土屋義彦は、ある意味、田中角栄以上に利権をむさぼった人物。
田中角栄は、それなりに、社会に貢献し、利益の一部を懐するという手法だった。日本改造論は、田中角栄自らの幼少期の体験である、地方の経済的貧しさに裏打ちされたもので、冬季、雪に閉ざされた東北地方の生活改善を目指したもの。もちろん、それに伴って開発利権を独占し、様々な地元企業を起こしていったのは周知の事実。
しかし、土屋義彦はとてもそうは思えない。自民党政治は、基本的には日本を平和的に発展させると言う基本を守ってきた。実質的に金権政治ではあったが、基本的には首都圏・地方の均衡ある発展が保証されていた。しかし、埼玉県知事としての土屋は、そう言った自民党政治とは決別した政治を行った。事実、土屋義彦が埼玉県知事選に出馬した際、当時の自民党最大派閥平成会会長金丸信、埼玉県選出衆議院議員山口敏夫、埼玉自民党県議団長佐久間実の反対に会い、自民党を離党している。そして、土屋の選挙戦を支えるために埼玉県内の市町村議員団が組織化されていく。対するのは、社会党・共産党から支持を受けて1972年から5期20年知事を務めた畑和革新知事。ところが、畑和は、埼玉土曜会事件が表面化して、知事選出馬を辞退してしまう。埼玉土曜会事件を中心になって追求した一人が、当時の埼玉高等学校教職員組合(連合系)書記長の田島俊男。つまり、土屋義彦は、自民党からも社会党からも知事出馬を反対されていたのに、いわゆる草の根レベルの応援を得て、埼玉県知事になったと言える。この辺の事情は、2001年の自民党総裁選挙での小泉純一郎への党員票の集まりと似ているように思う。
そして、何より重要なことは、この時期、埼玉県には、国鉄大宮操車場跡地開発が首都機能移転問題と絡んで、巨大な利権としてあったことだ。土屋義彦の知事在任中、それまでの県債残高8000億円が退任時には約3兆円に膨れ上がる。残ったのは、膨大な借金とさいたまスーパーアリーナなどの巨大な箱ものだ。例えば、大宮操車場跡地開発については次のような記事もある。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%9C%89%E9%89%84%E9%81%93%E6%B8%85%E7%AE%97%E4%BA%8B%E6%A5%AD%E5%9B%A3よりコピー)
>大宮操車場跡地や新鶴見操車場跡地は「自治体が公共の用に供する」として安く譲渡されたが、それらの土地はさらに民間に売却され、「民間が巨大な優良地を安く手に入れるために公共団体をトンネルとして利用した」と指摘された。
また、中学現場での校外模試禁止を全国に先駆けてやったのも土屋義彦。それを見て当時の鳩山邦夫文部大臣が全国的に中学校での校外模試を禁止した。また、公立校校への推薦入試を大幅導入したのも土屋義彦。その際、全県的に同一の内申書評価方法を提案した埼玉県教育委員会に「人格を数値化するのはおかしい」と言って数値化を止めさせたのが埼玉高等学校教職員組合の書記長田島俊男。そのため、数値化ではなくて段階付けという実務的には全く同じことが各高校別のやり方で行われることになった。しかも、その後、この方式が全国へ広まっていく。
つまり、土屋義彦がやったことは、ある意味、教育界の小泉改革と似ていて、一見、教育の充実を図るように見せかけ、実際には教育制度の恣意的な運用を許し、組織だった不正を招くような制度改悪だった。
また、非常に興味深いことに、土屋の知事選出馬に反対した自民党勢力がことごとくその後刑事被告人となり失脚していくのだ。金丸信、山口敏夫、佐久間実の三人ともだ。
田中角栄は、それなりに、社会に貢献し、利益の一部を懐するという手法だった。日本改造論は、田中角栄自らの幼少期の体験である、地方の経済的貧しさに裏打ちされたもので、冬季、雪に閉ざされた東北地方の生活改善を目指したもの。もちろん、それに伴って開発利権を独占し、様々な地元企業を起こしていったのは周知の事実。
しかし、土屋義彦はとてもそうは思えない。自民党政治は、基本的には日本を平和的に発展させると言う基本を守ってきた。実質的に金権政治ではあったが、基本的には首都圏・地方の均衡ある発展が保証されていた。しかし、埼玉県知事としての土屋は、そう言った自民党政治とは決別した政治を行った。事実、土屋義彦が埼玉県知事選に出馬した際、当時の自民党最大派閥平成会会長金丸信、埼玉県選出衆議院議員山口敏夫、埼玉自民党県議団長佐久間実の反対に会い、自民党を離党している。そして、土屋の選挙戦を支えるために埼玉県内の市町村議員団が組織化されていく。対するのは、社会党・共産党から支持を受けて1972年から5期20年知事を務めた畑和革新知事。ところが、畑和は、埼玉土曜会事件が表面化して、知事選出馬を辞退してしまう。埼玉土曜会事件を中心になって追求した一人が、当時の埼玉高等学校教職員組合(連合系)書記長の田島俊男。つまり、土屋義彦は、自民党からも社会党からも知事出馬を反対されていたのに、いわゆる草の根レベルの応援を得て、埼玉県知事になったと言える。この辺の事情は、2001年の自民党総裁選挙での小泉純一郎への党員票の集まりと似ているように思う。
そして、何より重要なことは、この時期、埼玉県には、国鉄大宮操車場跡地開発が首都機能移転問題と絡んで、巨大な利権としてあったことだ。土屋義彦の知事在任中、それまでの県債残高8000億円が退任時には約3兆円に膨れ上がる。残ったのは、膨大な借金とさいたまスーパーアリーナなどの巨大な箱ものだ。例えば、大宮操車場跡地開発については次のような記事もある。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%9C%89%E9%89%84%E9%81%93%E6%B8%85%E7%AE%97%E4%BA%8B%E6%A5%AD%E5%9B%A3よりコピー)
>大宮操車場跡地や新鶴見操車場跡地は「自治体が公共の用に供する」として安く譲渡されたが、それらの土地はさらに民間に売却され、「民間が巨大な優良地を安く手に入れるために公共団体をトンネルとして利用した」と指摘された。
また、中学現場での校外模試禁止を全国に先駆けてやったのも土屋義彦。それを見て当時の鳩山邦夫文部大臣が全国的に中学校での校外模試を禁止した。また、公立校校への推薦入試を大幅導入したのも土屋義彦。その際、全県的に同一の内申書評価方法を提案した埼玉県教育委員会に「人格を数値化するのはおかしい」と言って数値化を止めさせたのが埼玉高等学校教職員組合の書記長田島俊男。そのため、数値化ではなくて段階付けという実務的には全く同じことが各高校別のやり方で行われることになった。しかも、その後、この方式が全国へ広まっていく。
つまり、土屋義彦がやったことは、ある意味、教育界の小泉改革と似ていて、一見、教育の充実を図るように見せかけ、実際には教育制度の恣意的な運用を許し、組織だった不正を招くような制度改悪だった。
また、非常に興味深いことに、土屋の知事選出馬に反対した自民党勢力がことごとくその後刑事被告人となり失脚していくのだ。金丸信、山口敏夫、佐久間実の三人ともだ。