マインドコントロールの実際

 非常に多くの方がマインドコントロールの実際についてあまりに無理解だと思う。といっても自分がその専門家であるわけではなく、多少自分自身がそういったコントロールの対象になった経験があり、権力と対峙してきている中でマインドコントロールの悪質さをある程度は理解してきたので、少なくとも一般の人たちよりは知っていると言うに過ぎない。

 自分がマインドコントロール、いわゆる催眠術にかけられているなと気が付いたのは平成10年か11年の秋ぐらいだったと思う。僕のブログを読まれている方は分かっているはずだが、僕は平成のはじめごろから自分の勤めていた埼玉県立高校での入試不正などを始めとしたさまざまな不正の告発をやっていた。平成の5年ごろからそういった関係で非常に対立がひどくなり、さまざまな証拠品を僕は大きなバックに入れて常に持ち運ぶようになっていた。授業をするときも教室へそのバックを持っていって、窓際の高い場所へ置いておいたりしていた。バックにはナンバー合わせ式の南京錠がかけてあり、その南京錠自体も古い雑誌のページの紙を接着剤でくっつけてほぼ完全に南京錠をいじくれないようにしてあった。バックの中にはいくつか重要な書類がありそのひとつが入試不正の直接的な証拠である選抜会議資料だった。入学定員の3割から5割近くが合格確約扱いになっていることを示す書類で入試不正の動かぬ証拠と言っていいものだった。だから、本当に必要なときが来るまで、自分は南京錠を決してはずさないようにしていた。ところが平成10年か11年の秋ぐらいに、どうも中身をあけて確認したくなったのだ。何もはっきりした理由はない。何年度の誰が不正合格だったかはそのころはっきり覚えていていちいち確かめる必要がなかったし、そもそも紙の証拠があること自体僕は誰にも伝えていなかった。ただし、幾人かの名前を記憶していただけで、全員を覚えていたわけではない。何人か特徴的な生徒がいて、彼らのことを覚えていたというに過ぎない。ともかく中をあけて確かめたいという欲求が抑えきれなくなり、南京錠をはずして資料などを確認した。そして、その次がやはりおかしかった。南京錠を紙で覆うことをせず、しかも自宅の玄関に放置することをやってしまったのだ。それ以前は眠るときも枕元に置くようにしていた。それがなぜか、わざわざ重たいバックを部屋の中まで運ぶ必要はないという気持ちが起き、帰宅後は玄関の下駄箱のすぐ横に放置するようになったのだ。そういった状態がしばらく続き、やっとおかしいと気が付いて中身を確認すると選抜会議資料は見事にすり替えられていた。確かに実在する生徒の名前が載っているのだが、年度が混じっていたりしていてすぐに本物ではないと分かるシロモノだった。そのほかのいくつかのものもなくなっていた。 僕はその間特に変わった生活をしていたわけではない。普通にテレビを見、普通に食事をして、普通に仕事をしていただけだ。誰か特殊な人と話をしたとか言うことはなく、催眠術をかけられるような状況にあったわけではない。唯一可能性があるのがサブリミナル効果だった。テレビで仕掛けられたか、または通勤時のカーラジオか、または睡眠時の枕もとの音か、その他まだあるかもしれないが、ともかく明示的な催眠ではなく、気が付かないうちに動機付けがされたのだ。

 日本でサブリミナル効果というと視覚的なものしか言われない傾向があるが、聴覚に訴えるものもある。視覚にしても聴覚にしても要するに明示的なメッセージでなければサブリミナルメッセージと考えていい。態度とか雰囲気で何かが分かるということがよくあるが、これも一種のサブリミナルメッセージで、意識的にコミュニケーションされている以外の全体的な情報を受けてとめる能力が生物には備わっている。つまり、言葉などで明示的に表現されたものではない、自然に備わった全体的な情報を読む能力が人間を含めた生物には備わっていて、それは長い進化の過程で形作られてきたものだということだ。

 だからサブリミナル効果をマインドコントロールに使うというのは、本来環境を読み解くために人間に備わった非常に貴重な能力を、悪意を持った他人が騙し取って、悪用していることになる。

 現代のマインドコントロール手法は非常に巧妙になってきていて、サブリミナルメッセージを、あらゆる種類のディスプレイに仕掛けられるし、かなり離れた場所から特定の人の耳元に小さな音で響かせることも可能になっている。また鏡などにもそういった仕掛けが可能になっているはずだ。