皆さんこんにちは。

本日は、「失う事の怖さから離れるために」というテーマで書き留めたいと思います。

 

私事ですが、本日はある大学院の入学試験を受けてきました。社会人向けの大学院ですので、広い受験会場の中には私と同様な年齢の方々が多かったのですが、ほとんどの方が試験開始のアナウンスがあるまで、参考書や自分の取りまとめたノートを一生懸命見ていました。

 

私はこの光景を見て、ある意味とても嬉しくなりました。

社会人というと、「売ってなんぼ、儲けてなんぼ。その図式から離れるような学びなんて意味がない。」という人間がほとんどだと思っていました。私の身近な世界も同様です。でもそれが大人の証であると、あえて定義することが必要で、その枠の中に生きようと私も一生懸命努力してきました。

でも、人間の社会はすべてが実用的な世界だけで出来上がっているわけではありません。仕事の業績は目に見える数字であるかもしれませんが、その過程は色々な思いや意思が錯綜していて、そういう目に見えない世界にこそ、本来は目を向けないと大切なものを見失ってしまうのではないか・・・いつしか私はそのように感じ始めました。

 

受験勉強自体が目に見えない世界を炙り出すわけでは無いですが、自分自身の実践ではなく、一般理論や先輩方の知恵を通じて学べることも私は多いと思っています。すなわち、今までの実践で得てきたスキーマが、今後も同様に企業内や社会に通じるのか・・・そういう賢明な恐れを持つことが大切で、机上であっても理論や先達の知恵を学ぶことで自分の凝り固まったスキーマを柔軟にしていくことがとても大事なことなのではと思うのです。

 

 

私が受験した大学院の教育方針も同様で、HPには「複合的な視点から人間を捉え,柔軟かつ適切な援助・支援を研究・設計して社会的ニーズに対応できる高度専門職業人を養成する。」と記載されており、実践を通して得た経験を、少し立ち止まって幅広い学問のフィルターを通して見直すことにより、更に広い視野で現実対応ができるようなトランジションの起点になることを謳っています。

 

菊澤研宗さんの『組織の不条理』という書籍の中に、第二次世界大戦の日本軍の失敗の変遷が書かれていますが、敗戦に至る決定的なことの一つに、日本軍が過去の事象を大所高所から見直し、自分たちが大切にしてコストをかけて作り上げてきた手法が将来に対しても有用なのかどうか、学ぶ謙虚さを持っていなかったことが記載されています。もっと言えば、学ぶことを無視していたというよりも、正しいことを得ていくために、構成員が思いを言い合える組織であったかどうか、人間としての学びがどれくらい許容されていたかどうか、その点が問われるところだったのではないかと思うのです。

 

現代においても、組織メンバーとしては、権威あるものに異論を述べることは大変勇気のあることですし、ある意味では失うことを覚悟しなければならないこともあるでしょう。でもその恐れを常に抱えたままであるなら、何のために自分は与えられたのかと、それすら疑問に陥ってしまうでしょう。

 

真実を知り、自分が与えられた意味を全うするよう生きるために、常に学び続けることが大切だと改めて思いました。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。

2024.8.24 #353

 

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