たけちゅうの趣味のひとつに、「ラジオの手作り」(その筋では「自作」と呼ぶ)がある。
外国の放送が聴けるラジオ(BCL受信機)で、
「なんでそんなモンを作るのか??」とお思いだろうが、趣味なので仕方ない。
子供の頃から、休み休みながらも、数十年続けている。
この趣味の最終目標は「32万えんのラジオ」を作ることなのだが、それについては別の機会に譲って、
最近、この「自作」をめぐって、考え込んでたことがある。
近年、ラジオの技術動向が、とんでもなく変わった。
要は「デジタル化の波」が押し寄せてきたのだが、その変わりっぷりがとてつもない。
「安い! 小型! 高性能!」
おそらく、今まで市場にあった「アナログ技術のラジオ」は、
あと数年もすれば一掃され、絶滅してしまうだろう。
大昔にも、真空管が半導体に取って代わられたという大変革があった。
「トランジスタ・ショック」と呼ばれ、当時の電気界・自作界は、一瞬にして激変したそうだ。
”太古の恐竜が、隕石落下で絶滅した”事に例えられることもあるのだが、
おそらく今回も、それぐらいのインパクトはあるだろう。
で、たけちゅうとしては、「いまいち、おもしろくない」と感じていた。
デジタルやソフトウェアは、むしろ得意分野なのだが、
趣味として捉えると、あんまし、おもしろくないのである。
デジタルの分野は既に高度化され、ブラックボックス化されている。
それはそれでベンリで、工業として考えれば正解なのだが、
自作(=趣味)の立場からすると、ブラックボックスは面白くない。
ブラックボックスは、「人様の作ったもの」であって、自分で作ったものでないため、
それで自作をしても、いまいち「自分で作った感」(なしとげた感)が少ないのだ。
かといって、「趣味なので、アナログに固執して作り続ける」というのも、違う気がする。
もっと良いものが世にあるのに、それに目を背けるのも、悪い意味での懐古主義な感じがする。
じゃあ自作をやめるのか? と言うと、そうでもない。
デジタルハードウェアはブラックボックス化されたが、
それを支配するソフトウェアは、自分で作れる。
まだ創意工夫をする必要はあるのだ。
ここまで考えて、自分の中での「自作」の定義を、改めて考えてみた。
自作といっても、本当のゼロから何もかもを作っているわけではない。
自分が買ってきてるトランジスタだって、
「岩石を掘り起こして、材料のシリコンから自分で作る」わけでもなく、
アルミケースだって、「アルミニウムを精製するところから」とか考えないし、
そんな事をしたいとも思わない。
じゃあ、「どこから自分で作れば自作なのか?」(気が済むのか?)という疑問に当たる。
自分の中で、今までの自作の定義は「ハードウェアを、自分で作る」だった。
が、「ハードウェアの、どこから作るの?」という定義は、かなり難しいと思った。
で、よりしっくり来た自作の定義はこうだ。
「自分で作りたいと思うものを完成させれる手段・知識・スキルを、習得し支配下に置く。
そして実際に作って実現する。」
ハードウェアが云々、という話は、実は少し違ってたように思う。
「デジタル化の波」で、舞台はハードウェアからソフトウェアに移ってきた。
今まで「マイコンボード(コンピュータハードウェア)から自分で作らないと自作じゃない?」
とかいう迷いがあったが、
「マイコンボード(ハードウェア)は、市販の安価・高性能なのを買って来て使おう。
ソフトウェアを創意工夫して、それで作りたいものが実現できればOK」
と考えれば、気が楽になったし、むしろそっちの方が、自作の本質が実現&楽しめそうな気がしてきた。
それでも、アナログハードウェアの担う部分は、減ったとはいえ消滅することは無いし、
今まで通り、ハードウェア製作も十分楽しめそうではあるけどな♪(悦)