皆さんこんにちは。
本日は「組織市民行動について」というテーマで書き留めたいと思います。
米・インディアナ大学のデニス・オーガン教授らによれば、組織市民行動(OCB)とは、「社員の行動のうち、彼らにとって公式な職務の必要条件ではないけれども、それによって組織の効果的機能を促進する行動のこと。しかもその行動は強制的に任されたものでもなく、正式な給与体系によって保証されるものでもない。」としています。
(「日本の人事部」より一部改変抜粋)
つまり、社員が見返りを期待せずとも、組織のために良かれと思って自主的に行う行動のことで、一種の奉仕的な意味合いさえ感じます。
例えば、新たにその組織に加わったメンバーがいたとします。その新しいメンバーの世話をするのは管理者の仕事かもしれませんが、管理者も常に応対することはできません。新入者にとって、自分が本当に受け入れられているかどうか非常に不安な状態のとき、そっと周囲の社員が声をかけてあげることは大切なことです。でも声をそっと掛けることで評価が上がるわけでもないし、給料が上がるわけでもないです。小さいけれどもこういう行動をOCBというのだと思います。
特に現代のような変化の激しい時代にあって、組織や個々人の仕事は、職務記述書や年度初めに設定した職務や役割などによらない新たな仕事、あるいは隙間仕事がたくさん生じます。でもその隙間仕事を「誰かがやらなければならないので、多少負担感はあるけれども自分がやろう。同僚も忙しそうだから・・・」と考え自ら行動を起こせる人と、「自分の仕事ではない」と防御線を張り、決してOCB的な活動をしない人もいます。
でも、この二人の差はどこから生まれてくるのでしょうか。
まずは、その組織の管理者のリーダーシップによるところは大きいとは思います。リーダーが自ら率先して隙間仕事をするような姿勢を見せていれば、部下も自然とそういう行動が求められていると認識して行えるようになるのだと思います。
けれでも、生まれつき備わった本人の特性や幼少期・青年期の環境影響によるところも要因としては大きいのではないかと私は考えています。例えばスポーツを例にとれば、スポーツ自体はフェアなルールで決められていても、実際にはチームの勝利のために個々のメンバーが不条理な思いをすることが多々あります。それをいちいち口に出していたら、チームとしては全く成立しないです。スポーツに限らず、そういうある意味不条理な体験を積んで前向きに消化してきたか否かが企業人としてのOCBに対し、意外にも大きな影響を与えているのではないかと私は考えています。
目標管理シートや職務記述書などに記載の行動の評価を目に見えるもので測ろうとすればするほど、目に見えないOCB的な行動を軽視するような人間を増やしてしまうと危惧しています。「個々の総和は組織全体を表すわけではない」というゲシュタルト的な考え方を、私たちは今一度考え直すべきではないかと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
2023.10.21 #311
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