そもそも第2次世界大戦の敗戦国であるドイツ、イタリア、日本がなぜ原爆製造に結びつく原発導入を出来たのか。答えは1953年のアメリカによるAtoms for Peaceという政策だ。表面的には原子力の平和利用をうたったものだが、現実にはソ連の核爆弾保有の優位性に対してヨーロッパの資本主義国家に核武装を広める必要があったからだ。ソ連はアメリカに先駆けて1953年に水爆実験に成功する。その当時、アメリカは大陸間弾道ミサイルをまだ実用化できていなかった。広大な国土を持つソ連をアメリカから直接攻撃できないわけで、そのためソ連に近いヨーロッパの国々へ原爆保有をさせる必要があったのだ。イギリスが核兵器の実験に成功するのが1952年でありフランスは1960年だ。Atoms for Peaceという政策は表向き原子力発電所という平和利用をうたっているが、ウランの採掘や輸入、そして原発を使ったプルトニウム生産を行い、これらの国々に原子爆弾を大量に保有させることが目的だった。原爆技術も実質的にアメリカからこれらの国へ伝わった。イタリアは調べることが出来なかったがドイツもアメリカから原子力発電技術を導入している。日本もアメリカからの誘いで原子力発電をこのころに開始している。1953年に中曽根康弘がキッシンジャーからの誘いを受けてアメリカの原子力発電施設を見学しているのだ。
つまり、イギリスやフランスという第2次世界大戦の戦勝国でアメリカと同じ資本主義の国々に核武装をさせるためのカモフラージュとしてドイツやイタリアへの原発導入がされたということだ。もちろんこれには第2次世界大戦のきっかけになった原油の争奪のようなことが起こらないように、夢のエネルギーである原子力を使おうという意義付けがされていた。ただし、これはあくまで口実だ。なぜなら、そのころから50年以上がたった現在でも核廃棄物の処分は出来ていないからだ。更に、もし地震などが起こった場合の安全性もほとんど検証されていない。このことはチェルノブイリ原発事故の経緯を見ることで分かる。
チェルノブイリ原発事故は当初運転員の操作ミスが原因とされ、次にもともと原子炉の設計に無理があったとされた。そして、原子炉直下で小さい地震が起こったことが原因だと言う説が出されていったが政府によって公式に検証されることはなかった。しかし、チェルノブイリ周辺の地震計で小さな地震が観測されていたことは事実であるようだ。
事実として原発直下で地震が起き、それが過酷事故に結びついている可能性があるのに、なぜその検証が行われなかったのか。これには多分二つの理由がある。ひとつは原発が直下型の地震にこんなにも脆弱だということを明かしたくないこと。もうひとつは揺れの原因が地震ではなくて爆破であるからだ。事件関係者は事故当初、責任のなすりあいをしようとしていたはずだ。当初運転員の操作ミスとされたのはすでに事故で亡くなっている運転員の責任にすることが最もたやすかったからだろう。地震については当時ソ連内で建設されていた多くの原発に影響が及ぶから内密にしておこうという話がされ、多くの関係者がそれに同調してしまったのだろうと思う。
ゴルバチョフの登場からソ連崩壊とプーチンによるロシア支配までを振り返ると、ゴルバチョフの登場自体がアメリカの情報機関によってお膳立てされていたように思える。ゴルバチョフがソ連共産党書記長に就任したのが1985年。この時代、アメリカの大統領はドナルド・レーガンで1981年から2期8年にわたりレーガノミックスという富裕層優遇の税制と軍備強化による対ソ連での軍備面での優位化政策をとっていた。ソ連はこのアメリカとの軍備競争と1979年から始まるアフガニスタン紛争への派兵によって経済的にかなり行き詰ってしまっていた。そこへ登場したのがゴルバチョフであり、アメリカとの軍備競争をやめ、不能率な計画経済からある程度個人の自由を認めた社会主義経済への移行とある程度の情報公開をやろうとしていた。つまりそれまでの共産主義一辺倒で共産主義体制を維持するためなら経済的な苦しみも思想統制も一般市民へ平気で強いるタイプのリーダーから単なる自由競争を認めることはしないが一般市民の生活自体を大切にしたいというリーダーへ変わったことがゴルバチョフのソ連共産党書記長就任の意味なのだ。