東芝、東電、丸紅に見える原発事業に関連する大掛かりなコントロール:原爆技術漏れを使ってソ連崩壊を仕掛けたアメリカ軍


 特に注目するべきは、「東芝元社員の告白『あの会社の裏切りがなければ』」にある次の記述です。

(*以下引用開始:)
WH買収の蔭にいた「兄弟」
 資金調達力があり、外国企業との交渉にも長けた丸紅は、財務基盤の弱い東芝にとって心強い存在だった。まして当時の丸紅社長は勝俣宣夫。東京電力社長、勝俣恒久の弟である。東電も電力自由化を睨み、原発事業での海外進出を目論んでいた。天下に聞こえた「勝俣兄弟」がついていれば、鬼に金棒。WH買収を巡る入札で三菱重工業と競り合っていた東芝は、三菱重工業の首脳が「考えられない」というレベルにまで値を吊り上げた。
 ところが入札が佳境に入った2006年夏、突然、丸紅がディールから降りる。当時、丸紅は経営危機に陥ったダイエーの買収も検討しており、勝俣(弟)が「二兎は追えない」と逃げたのである。
(*以上引用終わり)

 今回の東芝の問題、またはより根本的には今の日本が直面している問題は、アメリカ資本主義の資本の巨大さと、資本主義のルールを彼らが自分たちの都合の良い形に決め、その上で大掛かりな10年とか20年の準備期間をかけた工作を仕掛けてくることではないと思えます。日本で常識的に正しいと思える商取引をしていった結果、見事に破滅に追い込まれる、そういった仕掛けがアメリカの資本主義によって、ある意味、ごくおおぴっらに仕掛けられているのではないでしょうか。

 以下、今回の東芝の問題のきっかけとなったウェスチングハウス買収に関連して節目となると思える出来事のタイムラインです。退屈かもしれませんが、一応、目を通してください。これらがどのような意味を持って、互いに関連していたか、それをこのタイムラインの後で述べます。

1984年3月から1992年4月:西田厚聰氏、東芝ヨーロッパの上級副社長を務め、パソコン事業の創始に携わる。

1990年:ウェスチングハウスがローン部門の約1000億円の赤字により、ビジネスの組み替えを計画する。これが後の原子力部門の売却のきっかけとなっていく。

1995年1月17日:阪神淡路大震災が起きる

1995年6月:西田厚聰、東芝のパソコン事業部の部長に就任

1995年8月29日:もんじゅ発電開始
     12月8日:もんじゅ、ナトリウム漏洩事故発生

1997年2月4日:核燃料サイクルについて了承するという閣議決定。
同2月21日には電力11社によるプルサーマル全体計画が発表。以降、プルサーマル計画の説明が新潟、福島、福井県に対してされていく。(この部分は、http://www.rist.or.jp/atomica/data/pict/17/17010608/01.gifを参照)

1997年3月19日:渋谷・円山町のアパートで女性東京電力東電職員の遺体が発見される(東電OL殺人事件)

1997年5月27日:神戸連続児童殺傷事件( 東電OL殺人事件の容疑者とされるネパール人ゴビンダ氏が逮捕された5月20日の一週間後 )

1998年:ウェスチングハウスの製造部門である原子力部門が英国核燃料会社 (BNFL)社に売却される。

1999年:東芝、 ゼネラル・エレクトリックからシックス・シグマの手法を導入、社内カンパニー制採用。

1999年:イギリス原子燃料公社(BFNL)、ウェスティングハウス・エレクトリックの改組したCBSの商業原子力部門であるウェスティングハウス・エレクトリック・カンパニーを11億ドルで取得。(*上に1998年とありますが、契約時期と資金が支払われた時期の違いであるようです。)

1999年9月14日:関西電力高浜原子力発電所三号炉に使用予定だった、イギリス原子燃料公社(BFNL)製造のMOX燃料ペレットの寸法データが改ざんされていることが、明らかになった( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E3%81%AE%E4%BA%8B%E6%95%85%E9%9A%A0%E3%81%97%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BC%E3%82%BF%E6%94%B9%E3%81%96%E3%82%93%E4%B8%80%E8%A6%A7 )

2000年7月:ゼネラル・エレクトリック・インターナショナル社(GEI)から東京電力の福島第一原子力発電所、福島第二原子力発電所、柏崎刈羽原子力発電所の3発電所計13基の点検作業を行ったアメリカ人技術者が通商産業省(現経済産業省)に以下の内容の告発文書を実名で送った。

2001年2月:佐藤栄佐久福島県知事がプルサーマル計画は受入不可と表明。

2002年2月、GEが保安院に全面協力を約束する。その結果、東電も不正を認めざるを得なくなった。

2002年10月:勝俣恒久氏が東京電力第10代代表取締役社長就任。

2003年:勝俣宣夫氏が丸紅社長就任。5年間務め毎年最高の純利益を記録した。

2003年4月:福島第一原発他でのトラブル記録改竄・隠蔽発覚により東京電力の原子力発電所全17基停止。

2004年12月26日: スマトラ島沖地震 (2004年) マグニチュード9.1

2006年1月:東芝が英BNFLから、ウェスティングハウスを54億ドル(約6370億円)で買収契約締結発表。原子力発電装置の世界三大メーカーの一つとなる。

2006年4月:志賀重範氏が電力システム社WEC統括事業部長兼ウェスティングハウス(WH社)上級副社長に就任。

2006年7月:水谷建設・レインボーブリッヂが関与した一連の不正事件で、福島県知事佐藤栄佐久氏の実弟が営む縫製会社が、不正な土地取引の疑いで検察の取調べを受け、9月25日には実弟が競売入札妨害の疑いで逮捕された。これを動機として、佐藤栄佐久福島県知事の辞職を求める動きが、県議会を初めとして内外から高まり、9月27日に道義的責任を取る形で辞職を表明するに至った(9月28日に県議会で辞職が許可)。報道によると、辞職後も「影響力」を示す行動をとったものの、10月23日に東京地検により収賄の容疑で逮捕される。検察聴取により全面的に自身の関与を認めたとされるが、本人は後に否認している。

2006年夏:突然、丸紅がウェスチングハウス原子力部門の買収ディールから降りる。

2008年:志賀重範氏が東芝電力システム社副社長兼WH社上級副社長就任。

2008年5月から6月:アメリカのボーグル原発及びサマー原発の建設請負を電力会社からストーンアンドウェブスタ―及びウェスチングハウスが契約。

2008年6月:勝俣恒久氏が東京電力代表取締役会長就任。

2010年8月:東京電力が福島第一原子力発電所3号機(大熊町)で計画していたプルサーマル導入について、佐藤雄平福島県知事が受け入れを決定。

2011年:志賀重範氏、東芝執行役常務兼電力システム社副社長兼WH社上級副社長就任。

2011年から2015年:http://www.toshiba.co.jp/about/ir/jp/news/20170214_4.pdf によると、2011年3月の福島第一原発事故後、発注側である電力会社との間や受注したストーンアンドウェブスタ―及びウェスチングハウス内で、納期やコスト上昇分の負担をめぐって訴訟が発生。それに対し、コスト増のシュミレーションを2015年8月から行い、同10月東芝取締役会でストーンアンドウェブスタ―の買収承認、同12月に買収終了、同時に訴訟和解。

2012年9月:Danny Roderick氏がウェスチングハウスのCEO就任。

2014年:志賀重範氏、東芝電力システム社社長に就任。

2015年9月:志賀重範氏、東芝代表執行役副社長就任。

2016年6月:志賀重範氏、取締役・代表執行役会長に就任。

 文春オンラインの3つの記事の特徴は、ストーンアンドウェブスタ―買収決定の、多分一番の当事者であった当時のウェスチングハウスのCEO:Danny Roderick氏のことが全く触れられていないことです。Danny Roderick氏の経歴は、ある意味謎に包まれていて、英語版のウィキペディアでも記事がありません。https://en.wikipedia.org/w/index.php?search=Danny+Roderick&title=Special:Search&go=Go&searchToken=3sp0xv1sowqk3htjrebv4qlq0 を見てください。誰がDanny Roderick氏をウェスチングハウスの社長として招いたか、それが、多分、今回の事件の実質的な仕掛け人を見つける早道のはずです。なお、そもそも、東芝の株主総会の資料のサイト( https://www.toshiba.co.jp/about/ir/jp/stock/meeting_past.htm )で2012年9月のDanny Roderick氏のウェスチングハウスのCEO就任の記述があるかと探しても見つかりません。この意味で、文春の記事は重要な視点を欠いたものであり、日本のマスコミ全体が、Danny Roderick氏に関する情報にアクセスできない状況に置かれている可能性があります。

 2015年のシカゴ・ブリッジ&アイアンからのストーン&ウェブスター買収がおかしなことになったのは、原子力部門が社内分社化されていて、他部門からの牽制がない環境にあったからです。1999年に東芝がゼネラル・エレクトリックからシックス・シグマの手法を導入、社内カンパニー制採用したことが、社内分社化のもとであったはずです。。また、そもそも、2008年5月から6月のアメリカのボーグル原発及びサマー原発の建設請負をストーン&ウェブスタ―及びウェスチングハウスが契約したのも社内分社化が終了した後のことであり、この契約自体がおかしなことであった可能性は強いと思います。ある程度の固定価格契約がこの時点でされていた可能性が消えません。2011年福島第一原発事故で規制が強化されたのは外部要因であり、ある意味、仕方のない措置です。その影響を誰が負うべきかと言えば、普通は、発注者側、つまり、電力会社側です。
 
 東芝が日本の原発建設にどういった経緯で関わってきたかは別に置くとして、2006年のウェスチングハウス買収決定が問題です。買収決定を行ったのは西田厚聰東芝社長ですから、彼がどう言った経緯で東芝社長になったかを見ることが必要です。ウィキペディアの「西田厚聰」( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E7%94%B0%E5%8E%9A%E8%81%B0 )には次のような記載があります。
(*以下引用開始:)
1968年3月 早稲田大学にて第一政治経済学部を卒業し、1970年3月に東京大学の大学院にて法学政治学研究科の修士課程を修了した。大学院では、福田歓一の指導の下、西洋政治思想史を研究した。学生時代に、日本政治史の研究で来日したイラン出身の女性と出会い、結婚。イランに渡り、東京芝浦電気(現・東芝)と現地資本の合弁会社に入社、1975年5月に東京芝浦電気に入社する。

実業家として
1984年3月から1992年4月にかけて東芝ヨーロッパの上級副社長を務め、パソコン事業の創始に携わる。
(*以上引用終わり)

  イランの現地資本合弁会社に入社した時期がはっきりしませんが、1970年3月に大学院卒業ですから早くても1970年です。しかし、それから14年後の1984年には「東芝ヨーロッパの上級副社長を務め、パソコン事業の創始に携わる」となっているのですから、驚異的なスピード出世です。当然、背後にはイランやヨーロッパでの彼の関わった事業がとてもうまくいったという実績があったのでしょう。現在のソニーの地盤沈下へのターニングポイントになったハワード・ストリンガー氏の社長就任が2005年ですが、その経緯は前任であった出井伸之氏に対し、「2003年のソニーショックを受け、出井らが示した経営再建計画の達成が困難を増す中、ソニーの現職社員・OB、国内外の経済メディア、ソニー製品の愛好者など各方面から激しい退陣要求が噴出。出井は、ソニーのビジネスモデルを理解し、経営できる後継人材の選定を、OB役員や社外取締役らとともに尽力。その結果、英国人であり、1997年からSony Corporation of Americaのヘッドとしてコンテンツ事業を中心にソニーグループの経営に貢献してきたハワード・ストリンガーが代表取締役会長」( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E4%BA%95%E4%BC%B8%E4%B9%8B )に選ばれるということであったのです。ストリンガー氏がアメリカ国内で様々な形で優遇されてきた可能性が高いと思います。出井氏については世論の非難が集中したのですが、西田厚聰氏が10年程度で東芝ヨーロッパの上級副社長になれたのは様々な形で彼をバックアップする環境が中東からヨーロッパであったということのはずです。なお、武田薬品の2014年までの社長であった長谷川閑史氏も海外での業績が評価されての社長就任です。それまでは創業家関係者が就任していて、創業者以外での就任は長谷川閑史氏が最初でした。そして、彼が後継指名したのが現在の社長であるクリストフ・ウェバー氏です。

 東芝は昔からコンピュータを造ってきました。パソコンではなくTOSBACというオフコン、ミニコンです。現在でも株式会社トスバックシステムズ( http://www.tosbac-systems.co.jp/ )として存続しています。よって、本来なら、パソコン事業を立ち上げるときにTOSBAC関係者がリーダーとなるのが自然であったはずです。その意味でもなぜ西田厚聰氏がパソコン担当となり、「2003年度にパソコン事業が赤字に転落すると、西田が手腕を発揮。2003年度第3四半期に142億円の赤字であった決算を、2004年同期に84億円の黒字に転換し、驚異的な回復を果たす。これが決め手となり、2005年6月、岡村正に代わり東芝の社長に就任した」と言うようなことが起こったのか、それがやはり大きな問題です。東芝社内での引きだけでなく、日本社会全体として何らかの動きがあったはずです。パソコンとネットの普及はどう考えても米国主導で進んできたものであり、日本国内市場でさえもアメリカの意向を大きく受けて動いていた可能性があります。例えば小売店でどの機種を目立つ位置に展示するか、雑誌でどのような評価をするかなど、この時期に東芝のパソコンを後押しする動きがあったのではないでしょうか。

 1980年代からのタイムラインを見て分かることは、プルトニウムの処分がずっと問題化してきたことです。1995年の阪神大震災を受けて、もんじゅのナトリウム漏れ事故が起こされたはずであり、高速増殖炉でのプルトニウム利用が不可能になったためにMOX燃料での使用が急がれたはずです。福島県知事であった佐藤栄佐久氏が冤罪で逮捕されたのは、MOXでの発電を実施したいという意向が経産省にあったからだと思えます。

 しかし、多分、ここが経産省の間違えであったのだと思います。なぜなら、「1999年9月14日、関西電力高浜原子力発電所三号炉に使用予定だった、イギリス原子燃料公社(BFNL)製造のMOX燃料ペレットの寸法データが改ざんされていることが、明らかになった」ことがきっかけとなって佐藤栄佐久福島県知事はMOX使用に反対の立場を取ることになったのであり、また同時にこのことが、BFNLによるウェスチングハウスの売却決断の理由となったからです。そもそも、なぜ、英国の会社が1999年に米国のウェスチングハウスを買収する必要があったのか、そして、そのわずか7年後の2006年に東芝への売却に至ったのかが問題です。BFNLが11億ドルで買ったウェスチングハウスを東芝へは54億ドルで売却していますが、これはほぼ5倍の金額であり、それほどまでに値が上がったのは、ブッシュ政権による原子力ルネッサンスの宣言であったはずであり、その背後にあるのは温暖化ガス排出量削減の圧力であったはずです。

 温暖化は確かに近年進んでいます。1960年代、自分が育った町の道端には冬季10cm程度の霜柱が出来ていたことが普通でしたが、1980年代以降、ほとんど霜柱自体が出来なくなりました。しかし、日本を直撃した大型台風を見ると、昭和の三大台風( http://contest.japias.jp/tqj2008/100101/sandaitaihuu.html )と言われるものはみな1930年代から60年代のものです。室戸台風は1934年9月の911.6hPa、枕崎台風は1945年9月で910 hPa、伊勢湾台風は1959年9月で895 hPaでした。

 非常に苛酷な被害を与える台風の発生と関係があると思えるのはM9地震です。現在、2004年スマトラ島沖、2011年東北地方太平洋沖とM9が2回続いていますが、前回版は1952年11月5日カムチャツカ地震から1964年3月27日のアラスカ地震に至る4件のM9地震でした。この時期は1934年室戸台風から1959年伊勢湾台風と15年程度ずれています。このずれは、海のプレートの沈み込みが活発化し海底火山の噴火が多発して海水温度が上昇し、その後、台風多発になったということでしょう。M9地震はある程度プレートの沈み込みが進み、大きな噛み合いに力が集中した結果、大きな噛み合いが破壊されることで起こりますから、海のプレートの沈み込みがある程度活発化した後に起こるのです。海のプレートが活発に沈み込めば海底火山だけでなく陸域の火山噴火も起こりますが、不思議なことに、世界的に火山噴火の統計はない様子です。多分、陸域にある火山のある程度以上大規模な噴火の1900年以降の統計があれば、大型台風発生との関係はかなり簡単に同期していることが証明できるはずです。

 アメリカのCIAが地球環境の将来予測をしていますが、多分、そういった予測の結果、2000年ごろに近い将来のM9地震発生が予期できたのだと思います。第2次世界大戦後のかなり早い時期から将来の大地震発生について関心が持たれてきたはずです。なぜなら、前回版M9地震は1952年カムチャツカ地震、1957年アリューシャン地震、1960年チリ地震、1964年アラスカ地震と4件とも太平洋の北東から南東部で起こり、空白域は中米からカナダに至る北アメリカ大陸西岸であったからです。北アメリカ大陸西岸のM9地震であるカスケード地震については、「考古学的な調査は1980年代の後半から行われ、海岸付近の堆積地層や沖合の深海底の掘削サンプルから、『過去の地震によって海岸が沈降したことを示す地層』や『津波が押し寄せたことを示す津波堆積物』が発見され、過去約7000年間に13回の地震が発生したとされていた。また、最新の活動歴は土壌中の植物の放射性炭素年代測定法により約300年前と解析された。更に、立ち枯れた木の年輪から1699年の秋から1700年の春の間と特定された。」( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%89%E5%9C%B0%E9%9C%87 )ということですから、1990年には確認がされていたはずです。

 日本での大地震予測については、日本地震学会のサイトにある「『大陸移動説』100周年に思う」( http://www.zisin.jp/modules/pico/?content_id=2534 )が参考になります。

(*以下引用開始:)
東北地方太平洋沖地震については,東北地方の地質学,地形学,測地学の成果をよくよく考察すれば,超巨大地震の存在は自然な帰結である.すでに1996年から,それを明確に述べた研究者がいた(池田,1996,池田,2003).その後も度々学会等で議論が行われた.2004年のスマトラ沖地震発生のちょっと前には,「ハルマゲドン地震」という言い方もされた.スマトラ沖地震以後は世界的にも津波堆積物研究が進展した.東北の超巨大地震の発生については長期的な予知がなされていたのである.
 一方,比較沈み込み学という枠組みで,海溝型の地震のデータを整理し,超巨大地震の発生の条件を考察した論文が1980年に米国で発表されたが,その説に従うと,どちらかというと東北地方沖には超巨大地震は起きないということになる.後者は世界中の地震活動帯を視野に入れているが,近代に発生した地震を対象にしている.ところが,東北地方の固有の性質や長い地質時代の考察は抜けているのである.しかし,多くの日本の地震学者がこちらの説を採った.
(*以上引用終わり)

 つまり、1980年には東北沖の太平洋岸でM9地震は起こらないという刷り込みが始められていて、M9地震発生の可能性があるという1996年や2003年の指摘は学会の中で支持が得られなかったのです。

 1979年がスリーマイル島原発事故、1986年がチェルノブイリ原発事故です。1973年に電源三法が作られ、柏崎刈羽原発1号機の着工が1978年12月、2号機から7号機の公開ヒヤリングが目白押しになっていたのが1980年代でした。

 もし、1996年や2003年のM9地震発生の指摘がきちんと受け止められていれば、当然福島第一原発の対策がされ、実質的に福島第一原発事故はあのような苛酷なものにならなかったはずです。2011年の東北地方太平洋沖地震は震源が陸域から100キロ以上離れた沖合での地震であり、地震そのものへの対応は事前に行うことが可能であったはずですし、津波対策も福島第一原発のサイトで津波高さが10m以上になることが事前に分かっていて、後はそういった大きさの地震が差し迫っているかどうかの判断でした。2004年のスマトラ島沖地震は太平洋の西側で起こった地震であり、前回版が太平洋の東側で起こったことを考えれば、2004年スマトラ島沖地震の次は同じく太平洋の西側である日本やニュージーランドあたりでの発生が2005年には予測できたはずです。

 そして、だからこそ、将来の大地震発生を予測して早い時期である1980年に比較沈み込み学が発表され、それが地震環境の異なる日本で無批判に取り入れられてしまったのでしょう。本来であれば、「世界中の地震活動帯を視野に入れているが,近代に発生した地震を対象にしている」が「東北地方の固有の性質や長い地質時代の考察は抜けている」と言う批判がされなければいけなかったのです。1980年は、1973年のオイルショック後、電源三法が制定され、日本中で原発稼働が必要だと言われだした時期でした。

 ある一面の真理がいいように利用され、世論コントロールのために使われているのです。一定の期間とか一定の地域を対象に考えると、その科学性が正当なものになることが利用され、間違った認識を持たせることで大掛かりな世論コントロールをアメリカ軍産複合体はしているのです。

 こういった世論コントロールが可能になっているのは、基本的に彼らの科学的・技術的な優位性があるからだと思います。太平洋戦争に於いて、国力の違い、特に資源量の違いが勝敗を決めたのだという議論がされることがありますが、同時に、またはより大きな要素として、軍事技術の差、例えばレーダー探知能力の差があったと言われています。ヨーロッパが第一次世界大戦で戦場になり、研究の場を求めてアメリカへ渡った学者が多く居て、彼らがアメリカへ科学技術の先進性をもたらしたのです。第2次世界大戦終了時、アメリカはヨーロッパと比べても、その他の地域と比べても、格段に経済的に豊かで人材も豊富にいたわけです。そしてだからこそ、戦後一貫して現在まで、世界の国々の軍事費合計の約半分をアメリカ一国で使うというような巨額な軍事支出を続けることが可能であったのです。
 
 彼らが考えた世界支配の構造は、彼らの科学技術に於いての優位性を生かすことにありました。その第一は軍事技術の優位性を保ち続けること。そして、その軍事技術を民生用に転用して、ビジネスの世界を支配することでした。非常に大雑把に言えば、圧倒的な軍事力を生かして世界標準を自分たちに有利なように作り、それによって世界を支配しようということです。このことの典型がインターネットです。インターネットの原型は米軍の通信システムでした。それをアカデミックな分野での通信に使うことしにして、そこでいわゆるハンドルネームの使用を標準的なマナーとして確立させ、その後、一般社会へ普及させたのです。もちろん、アメリカの世界支配の構造は多重的であり、とてもいろいろな形で行われていますが、その最も根本的な構造はアメリカの軍事技術を民生用に転用し、その優位性を生かして世界支配を恒久的なものにするということにあったし、現在もそうであると思います。

 そして、このことが企業としてのウェスチングハウスの変遷にも出ています。1990年当時、ウェスチングハウスは現在のGEと肩を並べる幅広い分野で活動する巨大企業でした。ところが、ローン分野で1000億円ほどの赤字を出してしまい、そのことを理由として、それまでの重電を含めた電気機器製造を主にしていた業態から一気に放送事業者へ変わってしまうのです。原子力部門のイギリスへの売却もそういった動きの一環でした。1000億円の赤字は大きなものですが、当時のウェスチングハウスの規模で考えれば、決して業態転換をしなければならないほどのものではなく、あくまで、口実として使われたのだと思います。

 当然、ウェスチングハウスの原子力部門のイギリスへの売却には、近い将来、アメリカ国内でかなり大きな地震が起こり、アメリカ国内での原発運転に支障が出るという見込みがあったからでしょう。1960年にM9地震が発生したチリで1985年M7地震が起こり、1957年アリューシャン地震M9と同じアリューシャンで1986年、1988年とM7が発生します。また、北アメリカ西岸で1700年ごろにM9地震(カスケード地震)が起こっていたことが1987年には津波の痕跡の分析などから分かってきていました。

 1987年にはアラスカでM7、1989年にはアメリカのカリフォルニア州でロマ・プリータ地震M7、1994年にはロサンゼルス地震M6.7が発生します。第2次世界大戦前のM9地震連鎖が起こった太平洋東部、つまり、北米大陸西岸でM7が起こり出し、カスケード地震帯と言うアメリカ西部で1700年にM9が起こったことが分かっていたのですから、この頃のアメリカはいつカルフォルニアでM9が起こるかと戦々恐々としていたはずです。

 マインドコントロール、世論操作が非常に大規模に行われている例は枚挙にいとまがありません。例えば、海外からの観光客数の近年の増加はかなり不自然です。「インバウンド 訪日外国人動向」( http://www.tourism.jp/tourism-database/stats/inbound/ )によると、2009年からの年ごとの概数は次の通りです。

2009年: 679万人
2010年: 801万人
2011年: 622万人
2012年: 836万人
2013年:1036万人
2014年:1341万人
2015年:1974万人
2016年:2403万人

 2007年が835万人であったことを考えると、2013年からの急伸はかなり不自然です。2013年から見ても2016年は二倍以上の増加であり、自然にこういった増加があり得たとはとても思えません。そもそも、まだ福島第一原発事故は収束していず、放射能漏れは継続しています。また、これら訪日観光客の60%程度を占める韓国、中国、台湾の3国はいずれも、日本の福島県などからの食品に未だに輸入規制( http://www.maff.go.jp/j/export/e_info/pdf/kisei_all_170106.pdf )をかけています。また、アジアの国々の一般市民が東京の不動産に投資をする動きが出ていましたが、これも不自然なことです。1985年以降のバブル期に日本企業がアメリカの不動産に大規模に投資をしてほとんどがその後安値で売り払うことになりましたが、同じことがアジアの人びとと日本との間で起こりつつあるはずです。日本で、それも首都圏で大地震が近い将来発生することは確実ですから、将来、日本はそういった将来予測を隠して、不動産を高く売りつけたという非難を浴びる事態になるのではないでしょうか。ともかく、観光は最も簡単に世論コントロールできるものです。電気機器や農産物であれば、多くの場合、生活必需品であり、急にニーズが無くなることはありません。しかし、観光は一気にそのブームが無くなることがあり得ます。また、観光地は観光客があって初めて成立しえるものであり、農業や工業よりも格段に自立化が出来ない産業です。一定以上の農産物があれば、少なくとも飢えることはありません。一定以上の工業力があれば、それなりの文明生活が維持できます。観光産業の場合、観光資源自体は、地元の一般市民の生活の糧となりにくいのです。

 ネットの普及と共に世論操作は本格化しました。そのことが分かるのは株価の変動幅の大きさです。ウィンドウズ95が登場した1995年から「NYダウ工業株30種平均」( http://baseviews.com/chart/dow-ja.html )の一ヶ月での変化幅が急激に大きくなっています。ただし、1929年の世界恐慌直前、アメリカの株価は急騰していたのですが、この頃とは物価が大きく違いますので、この頃、現在よりも大きな動きがあったとしても、現在の物価水準で描いてあるこのグラフには変化があまり出てきません。「日経平均株価 超長期月足チャート」( http://baseviews.com/chart/nk225-j.html )については、1985年のプラザ合意以降、大幅な金融緩和がされたため、これ以降、変化幅が大きくなっています。日本については、電信電話公社の民営化が1985年にされ、この株価上昇期である1987年にNTT株が発売され、その後急騰したことが有名です。そういったネットが普及していない時期のことを考えても、日本では株価について急騰急落が多く起こって来ていました。なお、2001年12月にアメリカで発生したエンロン事件を契機に株価に影響を与える財務報告などに関する法律「SOX法」( http://www.icfpe.jp/sox/ )がアメリカでも日本でも整備され、それ以降、数年間は変動幅が小さくなっているようです。

 アメリカ合衆国大統領であるトランプ氏が盛んにいろいろな発言をされていますが、その発言自体が株価や為替相場に影響を与えていて、トランプ氏自身がアメリカ軍産複合体の代理人として、投機をする環境を作り出しているのではないでしょうか。

 大規模な世論操作の最も大きなものは、第2次世界大戦後の核兵器のソ連への情報漏れであると思います。アメリカの核実験は1945年7月16日、ソ連の核実験は1949年8月29日が始まりです。中国は1964年に核実験をしています。ほぼ4年でソ連が核兵器を開発できたのは、アメリカからソ連へ情報漏れがあったからだとされています。そして、この背景には、原爆技術そのものを使って、ソ連や中国の体制に浸透しようという戦時中からのアメリカ軍部の意志があったのではないでしょうか。

 1945年8月6日に広島へ、8月9日に長崎へ原爆が投下されました。この時期は、戦後世界の実質的な形を決めたポツダム会談の直後です。ポツダム会談は、「ナチス・ドイツ降伏後の1945年7月17日から8月2日、ソ連占領地域となったポツダムに、アメリカ合衆国、イギリス、ソビエト連邦の3カ国の首脳が集まって行われた、第二次世界大戦の戦後処理を決定するための会談」( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%84%E3%83%80%E3%83%A0%E4%BC%9A%E8%AB%87 )でした。興味深いことに、「ポツダム会談の席でスターリンはトルーマンに、アメリカが"強力な新型兵器"を開発した、と聞かされても驚かなかった。スターリンが興味を示さないことに、トルーマンはショックを受けたという」( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B8%E5%85%B5%E5%99%A8%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2 )ことです。このことが最終的な引き金となって日本への原爆投下が決定されたのです。

 「マンハッタン計画でのソ連のスパイは、全員自主的なスパイであり、ロシア人は居なかった。スパイの中には、ドイツからの亡命者である理論物理学者のクラウス・フックスなどがおり、貴重な情報が彼によってソ連にもたらされたという。その他、ロスアラモスに居たスパイ (お互いに面識はなかったが) には、セオドア・ホール (en:Theodore Hall) やデビッド・グリーングラス (en:David Greenglass) などが居る。しかしロシアはまだドイツとの戦争に忙しかったため、これらの情報を生かすのには戦後を待たなければいけなかった」( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B8%E5%85%B5%E5%99%A8%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2 )ということですから、ある意味、アメリカ側が積極的にソ連の情報組織へ原爆に関連した情報を持って浸透することをやっていたのです。

 ソ連の原爆・水爆開発で明らかに奇妙なことがあります。それは「ツァーリ・ボンバ」( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%B3%E3%83%90 )という歴史上最大の核兵器の大気圏内核実験です。1961年10月30日に行われたもので、「実験にあたっては第3段階のウラン238の核分裂を抑えるようにタンパーが鉛に変更され、出力は50メガトンに抑制された。この結果、放出される放射性物質の量はその出力の割にはかなり小規模なものとなった」とされていますが、重金属が大量に環境中に放出されたことに変わりはありません。ただし、実験場となったノヴァヤゼムリャは、ソ連が通常核実験を行っていたセミパラチンスク核実験場とは違って北極圏に格段に近い位置にあり、直接的に人口が多い地域への影響は抑えられていました。ただ、どちらにしても、ツァーリ・ボンバは容積と重量が大きすぎ、当時のミサイルに組み込むことが困難でした。原爆の巨大化を目指したソ連はミサイルの大型化を進め、このことが、アメリカよりも早い月周回軌道への有人飛行成功に結びついたのですが、度重なる核実験による環境汚染はソ連やその東方に位置する中国や日本に大きな影響を及ぼしているはずです。

 「1963年に、核実験を地下に限定する大気圏内、宇宙空間及び水中における核兵器実験を禁止する条約(通称部分的核実験禁止条約:PTBT) が締結され、同年中に発効した。この条約には100ヶ国以上が調印しており、アメリカ合衆国及びソ連も批准している。」( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B8%E5%AE%9F%E9%A8%93#.E6.A0.B8.E5.AE.9F.E9.A8.93.E3.81.AE.E7.A6.81.E6.AD.A2 )ということですから、ツァーリ・ボンバの実験が行われた1961年に環境汚染の問題が深刻化していたことは明らかです。つまり、1944年から15年以上経過していたため、低線量被曝や重金属毒性の影響がかなり出ていたはずです。多分、自閉症の症状はこの頃から一般的になってきたのではないでしょうか。ツァーリ・ボンバが当時のミサイルに搭載できなかったことだけでなく、環境汚染と言う意味でも、1961年での史上最大の大気圏内核実験が行われたのは不合理です。

 アメリカは、核開発をするにあたって、核実験が環境に悪影響を与えることを最初に気が付いたはずです。自国内で核実験をせざるを得ないことに関して大きな葛藤もあったでしょう。実験場としてアメリカ西部のネイティブアメリカンが多く居住する地域を選んだことが、そのまま、ソ連や中国へ核技術を渡し、それに伴って共産圏の国々の情報組織へアメリカ側の組織の浸透を図り、共産圏の国々の国土で核実験をやらせることで国土を汚染させ、長期的な国力低下を目論んでいたのではないでしょうか。そして、更に、ソ連では1986年にチェルノブイリ原発事故が起こります。これは1985年のゴルバチョフ氏のソ連共産党書記長就任の直後と言っていい時期です。そして、ソ連の歴代の最高指導者( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%93%E3%82%A8%E3%83%88%E9%80%A3%E9%82%A6%E3%81%AE%E6%8C%87%E5%B0%8E%E8%80%85%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7 )を見ると、ゴルバチョフ氏の前任はチェルネンコ氏ですが、わずか13か月の任期です。彼の前任はアンドロポフ氏であり、アンドロポフ氏は、「1967年にいったん党中央委員会を離れ、国家保安委員会 (KGB) 議長に就任し、党書記長となるまで以後15年の長きにわたって同職を務めることとなる」( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AD%E3%83%9D%E3%83%95 )と言うように、情報組織の責任者でした。アンドロポフ氏がKGB議長であった1967年から1982年は中国で起こった文化大革命( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E5%A4%A7%E9%9D%A9%E5%91%BD )やカンボジアでのポルポト政権( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E4%B8%BB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%81%E3%82%A2 )の自国民大虐殺の時代とほぼ一致します。文化大革命は1966年から1976年まで、ポルポト政権は1975年から1979年までです。文化大革命もポルポト政権による自国民虐殺もほとんど国際的に閉鎖された社会での虐殺であり、映像を通したサブリミナル効果を使ったマインドコントロールが行われたはずです。つまり、これらの映像はソ連を通して、同じ共産国である中国やカンボジアへ渡されたはずなのです。

  ソ連の情報組織内部へのアメリカ軍の浸透はかなりの規模であったはずで、それが可能になったのは核兵器に関する情報を流すことであったはずです。そして、その結果が現在のロシア大統領であるプーチン氏です。また、主にソ連のバックアップで成立したという北朝鮮の金日成政権も同じ仕掛けがあったはずです。

 1986年のチェルノブイリ原発事故は運転員の操作ミスが原因だとされています。しかし、事故発生時に近隣の地震計で小さな地震波が計測されています。実際には地震ではなく、爆発であったはずで、爆薬が仕掛けられていたのでしょう。もし自然発生的な地震が原因であれば、地震の影響がどの程度あったかが調べられていないといけませんが、事故発生後、全く調べられていないのです。事故時の運転員は全員事故で死亡したのですから、運転ミスは実証されたものではなく、あくまで、後付けの理由です。

 つまり、第2次世界大戦終結当時、世界の大国と言える国はアメリカとソ連、そして国力は劣るものの中国の三国であり、資本主義陣営は劣勢であったのです。このことが、最も強力な武器である核兵器を材料に使ってでも共産圏の情報組織へ浸透を図り、共産主義転覆をはかりたいという動機となったのでしょう。

 原爆を情報組織の活動の材料として使うことは、必然的に原子力発電にも多くの情報組織関係の方たちが係ることを意味します。そして、だからこそ、エンロン事件( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%AD%E3%83%B3 )というエネルギー関連会社による経済事件が発生し、また、ウェスチングハウスの原子力部門による現在問題となっている東芝の経営破たん事件が起こっているのです。

 原子力、そして、それ以外のエネルギー関連も、一国の国力に密接に関連しているので、米軍の長期戦略の柱となるものとして位置付けられているのでしょう。

 もし、東芝、日立、三菱重工の原子力部門が合併し、日の丸原発会社になった場合、この会社が結局世界中から核廃棄物を日本の国土に引き取るという事態に誘導される可能性がとても高いと思います。

 現在、リビア社会の情報がほとんど入ってきませんが、文化大革命当時の中国やポルポト政権当時のカンボジアと同じ環境が作られている可能性が高いと思います。中東全体が内戦状態へ誘導されていくのではないでしょうか。

 なお、リビアをはじめとしたアラブの春での市民革命は情報機器を通じた様々な形でのマインドコントロールが大きな役割を果たしていたはずです。単に一定の情報を流したり隠したりするだけでなく、サブリミナル効果も使われたのではないでしょうか。

 デジタル化がテレビ放送でも始まっていますが、これは個々の受像機ごとにサブリミナル効果を使ったメッセージを送ることを可能にしています。そして、テレビのデジタル化について、国別の状況:「List of digital television deployments by country」( 

Digital television transition
にはデジタル放送移行が完了、移行中、移行が未だ始まっていないの三グループに分けて国名が記載されていますが、リビアはどこにも記載されていません。デジタル放送移行完了にはアルジェリアが2009年に移行が始まり、アナログ放送が2014年11月に終了したと書かれています。完了したグループにはナミビア、ケニアなどが含まれていて、2010年時点でアフリカの中では飛びぬけて豊かで都市化が進んでいたリビアが記載されていないのはとても不思議です。

 現代は、マスコミや専門家の言動だけでなく、一般市民の行動自体が大規模に、かつ精密にコントロールできる時代であるのです。現在のアメリカ合衆国大統領のトランプ氏の存在は以上の様な文脈の上で捉えるべきことだと思います。

2017年02月20日19時15分 武田信弘 ジオログ(http//geocities.yahoo.co.jp/gl/taked4700)はヤフーブログ(http//blogs.yahoo.co.jp/taked4700)へ移行しました。CN:108790 SN:4069