社会は大規模に操作されている

 たびたび社会は大規模に操作されているなと思うことがあります。報道に上ることは、ある意味ウソばっかりになりつつあるのではないでしょうか。

 フランスの風刺漫画新聞社のテロ自体がとても不自然だし、そのテロに抗議してのデモも300万人以上が参加したというが普通ではありえないと思います。

 僕自身の経験として、非常に大規模にサブリミナル効果を使った個人や一般市民へのマインドコントロールが行われていると考えざるを得ないのです。2011年の埼玉知事選の時、自分はかなり原発事故について核心をついた街頭演説をやり、また東電OL殺人事件についてその不自然さを指摘する選挙ポスターを貼ってその前で街頭演説をしました。しかし、選挙戦後半になってからは、まるで自分の姿が通行している人々には見えなくなっているのではないかとさえ考えざるを得ないほど、人々の反応がない状態が続いたのです。

 多分、このことの背景には単にテレビとかインターネットを介したサブリミナル効果だけでなく、他の要素もあるようです。一つは、電磁波により、様々な体調コントロールが出来ることです。2011年の埼玉知事選のあと、指宿に帰ってきた時、レンタカーを使いました。自宅にあと数十分程度で着くだろうという時、便意がし出したのです。色々な書類を入れたバックがあり、それを車に残してコンビニのトイレに行くのは嫌でした。大きなバックを抱えてコンビニのトイレに入るのも嫌で、何とか自宅まで我慢が出来ると考えて自宅のすぐ手前まで来ました。ところが、自宅のすぐ前の空き地にレンタカーを止めたとたんに、一気に便が出てしまったのです。レンタカーの座席を汚すことはありませんでしたが、とてもひどい目にあいました。

 同じようなことですが、母を連れて温泉にほぼ毎日通っていた時、温泉に着く直前になって母がトイレに行きたいを言い出すことが続いたことがあります。母はしっかりした方で、車に乗っているときにそういったことがないように事前に注意をすることが出来ていたはずなのです。

 もう一つは、専門職の信頼性のなさです。信頼性がないとは、例えば医師にリモコン装置が付いていたり、またはいろいろな機器が遠隔操作されているはずだということです。2007年の埼玉知事選の前、指宿から埼玉へ移動しようとしていた矢先、母の体調がおかしくなりました。片足の親指の付け根がはれ上がり、歩けなくなったのです。同時に首も筋肉痛のようなものが出てきて動かせなくなりました。病院へ行くと痛風の血液検査をやられ、尿酸が多いと言われました。機械から印刷された用紙には確かに尿酸値が高いことが示されていたのです。しかし、その頃、母も僕も痛風になるような食事は一切していなかったのです。また、その時に痛風用にもらった処方箋は使わず、薬を飲むことはしなかったのにもかかわらず、選挙戦が始まる前に母の体調は回復しました。結果的に、選挙の準備がほとんどできないまま選挙に臨むことになりました。同じようなことは、2010年の春日部市議選の時にも起こりました。

 1991年のことだと思いますが、母が家庭菜園を借りて作った野菜を朝フライパンで炒めて食べようとしたら、途端に吐いてしまうことがありました。食用の菜の花のような野菜で、それまでも何回も同じ調理方法で食べていたものでした。確か、母が食べる前に僕がそれを口にし、少し噛んだだけで吐いてしまったと思います。おかしいので、医者に行くことにしましたが土曜日か日曜日で休日当番医しかやっていませんでした。そのため、その医院へ確かタクシーを使って行ったのです。当然、その炒めた野菜をお皿のまま持参しましたが、医師は頓服を処方しただけで何もしませんでした。夏場でしたから、本来なら、食中毒を疑い保健所へ検査に出すはずのものですが、そうはしなかったのです。このことには後日談があります。1994年ごろ、非常に数多く自分の身近でおかしなことが起こり出したので、その医院へもう一度かかり、いつ食中毒の診断を受けたかを確認しようとしました。単にいつ診察を受けたかを聞くのは気がひけたので、新たに気持ちが悪くなるという口実をつけて診察を受け、以前かかったことがあるがいつだったかを知りたいので以前のカルテを見てくださいとお願いすると、その日のカルテを既に書いていたのに、以前のカルテは手元にないと言い出したのです。普通カルテは5年保存であり、その医院は市内のそう遠くない場所にありましたから、1991年のカルテをどこかにしまってしまうこと自体があり得ないはずなのです。

 2002年のちょうど今頃、多分夜の11時ぐらいのはずですが、自分が定時制高校の勤務から帰宅すると、母がトイレで血を吐いたと言ったのです。見たところ特に顔色も悪くなく、普通に話し動けるのですが、かなり大量に血を吐いたということでしたので、病院へすぐに行くことにし、自分が車を運転して緊急医療をやっている大きな病院へ連れて行きました。結果的に胃に出血をしているということでした。胃カメラで胃の内部に血液が溜まっている写真も見せていただきましたが、胃壁そのものは大変に綺麗なものでした。しかも、母はその後1週間以上ICUへ入れられ、面会もできず、多分母自身もベットから起きることを禁止された状況にされたのです。この時期は、前任校で入試不正をやった書類の保存期限である5年が過ぎる時期で、自分は証拠保存を裁判所へ申し立てようかと考えていた時期でした。結果的にこの事件があったため、選抜会議の記録などの証拠保存の申立てはやれませんでした。

 同じ病院で1988年の6月、母は大たい骨の人工骨とうの入れ替えの手術を受けました。それまでゲートボールを元気にやり、特に股関節の痛みを感じている様子はなかったのですが、ゲートボールをやっている最中に急に痛みを感じ歩くことが出来なくなったということでした。手術そのものはとてもうまく行き、執刀した医師の方もとても良い方でした。ところが、その医師がその後いなくなってしまったのです。しかも、他の病院へ務めるのではなく、いわゆるパートタイムの形でいろいろな病院を渡り歩いているということでした。この人口骨とうの入れ替え手術の時、「何か事故があっても文句を言いません」のような確認書を渡されていて、自分はそれを書かずにいたのですが、その医師はそのことについては何も言わずに手術をやってくれていたのです。そして、この手術をやっていただいた病院にその後10年以上、母は股関節のことで診て頂いていたのですが、不思議なことに、10年間以上、レントゲンを撮るでもなく、単に様子を見るということが続けられたのです。母は1915年生れで、1980年に大たい骨骨折をやっています。8年目に骨とうの入れ替えは不自然ではないということですが、それなら、1995年ごろには再度の入れ替えをやっていて良いはずでした。1995年のころは、母はつえを使えばかなりゆっくりではありますが、自分ひとりで平地を歩くことは十分にできていたのです。2000年近くになり、どんどん足の様子がおかしくなるので、なぜレントゲンを撮らないのかとこちらで聞き、やっと検査をすることになりましたが、時すでに遅く、人口骨とうを組み込むための骨の組織があまりに薄くなっているので入れ替えは無理だということでした。1988年、埼玉新聞で埼玉県東部の県立高校で入試確約をやっていたという報道がされていました。長い間、1988年の6月に母が股関節の痛みを急に訴え出したのは単なる偶然かと考えていたのですが、最近になって、このこと自体が故意に仕組まれたものではないかと考えるようになりました。そう考えないと、手術を担当した医師がまだ40代、またはせいぜい50代なのに、正式な病院勤務で無くなったことの説明が付かないからです。

 1983年2月から5月に放送された「金曜日の妻たちへ」とか、1993年1月から3月の「高校教師」はサブリミナル効果を使ったマインドコントロールのロールモデルとして使われたはずで、特に「高校教師」は県立高校への入試不正が本格化する時期にあたっていました。1993年2月に中学校現場での業者テストが全国的に禁止になり、これ以降、中学の成績評価が相対評価から絶対評価へ、県立高校への推薦入試大幅導入、大学でのAO入試増加など、入試の不透明化が組織的に進んで行ったのです。

 戦後中国の発展を大きく阻害した文化大革命は1966年から76年ですが、1965年までに中国の主な都市でテレビ放送が開始されています。カンボジアでのクメールルージュの大虐殺は1976年から78年ですが、やはりこの時期のほぼ直前にテレビ放送が開始されています。どちらの事件も外部への情報発信があまりされない環境で大規模なマインドコントロールが行われていたようです。

 現在では、インターネットや監視カメラの技術進歩により、いつでもどこでも、誰に対しても、どのような規模でも、やる気になればマインドコントロールを相当な程度まで出来るようになっているのだと思います。問題は、マインドコントロールが自然なものに見えるような環境、きっかけを用意できるかどうかです。しかし、ある意味、そういったきっかけそのものをマインドコントロールで作り出すことが出来るわけで、ある意味、こういった工作をやる側は神に等しい権力を得ているのです。

 問題は、神の動機が利己的であることです。

2015年1月17日21時15分 武田信弘 ジオログ(http://geocities.yahoo.co.jp/gl/taked4700)はヤフーブログ(http://blogs.yahoo.co.jp/taked4700)へ移行しました。CN:9754 SN:3464