皆さんこんにちは。

本日は、「組織はゲシュタルト的に考える」をテーマに書き留めたいと思います。

 

「ゲシュタルト」という言葉をお聞きになったことがあると思います。

これは、「個々の要素の総和以上に一体的な構造をもったまとまり」を意味する言葉です。たとえば音楽を例にとれば、メロディは一つ一つの音が連続して出来上がっていますが、単なる音の総和として私たちはメロディを聞くことはないでしょう。メロディ全体の醸し出す雰囲気や、奏でる旋律に何かの思いを寄せて聞きますよね。ですから、この場合メロディは「ゲシュタルト」的に捉えることができます。

 

ゲシュタルトは心理学の世界でも良く使われます。

私たちは外界から入ってくる刺激を、視覚や聴覚などで受け止めますが、刺激が刺激単体の並列状態のままで処理されるわけではありません。過去の記憶を通して認知することもあれば、初めての刺激であれば過去の似たような経験に照らし合わせて類推を行い、その刺激自体に何らかの意味を与えて認知していきます。

 

すなわち、人間の精神を、部分や要素の集合ではなく、全体性や構造に重点を置いて捉える、この全体性を持ったまとまりのある構造をドイツ語ゲシュタルト(Gestalt :形態)と呼びます。(ウィキペディアより)

 

 

私は、人間が作る組織にも同じことが言えるのではないかと思います。

一人ひとりの能力の総和がそのまま組織の力になるかといえば、必ずしもそうとは言えません。組織には「プロセス・ロス」という現象があり、それぞれのコンディションや想いの違いなどにより、単純な積算能力には繋がらないのです。

 

これは、各部所間の関係でも同様だと感じています。各部所が自部所最適で能力を向上させていけば、会社全体の能力が伸びるのかと言えば、そうとは言えません。会社としての成長は、各社員や各部所の個別能力の伸長は必要条件ではありますが、会社全体としての存在意味やミッションを共有し、その上で自らの役割を実践するようなゲシュタルト的な思考が無ければ、その会社は単なる我儘集団となり、プロセス・ロスばかりが生じてしまうでしょう。

 

音符を重ねることが作曲家の仕事ではないように、ビジネスでも地域活動においても、私たちの活動は、まずは集合体としての目的や意味があって役割分担をしています。人間の活動を科学万能で捉え、要素還元主義に陥ってしまう愚を犯さないようにしたいものです。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。

2023.9.9 #305

 

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