経済と地球

 以前、野良猫へのエサやりが報道にあがったことがあります。エサやり反対の意見として、近所の駐車場に止めてある車に野良猫がひっかき傷をつけるからというものがありました。これって正しいのでしょうか。あまりに人間が思い上がっているようにしか思えないのです。

 一つには自然環境の軽視です。もう一つは野良猫という問題自体が人間の怠慢によって起こされている問題だという事があると思います。

 確かに単純な問題ではなく、人間が自然環境に対してどういった形で臨むのかはいろいろな要素があります。作物を作っているとき、いろいろな動物の食害や昆虫が媒介する病気などがあり、それに対処するのはかなり必要で、それをやるべきではないとは言えません。

 しかし、同時に、大気への酸素の供給であるとか、地球の公転による四季の移り変わりなど、自然そのものの大きな力に人間の生活が依存している部分は非常に大きくあります。目先の経済的な利害を追いかけることで、より基礎的な自然環境を破壊している面があるのではないでしょうか。

 問題は人間の生存に一定の生活方法がどの程度必要であるかということでしょう。「衣食足りて礼節を知る」はやはり必要なことであるはずで、ある程度、自然の利用をしなければ、却って人間同士で限りある資源をめぐって命がけの争いが起こってしまいます。

 しかし、一定限度以上の強欲は却って自然環境を破壊し、本来の目的であった人間の存続自体が危うくなってしまいます。その典型が原発であるはずです。原子爆弾の保有を正当化するために原子力発電所という核の平和利用が言い出されたわけですが、結局、高レベル核廃棄物を大量に積み上げるだけになってしまいました。原爆の出現によって世界大戦の再発は止まったわけですから、原爆の意味は十分にあったのです。しかし、原子力発電所は別の話です。

 原子力発電は、既に他の発電方法よりも高コストであると明らかになっていますし、現在まだコストと考えられていない側面、つまり、日常的に環境中に排出されるトリチュウムなどの毒性や、冷却水による海水温暖化や海洋生物の減少を考えれば、既に原発は合理的なものではなくなっているのです。

 エネルギー問題を言うのであれば、既にドイツで地熱発電が商業的に実現されていますから、世界中で地熱発電をやることで十分に対処できるはずです。

 武力による優位性を確保するための原爆の保持も、既に本当に必要性があるとは思えません。

 現代の人間は、単に生存のために互いに争うという段階にあるのではなく、本来、人間という存在はどうあるべきなのかという問いに答えるべき段階にあるのです。

2015年2月18日22時50分 武田信弘 ジオログ(http://geocities.yahoo.co.jp/gl/taked4700)はヤフーブログ(http://blogs.yahoo.co.jp/taked4700)へ移行しました。CN:13153 SN:3488