「映画『愛ちゃん物語』が新しいわけ」
〜鬼才・奇才・喝采〜
これは新しいぞ!と思う映画を観た。『愛ちゃん物語』という東京藝大の油絵専攻の学生が監督・脚本・プロデュースした自主映画である。監督の名前は、大野キャンディス真奈。『歴史から消えた小野小町』という短編映画でいくつかの賞をとった後の第2作である。東京、大阪、名古屋などの劇場で公開された。名古屋シネマスコーレでの公開初日に観た。10月28日(金)まで16時30分から上映している。27日と28日は監督の舞台挨拶もあるようだ。
さて、その作品が、新しいと思う要素は3つある。
1つは、監督キャンディスが、なかなかに常人ではないことだ。作品中に何度か出演してくるがその「鬼才ぶり」は、少なくとも私好みのど真ん中を行っている。尊敬する。
2つ目は、「愛」などという壮大かつ普遍的なテーマを扱いながら、まったくななめ上のような解決や行き先を準備しているところがキャンディス真奈を「奇才」だと思わせるゆえんである。
3つ目は、「ゲイ」の作品の中での扱い方が令和初期の「現在」のジェンダーのあり方を象徴的に表しているところが新しい。たぶん、30年もすれば、このゲイの捉え方はとんでもなく古いものとなるであろう(そういう意味ではジェンダーに関する記念碑的作品でもある。)ことも計算し尽くして、ゲイを「肯定的」「否定的」を乗り越えてプロデュースしているのは大野キャンディスのやりたかったことの一つではないだろうか。「それも、『愛』なんだよね〜」という監督の声が聞こえるように思う。
そんなことを感じながら、名古屋のシネマスコーレという小さな映画館を出た時、ゲイなのか女装家なのか、私には判別できない大人が、映画館を出て曲がり角で両手を顔に当てて泣き始めたのが目に入った。
「うん?」「ああ、そうか。」と合点した私は、しばらくその後ろ姿を見つめていた。ひとしきり泣いた後、名古屋の駅裏のキラキラまぶしい巷に涙を拭きながら去っていくその方に、「お茶でも飲みますか」と語りかけたい気持ちになったのは、間違いがない。
そんな映画だった。ありがとう、カントク!喝采!


