つまり、日本のバブル経済も急激な所得減税も元をたどれば1985年のプラザ合意を契機とした円高ドル安に行き着き着くのだ。
 
 プラザ合意はレーガン政権下で行われた。レーガン政権は、富裕層に対する大幅な減税で富裕層の消費意欲や投資を引き出し、同時に軍事費の大幅増加による軍備強化で強いアメリカを目指すと言う政策をとった。(背景にはソ連との軍備競争がある。基本的にはアメリカとの軍備競争にソ連は負けて、ゴルバチョフが各兵器削減条約をアメリカと結ぶことになる。ソ連崩壊の下地を作ったのはレーガンによる軍備増強だったとされる。)ともかく、レーガン政権下では、減税と一緒に軍事費を大幅に増額するのだからひどい財政赤字になる。つまり、米国債の大量発行をせざるを得なくなっていくのだ。そして、このころ発行された米国債のかなりの部分を引き受けたのが日本だと言われている。

 日本は昭和40年代の高度成長期から米国債を大量に買ってきた。1960年の後半から1970年代の前半まで、アメリカ政府は太平洋戦争後のベビーブーム世代を大量に社会に受け入れるためやベトナム戦争の戦費調達のため、米国債を多量に発行していて、そのかなりの部分を日本が買っていたはずだ。その時代の為替レートは、固定制で1ドル360円だった。1971年、ニクソンショックと呼ばれるドルの金との交換停止があった時に308円になる。1973年には変動相場制に移行し、プラザ合意があった1985年まではおよそ250円から200円ぐらいで推移する。プラザ合意後は急激に円高になり、1ドル160円から120円ほどになってしまうのだ。

 そして、日本は数十年にわたって買ってきた米国債をほとんど売っていない様子なのだ。なぜ「様子」という言い方になるかと言うと実態がはっきりしないからだ。日本政府の外国為替特別会計のサイトには何年度にどのくらいの額の米国債を買ったかが公開されている。しかし、それさえも売ったかどうかについては示されていないし、そもそもいくらで買ったのかは示されていない。銀行などの民間企業にいたっては、どのぐらいの額の米国債を保有しているかさえ非公開のままだ。

 日本が米国債を売れないのは基本的に円高ドル安が戦後一貫して進行しているからだ。1億ドルの米国債を1ドル360円時代に買うと、360億円かかる。しかし、それを1ドル200円時代に売れば、200億円にしかならないし、ましてや1ドル120円なら120億円、今のように1ドル90円なら90億円にしかならない。

 このような状態を国全体で見ると、日本からアメリカへ車やテレビという品物が行き、アメリカから日本へは米国債という紙(証券)が来るということになる。米国債はすでに電子化されていて、紙の現物はないから、紙が来ることさえなく現実には銀行のコンピュータにデータとして数値が現れるだけだ。

 更に、1980年代末のバブル経済時代、日本は盛んにアメリカの不動産を買ったが、そのほとんどすべてで巨額の損を出している。典型的な例が、三菱地所によるロックフェラーセンタービルの買収で、2200億円ほどで買ったものを不動産自体の値下がりとドル安が進行したためもあり、1600億円ほどで売却したといわれている。