先日のダメダメなレストランで、

久しぶりに会った京都の日本画家、

川嶋渉氏のお話。

もともと、川嶋氏とは仕事が縁で知り合った。

その後、展覧会で初めて氏の作品群を見て、
瑞々しくて繊細なタッチと、

はかなくも美しい色使いに魅了されてしまった。

微妙な色のトーンや

画面の膨らみなどで表現された氏の絵は、
淡彩ながら幾重にも層をなした奥深さを有し、

それぞれの作品の前で釘付けになった。

それは写真では決して再現できない、

美の世界であった。

氏は、日本画独特な、

鉱物などから採取する「岩絵具」はもとより、
和紙や筆、墨に至るまでひたすら品質を追求し、

自分の世界を築き上げようとしている。

彼が画題として取り上げるのは、

水面に波打つ水紋や魚、花や猫など、
身近だけれども刻々と表情を変えていくものたち。

はかないものを見つめながら、

その一瞬を心に焼き付けて描き上げるのだ。


そのように、着想から作画まで、

丹念に丁寧に慎重に進めるため、
彼は非常に遅筆な作家でもある。

普通、画家の作品は、

画廊や画商のもとにいくつもストックされている。
それは、価値を生む金の卵だから。

しかし彼は日本画の世界で常識とされている、

画商との付き合いも、
自身の作品世界を守るために拒絶している。

それは、有名日本画家である父親の活動を見てきて、
疑問に思ったことを反面教師としているから。

また、展覧会の為に描き溜めて、

その度ごとに完売してしまうのだから、
ストックなどあるわけがない。

すでにして希少価値をもつ作家となっている彼はある意味、
京都日本画壇の異端児と言っていいだろう。

それは、芸術関係の大学で講師に

30代半ばで就任したという点にも表れている。

年功序列や派閥によって築かれた、

恐ろしく閉鎖的な日本画壇にあって、
ただ一途に作品に目を向け、

後進の指導にも熱心な人は稀だとか。

日本画の世界は作画だけで食べて行くことが難しく、
画家として独立し、

活躍できる人は極めて少ないという厳しさだ。

日本画を志望して入学する人は

それほど少なくはないけれど、
モノになりそうな人は

一握りもいないという状態だという。

近頃はアカデミック・ハラスメントということが

叫ばれるようになり、
学生には平等に接しなければならなくなっているらしい。

それは低いレベルに合わせて

講義や実技を進めるという弊害を生み、
大学が才能を育てる場にはなっていないという。

そんな中にも熱心かつ有能な学生が

2人いるとか。

彼らは自分から教えを請いに来て、

氏は絵具作りなどを手伝わせていた。


氏は学生時代から日展への出品を続けている。
日展は玉石混交というより石ばかりらしいが、

彼は律儀に参加し続けている。

先日、東京で日展の展覧会が行われていた。
案内状をいただいていたのだが、

忙しさにかまけて見に行かなかった。


レストランで、日展に行かなかったことを詫びると、
出品した作品にまつわる話を教えてくれた。


この夏、川嶋氏には、

白川郷スケッチ旅行という企画に協力してもらった。

好天に恵まれ、

絵を描く氏の姿を目の当たりにすることができ、
自分にとって非常に楽しく実りの多い旅であった。

そんな恵まれた旅を終え、
京都に戻った彼を待ち受けていたのは、

2人の才能ある学生のうち1人の訃報。

自宅近くで交通事故に遭ったそうだ。

K氏のショックは甚だしく、

2ヶ月ほど筆をとることができなかったとか。

しかし、日展への出品の時期が迫ってくる……。


ようやく製作に着手する決心をさせたのは、
亡くなった学生が生前に作っていた「岩絵具」。

これ以上はない状態の絵具が力を与えたという。



以後はこれまでにない集中力を感じ、
自ら納得のいく作品を仕上げることができたそうだ。


その作品が見られなかったことが後悔されたが、

来年京都でも展覧会が行われるとか。

どのような作品が描かれたのか、

今度こそ決して見逃すまいと心に誓った。