皆さんこんにちは。

本日は、「生の可能性」というテーマで書き留めたいと思います。

 

友人の薦めで、『しあわせの哲学』(西研著)という本を読みました。

その中に「生の可能性」という言葉が出てきます

 

デンマークの哲学者であったキルケゴールは、自著に以下のように記しています。

 

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気絶した人があると、水だ、オードコロンだ、ホフマン滴剤だ、と叫ばれる。しかし、絶望しかけた人があったら、可能性を持ってこい、可能性を持ってこい、可能性のみが唯一の救いだ、と叫ぶことが必要なのだ。

可能性を与えれば、絶望者は、息を吹き返し、彼は生き返るのである。なぜかというに、可能性なくしては、人間はいわば呼吸することができないからである。(「死に至る病」より)

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私たちは、大なり小なり、「自分はこれからこうしたいし、このようにできるはず」、という可能性をもって生きています。でもその可能性は、人生の色々な出来事によって開花する場合もあれば、違う可能性を求めるような変更を余儀なくされる場合もあるでしょう。

また、「したいこと」はすべて「出来ること」と一緒にはなりません。したいけれどもできない、というジレンマに陥ることも多くあります。

ですから、可能性を追い求めると言っても、そんな簡単な道のりではないことも私たちは体験してきていますが、それでもキルケゴールの言う通り、将来に対する可能性を感じなければ、その人らしい人生を歩めないというのも真実なのではないでしょうか。

 

人間とチンパンジーの遺伝子はほとんど一緒で、違いはわずか1.2%程度だと言われています。古い脳に司られている情緒面でも、チンパンジーは人間と同様にうれしさや悲しさを感じるそうです。でも人間とチンパンジーとの決定的な差は、人間は「言語」を持っていることであり、その言語によって、過去に生きる自分、現在を生きる自分、そして将来を生きる自分を描くことができるのだそうです。

逆にチンパンジーは、今を生きていて将来のことを考えない。考えないから、「可能性」があろうとなかろうと悲嘆もしなければ幸せの予感も感じないのです。

 

人間は、「生の可能性」を信じ、過去から現在を通して未来の自分を現す「物語」を作ります。その物語を自分色で染めて、可能性の花を楽しみながら咲かせていくことができます。そういう自分らしい物語をこれからも作っていきたいと思います。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。

2024.8.17 #352

 

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