公正世界仮説
週刊エコノミストの1.27号の「闘論席」というコラムに公正世界仮説というものが紹介されています。世界は公正なものであるはずだという仮説というか、一種の思い込みが存在し、それが勧善懲悪の思想を生み、また、「たまたま事件や事故に巻き込まれた被害者については、『被害に遭うべき理由があったはずだ』と短絡的に不幸をこじつけ、あら探しをしたりもする」ということです。確かに、こういった「安易な論理の飛躍には気を付けたいもの」です。
ただ、なぜ、公正世界仮説というものが出てきて、それがかなり広く信じられているのか、それが何となく引っかかっています。
多分、生物の宿命、または、それこそが生命の意味ではないか、とは考えられないでしょうか。
生まれたばかりの生命がかわいいのはなぜかという問いの答えは、その段階の生命が自立できないからだと言われています。他者に頼るしかないため、他者を引き付ける魅力としての「かわいらしさ」を身に着けているという意味です。このことは、別の視点から言うと、成熟した生命は、そういったかわいらしさを魅力と感じて、その対象を保護するということでしょう。そうやって、成熟後に訪れる自らの死を乗り越えるわけです。
公正世界仮説とは、人間を含めた生命がこの地球で生きていくことの過酷さを克服するために必要だったのではないでしょうか。今の生活は悲惨だが、やがて公正さが実現されるという信仰が、現在の悲惨さを乗り越える心の糧になるわけです。
そして、このことを一歩進めると、公正な世界を作ることこそが生命の意義、存在証明ではないのかと考えることは多分かなり自然なことではないかと思います。
しかし、当然ながら、何が公正かという問題が常に付きまといます。ただ、少なくとも自己の利益を追求することがそのまま神の与えた使命なのだという考え方は、多少、注意が必要だということになると思います。他者の存在は必ずあるわけですから。
2015年2月6日19時50分 武田信弘 ジオログ(http://geocities.yahoo.co.jp/gl/taked4700)はヤフーブログ(http://blogs.yahoo.co.jp/taked4700)へ移行しました。CN:12210 SN:3479