皆さんこんにちは。
本日は、「人生の楽屋」というテーマで書き留めたいと思います。
ミュージシャンであり精神科医でもある北山修さんは、著書の中で、「人生の楽屋」を持つことの大切さを述べておられます。楽屋とは、まさしく舞台に立つ方々の控室のことを意味します。
劇を演じる立場に立つと、他の演者や聴衆からの期待や批判を常に浴びることになりますね。この劇を「人生劇場」という我々の歩む現実を劇場であると例えると、私たちの周囲にいる人、すなわち家族や職場の同僚、上司や部下などは他の演者ということになりますし、広い意味で世論や固有文化などは聴衆の声ということになるかと思います。
演者は、常に舞台の上に立ち続けることはできません。演者が舞台の上で自分らしく演じるためには、楽屋という休息の場所が必要です。また楽屋では、振舞った自分の演技を反省したり、または次の場面の自分のパートを予習したりすることもあるでしょう。
北山さんは、人生劇場もこれと同じではないか、と言われています。
常に舞台の上に上がっていると、休息することもできずに他の演者や聴衆の声を受け続けます。励ましの声であればまだ良いものの、中には批判や罵声もあるでしょうから、そういう環境が長く続けば、精神的に崩れてしまうことも安易に想定できます。
でも「楽屋」という場所を持っていれば、疲れて自分の演技ができていないと感じたときには、いったん楽屋に下がり、プロデューサーや協力者のアドバイスをもらうことができます。
舞台の上が「表」だとすれば、楽屋は「裏」です。たとえ支援者がいたとしても、舞台の上に上がってしまえば、自分ひとりで役を演じるしかないのです。どんなに役割上の仮面が重たくても固くても、一人で演じるしかない。
仕事生活に例えれば、舞台に上がるということは会社の中での役割を背負うことだと思いますが、もし楽屋がなければ、その役割の仮面を常に被っていなければなりません。
自分がそっと仮面を脱いで次の舞台のために休息を取り、仲間と相談したり談笑できるような場所は大切だと思います。
私は、常に舞台の上に上がっていなければならないと思って仕事をしてきました。それこそが仕事なんだと思ってきました。
考えてみれば、長く楽屋の存在をあえて考えずに走ってきたのかもしれない・・・。
社内での役割も変わってきた今、自分は他の演者や聴衆の喝采を浴びることを求める演者ではなく、疲れた演者をそっと楽屋で労うような、そんな犬馬の労を担う者になれるよう、自分を整えていきたいと思っています。
演者であればすぐに周囲からの評価が得られますが、黒子の評価はすぐに表れるものではありません。それもしっかり心得た上で歩みたいと思っています。
最後までお読みくださりありがとうございました。
2022.12.3 #266
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