尊まで作成するようになった浅井氏 無二の師匠どこか 大増上慢に他なりません。

いま、大石寺へ向かっています。

本門戒壇の大御本尊様の御前で、罪障消滅を祈念してまいります。



組織に対して、不審を抱くお気持ち よくよくわかります。わたくしもそうでした、

いま所属の、塔中 百貫坊 ものすごく温かい人たちばかりです。元顕正会の方も、壮年部長、blogにも書かせていただいた斎藤元隊長をはじめたくさんの方が所属しており、浅井氏の側近中の側近のお立場で見てきたその実態を証言できる方たくさんいらっしゃいます。

もし、お話を聞きたいなどありましたら、どうかお気持ちを楽に、お声かけいただけたらと思っております。