皆さんこんにちは。

本日は、「予定調和と偶然性」というテーマで書き留めたいと思います。

 

千葉雅也先生の講話を聞く機会をいただきました。この講話の中では近代から現代への思想の変遷が主なテーマでしたが、現代を生きる私たちが、「偶然性を過度に怖がっているのではないか」という先生の問いに、非常に共感するところがありました。

 

 

社会には秩序があり、世の中から大きな「正解」が与えられていたのが戦後の昭和時代であったと思います。モダン主義の時代と言い換えることもできるでしょう。でも、昭和の終わりにバブルがはじけて国の成長神話も崩れ、経済も停滞し、またインターネットの普及を通して様々な生き方のそれぞれが正解であるとするような相対主義、すなわち「ポスト・モダン主義」が台頭しました。

 

ポスト・モダンの時代には、良くも悪くも旧来の秩序が崩れていますから、自らが自由に、けれども自らが責任を負いながら正解を見つけていかなければなりません。

一見、ポスト・モダンは自由であることが素晴らしいように見えますが、自己責任で生きなければなりません。世の中は全て予定調和していればそれでも問題が少ないのでしょうが、人生には偶然の出来事が否が応でも降りかかってくるものです。

2011年の東日本大震災、そして近年のコロナ感染など、偶然にしてはあまりにも理解しにくいような出来事が重なると、ポスト・モダンで生きることの自信すら揺らいできてしまっているのが現実なのかもしれません。

 

けれども、それでは昔のように、価値観がモノトーンであった時代に戻り、依存を前提にした精神的な安心を買えればそれでいいのだろうか・・・

 

私はそうは思いません。

一部の人間が見る世界が正解で、それ以外は不正解であるという窮屈さを肯定することは、ある面では現在も起こっている力の論理で戦争を起こしてしまうような、そういう論理も肯定することになってしまうのではないでしょうか。たとえ不安でも苦しくても、精神的に自立して、自分が与えられた使命を自らチャレンジしながら果たしていくこと、これこそが人間らしい生き方なのではないかと私は思います。

 

小さなことですが、私自身、現在そういう生き方を問われているようにも感じています。

故ケネディ大統領の側近であったソレンセン氏が言った以下の言葉を、改めてかみしめたいと思います。

 

「良心に恥じぬということだけが、我々の確かな報酬である」

 

最後までお読みくださりありがとうございました。

2022.11.19 #264

 

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