皆さんこんにちは。

本日は、「『罰ゲーム化する管理職』を読んで」というテーマで書き留めたいと思います。

 

管理職と聞いて、皆さんはどのようなイメージを持たれるでしょうか。私が新卒で入社したころは、「管理職」というのは誰でもあこがれて目指す役割であり、「かっこいいもの」というイメージがありました。つまり競争に勝って管理職になるということはステイタスであったわけです。でも標記書籍では、「管理職は罰ゲームになっているのでは」といわれるほどネガティブなイメージがあることを示唆しています。

 

 

同書では管理職が負荷に感じている要素として、まず「人の多様性」を上げています。昔は男性正社員を核として職場の同質性が高かったものが、現在ではジェンダーだけでなく、国籍の違いや世代間格差、限定勤務者など様々な立場や考え方の人が職場に集っているので、それぞれ個々に関心を向けていかなければならなくなってきています。また、「働き方改革」が管理職の負荷を「上げる」方向に進んでいるとも指摘しています。働き方改革は、改革の対象を職場全体ではなく、労働時間管理の対象である「メンバー層」としてしまったために、時間管理の対象となっていない管理職にしわ寄せがきて、名目ではなく実質のタイパは、平管理職と非管理職では逆転現象すら起きているともいわれています。さらに世代格差でいえば、先輩たちの昭和的ブラックな働き方と、権利主張型の後輩との板挟みになって対応に迷うし、各種ハラスメントの行き過ぎた論議によって、まっとうな指導すら躊躇せざるを得ないようなことも現実の一コマになっていると指摘しています。そして、そういう苦悩している管理職を目の当たりにすると、そこまでして責任を負いたくないと考え、管理職になりたくない若者を生んでしまい、益々後継者不足に拍車がかかってしまっているようです。

 

大変になっている管理職を支援しようと、さらに管理職を筋肉質とするために研修を増やしたりする企業も多いのかもしれませんが、これも考え方によっては逆効果で、管理職の負担を増やしてしまうことにもなりかねません。

上記のようなパラドクス的な状況にある管理職ですが、成果を出す責任を負うとともにまとめ役、部下への支援役、部所間の調整役としての管理者を誰かは担わなければならず、今後は各社で対応を考えなければならないのだと思います。

 

この状況を改善していく上で私が考えるに、まずは処遇の変更が必要なのではないか、と思っています。それだけの責任を背負うわけですから、全員を候補者とするのではなく希望者は基本的には手上げ方式として、処遇も差別化していくことが必要なのではないでしょうか。現在は、必ずしも管理職的な生き方がすべての正解にはなりません。全員にそういう生き方を求める前提にすること自体を改めていくことが必要なのだと思います。それに加え、非管理者にもリーダーシップを発揮してもらえるような促しをしていくことではないかと思います。マネジメントは管理者の役割なのですが、リーダーシップは管理者だけが発揮するものではありません。誰でも発揮できるものだし、チームの中で良いリーダーシップを発揮しあうことで組織の課題をみんなで背負い解決していくような体制・文化を作り、管理職の負担軽減と本来の役割遂行をうながしていけるよう、組織の開発をしていくことかと思います。

 

個人の能力を単純に足し算したものが組織の力になるわけではありません。人と人との関係を軽んじてしまうと、プロセス・ロスが生じて組織の力は目減りしてしまいます。個人の力を如何に集結して組織の力に変換していくか・・・これからの管理職は実務的なテクニカルスキルだけではなく、人間のプロとしての側面がなお一層求められていくのかと思います。

 

最後までお読みくださり、どうもありがとうございました。

2024.5.30 #341