2011年 3月11日午後2時46分 | 武田幸三オフィシャルブログ「ローキック魂」Powered by Ameba

2011年 3月11日午後2時46分

皆さま、こんにちは。
武田幸三 ローキック魂 
セコンド 深津飛成です。

6年前の今日、東日本を未曾有の天災が襲いました。

テレビから流れて来る映像は、全てが目を覆う物でした。
これはCGでは無いのか?と思える現実の映像に言葉を失いました。

その映像を見た武田は、
数日後に救援物資を持って気仙沼にボランティアに行きました。

そこには、テレビから流れて来た映像
そのままの世界が上下も左右も無く、世界の360度が
壊滅状態と言える状況でした。

そこで、街の瓦礫撤去や炊き出しをさせて頂き、、
武田をテレビや雑誌を通じて応援下さって居た被災者となってしまった方々に、精一杯のエールを、共に戦おう。と寄り添う気持ちと行動を届けて参りました。

被災地から戻った武田さんと話した時

『現地に行くと被災地に向かって『頑張れ!』なんて言えなかった…
だから、俺が頑張るよ。
なにが出来るか分からないけど、武田幸三として
頂いた声援に対して、俺は自分の想いを懸命に返したい。今は俺が頑張る番だ。
それが復興に繋がる信じて頑張る。』

そう言って数分
僕らは言葉を交わす事が出来ませんでした。

チャリティー興行では皆さんの義援の心を預かり、
名取市の災害遺児孤児の子供達への学業支援金として
皆さまより預かった想いを市長に直接お渡して参りました。

それは6年経った今でも変わらず
自分が生きた時代を強烈に変貌させた天災を忘れる事なく、色褪せさせる事なく、語り継ぎ、想いを継いで行く責任が僕らにはあると、再認識し、その責任を全うすべく努力を続けて行こうと思う一日でした。

〜武田幸三より〜

2011年 3月11日午後2時46分
東北を震源とする巨大な地震が日本を襲いました。
常識なんて通用させず、一切の容赦もしない恐ろしい天災に言葉がありませんでした。

今の自分になにが出来るか。それだけを考え動きました。
どれどけ出来たかは分かりません。
間違い無く東北にも居る声援を送ってくれた方々に
自分に出来る事があると信じて懸命に届けて参りました。

当時は自己満足だとか、偽善だ偽援だとか、様々な言葉が耳に届きましたが、全く気になりませんでした。

声援を受けた自分が出来る事を探し届けて参りました。

そこでは逆に力を、声援を頂き
自分の人生を徹底的に頑張り抜く力を頂きました。

6年が経ちましたが、
まだまだ復興は出来てません。
今日を思い出すのでは無く
これからも共に寄り添い生きて行くと言う生き方を
精一杯送れるよう、更に自分の人生を懸命に生きて参ります。

平成23年 3月11日午後2時46分   合掌

武田幸三