酒徒大学東京
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東京の気仙沼人として、生島淳さんの手記を読む

「気仙沼で生まれた自分にしか 話せないことがあると思うから」

TBSの「調査情報」に、気仙沼出身のスポーツジャーナリスト生島淳さんがこう題した手記を寄せています。

読んでから一週間経ちますが、文章がまったく頭から離れません。そこに記された彼の気持ちや想い、行動が、驚くほど自分と重なるのです。



例えば、生島さんはこう書いています。



3月11日、私は新宿で地震に遭遇し、徒歩、バス、急遽購入した自転車を漕いで自宅まで帰った。夜の7時半過ぎだった。生まれ故郷、気仙沼が火の海になっている映像を見たのは9時前後だっただろうか。火災の映像を見て、気仙沼は全滅するのではないだろうかと思ったし、逃げ場をなくした知り合いが苦悶するところまで想像した。

(中略)

自衛隊のヘリコプターから撮影された火災の映像は、ニュースバリューは大きかったし、必要だったと思うが、あの映像のせいで気仙沼で生まれ育った人間がどれほど精神的な傷を負ったか、そこまで想像力を働かせた人はいるだろうか。火災映像は間違いなく「凶器」だった。

 

私は、あの映像を、自宅で見ました。2時ごろだったでしょうか。あんなにきれいな、美しい、私の宝物である気仙沼が、一瞬にして消えてしまったと思いました。家族全員が死んだかもしれない。もしかしたら一人になったかもしれないと。



そう。私も、生島さんと同じように精神的な傷を負いました。あの映像は「凶器」でした。

自分ではそう感じていなかったのかもしれませんが、改めてこう指摘されると、まさにそうだったと言うほかありません。



続いて、彼は、こう書いています。



(自身のレギュラー番組である)『キラ☆キラ』で話すことや、『Number』で書くことによって、私は自分が仕事をすることでそこに「治療作用」があることを発見した。

 

(お姉様が行方不明という)現実を受け入れつつはあったが、とうてい納得は出来なかった。災害という理不尽、しかし対抗するすべもなく、無力感にも支配される。仕事による自己治療を行うためには、問題をパーソナルなことではなく、少しばかり大きなこと、例えば「これから気仙沼をどうしていくか?」ということに転換していくことが必要だった。

(中略)

こうした気持ちはボランティアで被災地入りする人たちのものと、似通っているのかもしれない。



まさに、私もその通りでした。



被災から日が経つにつれ、これまで連絡が付かなかった家族や親類縁者、友人知人の消息が入るようになり、胸の支えがおりる一方で、彼らから寄せられる、食料、水、燃料、医薬品の不足が、大変深刻な状況であるという情報。

そして、東京に住み、日常の仕事をし続けるなかで、周りから寄せられる心配や気遣い、見舞いのことばに感謝しながらも、日常である周りの言動に囲まれるなかで、実際にこの立場になってみなければ決してこの気持ちは理解できないだろうと感じる乖離感。

さらに、自分は実際に罹災した訳ではなく、愛する郷里ではたくさんの人が困窮しているが、その人たちの気持ちも同じように自分には理解できないだろうという、自分の立場。

この3つがない交ぜになって、何も出来ない自分に、歯がゆさ、もどかしさを感じ、早く故郷に戻りたい。地元を知る人間なら何か役に立つ。何でもできる!…と気ばかり高まっていました。

結局、日常の仕事を、自分の仕事をきちんとやることしか、出来ることはない。そんな結論に至りました。

とにかく、目の前の本業(私にとっては本作り)をしっかりやろう。その本業で役に立つものがきっとあるはずだと。

そう決意し、実際に仕事に取りかかってみると、気持ちが落ち着いてゆくのを感じました。そして、それが『震災の法律相談』刊行へとつながっていきました。



同時に、気仙沼の復興のためには、将来を担う人材の育成こそが絶対的に必要だとも感じていました。

4月に気仙沼入りした際、母校である気仙沼高校へ行き、旧知の先生と話したところ、在学生約840人のうち、約220~230名が自宅が被災したと聞きました。

彼らに進学を断念して欲しくない。とりあえず出来ることは・・・と、友人や大学関係者に協力してもらい、辞書、参考書を集め、まとまった数を母校へ送り届けました。

書籍の刊行が重なり、猛烈に忙しい時期でしたが、実はその忙しさに没頭しながら、気仙沼のためになにかするということが、生島さんの指摘の通り自分にとっての治療だったのかもしれません。



生島さんも中高生支援こそが未来の気仙沼復興に欠かせないと、彼らの番組を作るべく、気仙沼高校の後輩たちに囲まれて話を聞いています。そこで、とにかく前向きで希望を持った高校生たちに接し、番組を制作したことによる治療効果は大きかったと書いています。



そして、こうも書いています。



しかし、一方で思わぬことに気付かされた。私は仕事を通して、震災を「追体験」することを望んでいるようだった。

「ようだった」と書いたのは、いまだに推測の域を出ないからである。むずかしい問題なのだが、気仙沼に育った人間にとっては、震災を直接体験していないことが「負い目」になっている部分がある。苦難を共有していない重みが精神的な重圧になっている人間もいるのだ。私もそのひとりで、追体験することで、自分に免罪符を与えているのかもしれなかった。



まさに、私もそのひとりでした。



こうして生島さんから1つひとつ指摘されればされるほど、いかに自分が、故郷の気仙沼が好きなのか、そのことを改めて確認させられている、いわばプロセスのような感じがします。

もちろん、それは地元に対しての負い目と表裏一体です。その大きな理由のひとつは、家意識です。

自分は家の家督、跡取りであり、そうして育てられてきたにも関わらず、いま、東京で好き勝手なことをさせてもらっている。本来ならば、気仙沼で仕事をし、家を守っていなければならないという組み込まれた意識。そのため普段からそういう負い目がありました。

この震災で、その負い目が余計に出ているのかもしれません。

だから、津波を直接体験していないことが負い目であり、追体験をしたがっているとの指摘は、本当にまさにその通りで、気仙沼のために恩返しをしたいと思うのは、故郷との距離を感じるようになってしまっていることの裏返しなのかもしれません。

気仙沼の身内や友人に「おめぇには、あんだには、私の気持ちはわがんねぇ」と言われてしまうことを恐れているとも言えます。



冒頭に述べた、この生島さんの手記が、頭から離れない理由。

それは、やっぱりこの指摘を受けるなかで、自分は本籍、気仙沼。気仙沼は母港。私は東京の気仙沼人なんだということに、改めて気付いたからなんだと思います。



そして、生島さんの手記をこうして紹介しようと思ったのは、東京にいる東京の気仙沼人は多かれ少なかれ、共感できる部分があるのではないかと思ったためです。もちろん、仙台の気仙沼人でも、大阪の気仙沼人でも、香港の気仙沼人でも、パリの気仙沼人でも。

気仙沼を母港としている人間にはこの気持ちがわかるのではないかと。



さらに、この震災で「なにかしたい」「なにかしなくては」と活動をしていただいた皆さんも、思いが重なる部分があるのではと。



震災から半年。いろいろなことが走馬灯のように頭を廻る今日。この手記をもとに、自分に向き合ってみようと思い、筆を執ってみました。

私にとって、気仙沼は母港です。東京で夢に向かって自由に操業してきた身としては、港が痛んだままにしておけるはずはありません。



東京の気仙沼人として、一歩一歩、出来ることから前に進んでいきたいと思っています。



TBSの調査情報502号に掲載されている生島淳さんの手記、ぜひご覧ください。


TBS「調査情報」サイト
http://www.tbs.co.jp/mri/info/info.html



気仙沼で取材されている、JNN三陸支局の龍崎孝支局長、森岡梢記者のルポも掲載されています。

必読です。

【宣伝告知PR】 絵本『みちびき地蔵』が目黒のさんま祭りで販売されます。

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震災直後にyoutubeにアップされ話題となった気仙沼大島の「みちびき地蔵」が絵本になりました。

気仙沼大島観光協会

東京では9月18日の目黒のさんま祭りで、気仙沼大島観光協会により販売されます。定価1,000円。限定200部。

みちびき地蔵は、この震災でお祭りされていたお堂と共に流されました。

絵本の収益は、その復興資金に充てられるそうです(詳細は気仙沼大島観光協会サイトを参照)。

この機会に、どうぞご覧ください。

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目黒のさんま祭りで『巨震激流』販売します。

9月18日の目黒のさんま祭りで、気仙沼・南三陸地域の震災からの日々を記録した写真集 『巨震激流』 を会場限定で販売します(三陸新報社編、定価1,500円)。

この本は、気仙沼・南三陸を知り尽くした地域紙の記者による、震災をめぐる自然と人間の貴重な記録です。

地震発生から津波の到来。穏やかな湾内が海水で溢れ、渦を巻き、川を遡上し街を飲み込む。そして大火災。自分たちの街が、生活の場が一変していくその瞬間瞬間を、記者たちは必死にカメラへ収めました。そんな報道写真の数々と、取材した記者たちの体験。そして、そのファインダーの向こうにいた市民72人の貴重な証言は、全て「事実」「現実」として、読む側に突きつけられます。

今回の震災を考え、それを越えて未来へとつなげるためにも、この記録集、どうぞご覧ください。

当日は10時から限定100冊販売します。

目黒のさんま祭り
日時:2011年9月18日(日) 10時~15時
場所:目黒区田道広場公園
http://sunma.emeguro.com/index.html