皆さんこんにちは
本日は、「大人は学びの終着駅か」というテーマで書き留めたいと思います。
『リフレクティブ・マネージャー』という書籍を読んでいます。著者はキャリア論や大人の学びで著名な中原淳先生と金井壽宏先生です。
同書の中で、「大人とは、学び終えた存在なのか」という問いがあります。日本では、「社会人大学院」という制度がありますが、学士取得後にそのままマスターコースに進む若き大学院生に対し、働きながらその合間を縫って大学院での勉強を行う稀有な真面目な人たちのことを指すようです。
でも他国では、「社会人大学院」という言葉は存在しないそうです。大学院生は、年齢も様々、仕事をしているかどうかも夫々で、勉強をする必要を感じた人たちが集う場であり、もっと言えば一度働き始めた人たちが学び直すことなど日常の風景なのだそうです。
日本の場合は、大学ないし大学院で学んだあと、一度就職したらそこで学びは終了で、その後は仕事に邁進するのが普通です。このパターン以外の道はイレギュラーと見做されます。ある30歳を超えた日本人が米国で、「僕は本当は法律を勉強したかったけれども、この歳じゃもう無理だな」と友人の米国人に話したら、「“もうできない”ではなくて、“まだやれる”じゃないの?」と怪訝な顔をされたといいます。「いくつになってもチャレンジできる」、これが米国では普通に根付いている文化だそうで、働いてお金を稼いで途中で辞めて、再度勉強し、また自分の思いを叶えるため新しい就職先を探す・・・こういう学びと仕事の自然な連鎖があるようです。すなわち、『LIFE SHIFT』にもあるように、人生は3ステージではなく、マルチステージであるということです。
もちろん日本の場合は、今でさえ終身雇用的色彩もまだ残っているし、高齢での転職活動は実質的には閉ざされているような状況ですから、米国のようにジェンダーや年齢に関係なく、能力と適性でポストを獲得できるような土壌ではありません。一度入社した企業を退職し、学び直しをしても、それに見合う処遇を再び得られるかどうか、その判断に逡巡してしまうことも当然のことかもしれません。
しかしながら、これだけ社会基盤の知識やスキルの変化が激しいと、いくら大企業に所属していたとしても、自ら学びを続けなければ、その雇用継続すら今後は不透明になってくると私は思います。もっと言えば、たとえ労基法上で雇用が守られたとしても、本当にそのような働き方で満足できるのかどうかわかりませんね。
また、これからは働く当事者の意識変革も当然のことながら、企業側も、社員を自社固有の知識や文化に縛り付けることなく、給与を保証してでも外部の学びの機会を与え、その果実を自社に還元できるような大人の対応をしていかなければ、優秀な社員のリテンションが叶わなくなってくるのかもしれません。
私も、働く傍ら、放送大学及び同大学院での学びが8年目を迎えました。体系的な知識を修得し、現在の仕事に活かすことができていること、とてもうれしく思っています。
大人になることは、学びの始発駅であると思います。
最後までお読みくださりありがとうございました。
2022.2.18 #225
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