皆さんこんにちは。

本日は、「誰かを悪者にすればいいのか」をテーマに書き留めたいと思います。

 

国内ではまたコロナ感染が拡大していますが、こういう不安を伴う大きな変化や新しい経験をするような局面になってくると、様々事情やリソースの限界のために対応の遅れが生じ、国のレベルでは政治家、組織のレベルでは役職者に対する批判が増えてくるように感じます。

確かにどんな小さな組織に於いても、リーダーがしっかりと状況を見極め、適切な判断をしなければならないのは当然のことで、それができなければリーダー自身は身を引く覚悟を持たなければなりません。

 

けれども、現代の状況が、先を見通して変化に対応するために先手を打てるような状況なのかと考えると、タイムマシンで未来を見ることができない限り、誰一人として正しい判断をできる人間はいないと思います。

正しい判断ができないからこそ、リーダーはなるべく多くの人の聴く耳を持ちながら、勇気を持って決断していくことが大切なのでしょうが、その判断の結果や結果がもたらす影響に対し、自分の価値尺度だけで簡単に批判する人間も多くいます。

 

 

オンライン上の匿名のコメントがその際たるもので、名前を出して自分の意見を言う度胸が無い人間こそが、無責任な言葉を発しているように思います。その人間が首相であれば、今以上の傾聴や調整を行い、優れた判断ができる確証があるのでしょうか。

 

身近にある組織でも、同様の経験をしています。自分の価値観から少しずれた物事が生じると、他者の利益や全体利益を考えず、子飼いを巻き込んでとにかく批判から入るようなタイプは、私からすれば辟易してしまいます。巻き込まれた周囲の人間も迷惑ですよね。

 

物事の解決のためには、リーダーは、自分の既得権を放棄しても、組織全体のために調整役になるのが必要な務めだと思います。自利ばかりが目立つリーダーには、人間的な厚みを感じないし、観ていても残念な感じすらします。

 

でも人間社会やビジネス世界は、自利と利他が必ずしもバランスの取れている場合だけではありません。もし自分のいる立ち位置が、そのバランスからかけ離れていて、いくら建設的な意見を発して調整役を務めようとしても貢献できないような場合には、その組織や人間と一定の距離をあけるしかありません。企業組織であれば転職を、人間関係であれば縁切りもやむを得ないことかと思います。内なる自分自身の基軸が損傷してしまったら、それを再構築するのには相当の物理的、精神的な時間を要するからです。

 

他者の心や生き様をどれだけ共感しようと努力するか、その優しさこそが、最終的にはその人間の厚みを表すものだと思います。

 

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

2022.1.15 #220

 

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