斎藤浩記さん体験発表 201509月 | 元顕正会総支隊長補きんぱちのブログ

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元顕正会員総支隊長補。立正安国論、三世の生命、臨終の相に感激し、平成5年より約12年間活動。「一生成仏」「広宣流布」「国立戒壇建立」を目指し活動に没頭。偽本尊を始めとする教義逸脱を知るに至り10年間な空白を経て2015年日蓮正宗へ。大石寺塔中「百貫坊」所属。世話人

平成27年9月支部総会での斎藤浩記さんの体験発表です。ご本人に了承いただき掲載させていただきます。前回のと合わせてぜひご覧ねがいます。

体験発表

おはようございます。北海道から参加いたしました斎藤浩起です。宜しくお願いします。
私は、平成19年11月に家族そろって顕正会を脱会。晴れて、御授戒を頂きました。

平成4年4月、大学一年生の時に邪教顕正会に入ってしまい、大学時代、研修医時代、専門医時代、そして経営者時代と、脱会までの15年間、顕正会活動に人生のすべてをかけておりました。そのため、生活は顕正会一色となり当然ながら邪教の害毒は顕著なもので、医学生として医師として学ぶ機会を逸し、また、人に対する義理、人情、恩義等といった、人として本来のあり方を見失い、気が付けば他人から後ろ指を指され続ける人生に陥っておりました。

しかしながら法華講員となってからは、これが少しずつ少しずつ変わり、今では大きな変化が見られただけでなく、かつての後ろ指をさされた姿が、かえって目立つ存在となり、
毒変じて薬となすとの、ご本尊様のお力を感じております。

まず人間関係が変わりました。先日も母校である、東京医科大学の同窓会に参加した際、同級生から『あの時は変だった』『顔つきが変わった』と言われました。
また、大学時代の恩師からは、『大学100年の歴史上最悪の学生が、北海道の僻地で医療を展開して社会の役に立っているとは、何とも痛快だ』と評され、将来の展望を語る私の姿を見ては、東京医大のDNAを感じ嬉しく頼もしく思うとか、東京医大の同窓会を宜しく頼むとか、学生時代とは全く正反対の言葉をかけられるようになりました。

そもそも私の母校東京医科大学は、元来ハイカラの反対であるバンカラといわれる校風があり、創立の時も学生が総退学をして血判状を作ってきた歴史があります。
教授や学長、同窓会長、理事長、といった幹部世代はとくにその雰囲気が強く、私のようなものの行動が、より一層面白くうつるのかもしれません。いづれにしても、私の顕正会時代のとんでもなかった姿が、今ではその反対となっています。

また顕正会時代には、つながる人脈という人脈が多くは私をだましたり、陥れたりという性質のものであったり、あまり意味のなさないものだったりと、果ては泥沼の裁判にいくつもつながるほど、ひどいものでした。裁判の事件数だけで七つ経験しました。
まるで花咲か爺さんの、意地悪な爺さんが、ポチに穴を掘らせると、出てくるのはガラクタや毒虫などおぞましいものばかりといった具合でした。それが現在はどうかと申しますと、花咲か爺さんがポチに穴を掘らせると、大判小判がザックザクという具合に、人脈が輝く未来につながっているのです。

しかも泥沼の裁判はすべて解決し、その中で培った経験や人脈が、四方八方にひろがり、弁護士や税理士において、あるいはそのほかのご意見番もいずれも全国レベルの実績を有する方々に囲まれ、周囲からはその不思議な人脈を驚かれるばかりであり、御住職にご報告したところ、『縁が縁を呼ぶのだ』とご指導を賜りました。

私は現在、病院、診療所、障害者福祉施設、老人ホーム等の経営トップとして仕事をしています。常に仏法を基とした医療、さらに仏国土実現を意識していますが、現在の重要コンセプトは、自給自足と医食同源です。加えて永続性を有する事業として、国のモデルを作ることです。その具体的は姿としては、国の財源を当てにせず、すなわちどのような社会の変動にも対応しうる財政基盤を築きたいと考えています。不透明な今後の日本の、医療、福祉、介護、保険、教育等の業界において、公費を当てにせずとも完結できる仕組みを作り、そのことを発信することで、世直しのお役に立ちたいと念願しています。
その実現のためには、すぐれた人材が必ず必要になるのですが、その人材が集っては、形がひとつひとつ出来上がり、外に発信できるようになってきました。

米を自給したいと考えていたところ、東京の大手人材派遣会社の公舎で、米の水耕栽培を実現した責任者が巡り巡ってどういうわけか当院に勤務してきました。病院の看護婦に中心となる男性幹部が欲しいと考えていたら、男性の経験豊かな看護部長が名古屋から着任してきました。あるいは、福祉に関わる事業展開が必要と考えていたら、社会福祉法人の理事長を頼まれました。また、北海道全体の医療を担う力のある組織を展望していたところ、現在私が抱える組織の数倍大きな会社組織の後継者を依頼されました。さらに提供する医療には、優れた医師や専門職が必要と悩んでいたところ、それぞれの専門分野において優れた医師やスタッフが全国から集い、薬科大の教授が協力体制を敷いてくれた り、母校の東京医科大学からも、教授はじめ大先輩が、次々と協力してくれることになりました。

私の経営する病院は、以前地元では有名な、問題ブラック病院でしたが、抱えていた裁判が円満に終わったことを第一歩として新病院建築以後、少しずつであった変化が多方面に大きな影響を及ぼし、今では従業員は倍以上になり、地域の雇用も支える基幹産業になって、革命的な発展を遂げております。
そのほか病院として農園科という名称の部署はめずらしいと思いますが、この農園科ではぶどうを栽培し、オリジナルワインも作らせています。また病院で用いる野菜は、自給にどんどん近づき、今年はとうとうコーヒー豆が実り、米にも穂が付き、農業新聞に記事が記載されたことで、今月末には、南アフリカ共和国大使館の方が見学に来ることになりました。

このように法華講員になってからの出来事の一部を振り返るだけで、なんとドラマティックなのかと感嘆せずにはおれず、あまりの展開の面白さと躍動感は一体どうなってしまっているのかと、自分で語るのもなんですが、ありえない展開です。そして何よりもあり難いことは、それを間近でみている組織の幹部が、ご本尊様への信心を芽生えさせていることです。私自身、常に私の周りの人が一日でも早く御授戒を頂けるように、毎日祈っておりますが、少しづつ叶っていることを肌身に感じます。地元の眼下に通院していたものの、視力がどんどん低下してしまっていた看護の婦長においては、御授戒を頂いた後に、私が紹介した世界的な眼科医から手術を受け、失明の危機を乗り越えて業務に臨むこ とができるようになりました。あるいは医療の幹部においては、私の妻が社長を務める老人ホームの建設工事の起工式において、御住職御導師のもとで初めてお題目を唱え、その直後におこった体調の変化から精密検査を行ったところ、未破裂の脳動脈瘤が発見され、入院前日に御授戒を頂きました。そしてその後の手術においては、これまた世界的な意思が執刀することになった上に、手術の時期も当初より一か月早まり、12時間に及ぶ大手術も成功し、あと一か月遅かったら破裂したかもしれないという不思議な体験をしました。
さらに本日も、『不思議なのよね。理事長の言ったことは現実になるのよね』と語っていた当院の理事が、御授戒を頂いていないながら、名古屋から参加しております。

このように邪教顕正会の害毒で、何から何まで空回りの地獄界だった生活が180度様変わりし、何から何までご本尊様のご加護を賜っている日々と変貌を遂げさせて頂いたことを振り返るにつけ、いまさらながら本当に顕正会を辞めてよかったと痛感し、法華講員たり得た喜びは筆舌に尽くせません。
まだまだご命題達成へ向けてのご奉公としては足りませんが、今後も百貫坊の信徒として御法主上人猊下様のご指南のまま、御住職の指差されるままに精進を重ね、近くはご命題達成、遠くは広宣流布・仏国土実現のお役に立たせて頂くべく、臨終の夕べまで実証体験を以って前進してまいる決意であります。以上です。ありがとうございました。