本来合理性は人びとが平等な関係にあるという前提であるなしを判断できるものです。社会一般に取って合理的なものは社会一般に取って正しいと言っていいわけで、これは単に合理的であるだけでなく、社会一般に認められた価値があるものだということになります。
サブリミナル効果によるマインドコントロールがどんどんと行われるようになると、今度は、こういった価値設定自体をサブリミナル効果によって成し遂げようとする可能性があります。例えば、子供に、「自分はバイオリンを演奏することが好きであり、自分はバイオリンの名手になる」というサブリミナル効果をかけ、実際にその子供がバイオリンの名手になったとします。ここで、その子供自身がサブリミナル効果を使われていると知っているとか、保護者が承諾していると言ったことは問題ではありません。事前了解があるにしろないにしろ、サブリミナル効果そのものが自己目的化しているのですから、例えば、キリスト教徒が生まれた子供に洗礼を受けさせるように、親が自分の子供にサブリミナル効果によるマインドコントロールを受けさせるという習慣・宗教、または法律ができてしまう可能性さえあるのです。
何が価値のあることかということもサブリミナル効果によって決定され、例えば、手足の指の爪をなるべく長く伸ばしたものが優れているとされることだって起こり得るのです。自分である程度の労働をすれば、爪はある程度短い方が有利です。爪が長いということは労働をする必要がないという意味であり、それは優れたものの証拠であるという意味付けが可能です。しかし、こんなことは普通なら成立しません。そもそも、だれであれ日常生活を送るためにも爪はある程度短い方がいいからです。ところが、サブリミナル効果によるマインドコントロールが行きつくところまで行くと、一部の人間が勝手に価値そのものを決めてしまうので、こういったことが起こり得るのです。
一方的な支配関係は、しかし、価値の無意味化を招きます。次回は価値の無意味化についてです。簡単に言えば、どんな時に本当に自分に価値があると感じるかということです。次回が最終回です。
2014年1月5日22時00分 武田信弘 ジオログのカウンターの値:40988