皆さんこんにちは。
本日は、「ネット環境が私たちにもたらすもの」というテーマで書き留めたいと思います。
昨日、家のパソコン交換や一部配線工事を行った影響かどうか、あるいは局地的な通信障害あったのかわからないのですが、昨晩から全てのデバイスがインターネットに繋がらない状況になっていました。回線も2本あり、今朝にかけて2本とも繋がらなかったのですが、本日午前中になったらwifiを飛ばしている副回線が復活し、重たい画像や動画を扱う作業以外は操作ができるようになりました。もう1本の主要回線は、再び電気屋さんに工事をしてもらうお願いをしたところです。
その回線の使用不可の間、心配しながら色々と考えていました。
会社の仕事に影響をしたら困ってしまうとか、オンラインでの研修が受けられなくなってしまうとか・・・。
確かに携帯電話を含めインターネットの登場により、社会もビジネスも便利になりましたね。リアルタイムに情報を取得できる、ペーパーレスを実現できる、同時に多くの人間と交信できる、エビデンス化を簡易に実現できる、文字による簡易なコミュニケーションも可能・・・挙げればきりがないくらいに便利になりました。
けれども私たちは、このインターネットの登場により得たものばかりなのでしょうか。
コミュニケーションでいえば、過去と比べればネット社会の方が圧倒的に「量」は多くなったとは思いますが、「濃さ」でいえば果たして現在の方が濃いといえるのだろうか・・・私には疑問なところがあります。
直接に合う以外に通信手段が電話しかなかったころは、面会や電話での話す機会を今よりも重視していたと思います。例えば自社サービスを売る手段として、まずは自分自身を売り込み認めてもらわなければ、ビジネスが始まらなかったでしょう。でも現在は、メールで事務的な部分は送受信できましすし、ある意味で主観的な部分である「人柄」を売りこまなくても、会社という組織の仕組みで機能的・効率的に販売することも可能です。
これを進化といえばそう言えるのでしょうが、「人間の成長」という点で見ればどうでしょうか。私には人間力が退化しているのではないかと感じるのですが、いかがでしょうか。
文字情報によるコミュニケーションが随時に瞬時にできる現在は、相手の状況を知りたければ、例えばLineを打つなど都度アクションを起こせば可能となります。でも、そういう手段が無かった頃は、「いま彼(彼女)はどんな気持ちでいるのだろうか」「自分の言葉でつらい思いをしているではないだろうか」・・・など、相手の心情を推し量るような精神作業をもっと丁寧に行っていました。それだけ「優しさ」を大切にしていたともいえます。そういう他者の気持ちを「思い巡らす」という最も人間らしいことを、もしかしたらネット環境は奪っていったのではないか、とも考えるのです。
私は、行政の効率化のためには、デジタル化の推進は必要と考えています。一方で、人と人との間にある目に見えない大切なものは、デジタル化では育まれない。むしろ、あえて不器用でも、また無駄と思われる手段であっても、人と人がしっかりと信頼関係で繋がるために、相対での言語によらないコミュニケーションが非常に大切なのではと思っています。
最後までお読みくださりありがとうございました。
2023.9.17 #306
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