セコンド 報告書 | 武田幸三オフィシャルブログ「ローキック魂」Powered by Ameba

セコンド 報告書

武田幸三ローキック魂をご覧の皆様こんにちは。
セコンドの深津飛成です。

先日、昨年より募っておりました義援金を持って
宮城県名取市へ行って参りました。

去年の震災以降、僕のブログで続けておりました
【山口さん通信】を、10月2日の引退式の日から
売上金の全てを義援金にさせて頂く形で販売を始め
1年が経過した3月に、名取市に届け、ささやかながら
【1年間、お疲れ様でした会】を開きたくて、15日に行って参りました。

その告知をしてからすぐに、武田さんが発起人となって集めて居る
義援金の中から10万円を預かり、合計で¥320.776を
名取市の教育委員会が執り行っている
被災遺児・孤児学業支援の【東日本大震災みやぎこども育英募金】
に協力させて頂く為に行って参りました。

この基金は、震災で保護者が死亡又は行方不明となった児童生徒等に対し,
安定した学びの機会と希望する進路選択を実現できるよう,
その就学を支援する事を目的として存在するので
ここに皆様からの思いを託すことにしました。


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名取市は3,11の地震による津波で甚大は被害を受け
1年が経過した今でも、人が生活出来るような環境が
全く整っておりません。

地震被害のエリアは、普通の生活が送れるようになって居りますが
津波の被害が大きかったエリアでは、まだまだ
3,11の災害の巨大さを思い知らされる壮絶な世界が
360度パノラマで広がって居ります。

甚大な津波被害にあったエリアに入る橋

それを一本越えると、右手に大きな漁船がありました。

そこは停船が許されている場所ではなく
一般の人たちが散歩をする為の遊歩道です。

それはまるで、あの日から時が止まったままの世界へのゲートの様に
僕らを見ているようでした。


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橋を越えてからの町は砂埃に包まれ、まだ在る家々の殆どが
生活できる状態に無く、1階部分は大きく壊され
建物の窓ガラスが割れたまま。

360度そんな世界に包まれると
津波被害に遭った町を再現した所に居るような感覚に囚われます。

凄く失礼な話ですね。

本当の世界なのに。
まだ皆さんが懸命に戦っている現実世界なのに。
東京から一年振りに行った僕には

震災津波を忘れない。

その為の町 
にされているのかと思ってしまう程
あの日のままでした。


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仙台は高層ビルが並び、有名ブランドを取り扱う店には人が沢山居て
誰の顔にも震災直後の極度の緊張と疲労は感じられなかった。

やっぱり確実に1年は経過されている。

でも、僕が訪れた沿岸部には
ガレキに山が出来ていて、町中が砂埃に包まれて
ガラスは割れている物で、人が生活していた場所はサラ地になっているか、
全壊の家屋が点在していた。

ここも1年が経過している。

その経過を強く感じるのが人の少なさだ。


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ボランティアに沸いた2011年3月
沿岸部にはボランティアが溢れた。
義援金も多く集まり、叩きのめされた東北を日本中が守ろうとした。

その後、原子力発電所が震源地となり、
全てはそこに注目された。

まだ沿岸部にはガレキの山と、
取り壊す事すら出来てない家が沢山あり、

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家族を失い仮設住宅での暮らしをしている人が
大勢居るのに、震源地は福島に変わり、気付くと僕らは放射能被害者になって居た。

確かに怖いことだと思う。

でも、10年後20年後の発ガン率とか、
甲状腺にとか、これだけ騒がれても
実際のところはよく理解出来てない。

放射能は心配すれど飲酒・喫煙・自動車事故などの生活の中にある大きなリスクは
見て見ぬ振り。

それでも良い。

良く分からない怖さも理解できる。

でも、3,11ってどこで起きましたっけ?

津波が街を飲む映像が世界に流れたのって
何十年も前の話でしたっけ?

あれって、去年ですよね?

海が街を襲い、全てを飲み込みましたよね。

あれって去年なんです。

まだ何も変わってないんです。

被災地を復興地と呼ぶって聞きましたが
オイオイ、綺麗事言うんじゃねぇよ。
復興なんて出来る状況じゃねぇだろ。

あの土地が復興に向かうのは
まだまだ先の話だろ。

被災地は被災地のままです。

街を濡らした涙も乾いてないし、
日本に響いた悲鳴も消えてません。

視界に入らないから乾いたんじゃない。
耳に届かないから止んだんじゃない。

僕らは今一度、3,11を思い出さなきゃ駄目だ。

そんな事、言っちゃう事自体が恥ずかしい事なんだ。

恥を忍んでもう一度言います。

僕らは3,11を思い出さなきゃ駄目。

youtubeに溢れる関連動画を見てご覧よ。

そして、温かい格好して、そんなに不自由なく
暮らしてる自分と映像をよく見てみるべきだ。

あの津波

逃げ惑う人間

押し流される子供

手を離した母親の悲鳴

耳をつんざく悲鳴と怒号

その全てを飲み込んだ津波と言う姿の海

それまでは沿岸部の産業を支え、大きな恩恵をもたらしてくれた海

それが突如として姿を変えた。

海だって襲いたかったわけじゃない。
海だって飲み込みたかったわけじゃない。

仲良く暮らした全てを壊してしまった事を
酷く悲しんで居ると思う。

3,11は被害者しか作れなかった悲しい歴史

そこから学ぶことは
経験した僕らの責務。

そして、学ぶために
もう一度立ち直らせる事こそ
僕らの責務。

僕はあの場に立って思った。

復興。そんな物まだ何も始まっちゃ居ない。
日本人として、もっと心に刻むべきだ。

あの土地に刻み込まれた涙を乾かし、悲鳴を消すのは
僕ら支援者の力しかない。

もう一度、よく考えるべきだ。

3,11

あれから1年経って、被災者は?
その被災地は?

そう。
僕らじゃない。

僕らは共に笑い合えるまで支援者なんだ。

この歩みを止めてはならない。
僕らが放射能被害者として意識が変わった時
僕らは津波で壊滅させられたあの地を
見捨てたことになる。

僕はそう思う。

一度、あの地に立て。

そこに聞こえる声を聞き
心に刻め。

そして、今を生きる人間として
大切な事に気付かせてもらうといい。

僕は放射能なんか怖くない。
そっちの問題は頭のいい学者や、大臣に任せるしかない。

僕は津波地区の復興があそこまで遅れている事の方が
何十倍も怖く感じる。

義援をブームしちゃ駄目だ。

復興への戦いはまだ始まっても居ないんだ。

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