同じ空間を使いながらも、違う世界を生きるって、本当に、ほんっとにあるんだな…。

と、最近、だんだんと腑に落ちてきた。


今この瞬間、同じ地球の同じ時間、同じ座標で同じ空気を吸っていても、生きている世界がまるで違う。


そういう事って、本当にあるんだな。悲しくはないし、むなしくもない。ただ、リアルにあるんだな、と理解した。


なるほど~。だからか。

いつまでたっても、かみ合わない。


いや、昔はかみ合っていた。

でも今は、全くかみ合わない。

同じ物事をとらえるのにも、なんで?って笑えるくらい、意味合いが違ってとらえている。


違うと説明しても、意味が伝わらない。私の言いたいことに対する観点がない、というか、受容体を持ち合わせていないと言うか…。


そして意味が分からないから、怒ってくる場合さえ多々ある(笑)


何度、こう言う事を繰り返してきたのだろう。いつからだろう。


おそらくは私が変わったのだろう。


でも、当たり前じゃないか?

いつまでも同じ場所にとどまるという事は、成長していない事、ずっと思考停止しているのと同じ事。


私の変化は、悪い事では無いと思いたい。…というか、思っている。


だって、気付いてしまったから。

見て見ぬフリはもう出来ないよ。




人は良かれと思って、自分と同じ世界に引き込もうとするよね。深く考える事をせずに。


でも、無理なんだ。

いくらこちらが手を伸ばしたとしても、一応なんとなく手は出すけれども自ら腰を上げようとはしない人を、背負ったり抱き上げて連れて行くのは私には無理だ。


ましてや、手を出しもしていない人を連れてなどいけない。


気付いていない人や、本当の意味でなにも気付いてはいないのにわかったつもりになって、手だけだして腰をあげない人は、連れて行かない方が、むしろその人の為なのだ。


そこにいたいのだから、好きなようにさせてあげる方が良いのだ。


私は、その点についての考えが浅はかだった。良かれと思って、同じ世界に連れて行ってあげたいと思っていた。思い上がっていたのかもしれない。


良いんだ、無理しなくても。

でも、決して見捨てる訳でも見限る訳でもない。


その人が絶対に正しいと思っている世界にだまって居させてあげつつも、静かにヒントは見せ続よう。


こういう世界もありますけど?…って。

選択肢は、他にもあるんだよ…って。


そもそも、選択肢がある事に気づいてさえいない場合もある。

見えていたとしても、それが選択肢だと認識出来ていないかもしれない。


もしも、万一気付いてくれたら、そっちに行きたいって言ってくれたらその時は全力でサポートしよう。


でも、気づかないならそれで良い。


そういうのも、アリなんだと思う。

それが、お互いの為。

こっちの世界の方が、生きにくい人もいるのだろう。

私が良しとする世界が誰にとっても良い世界とは限らない。

…それは、わかるよ。


別れた方が、お互いの為。

そういう場合もあるんだなぁ…。


逆に、もし違う世界の方に当たり前のように私を連れて行こうとするのならば、全力でお断りしようと思う。


ノーサンキューという言い方がしっくりくるかな?

ごめんなさい、そこだけは譲れないや。


そっちは、もういいの。食傷気味なの。あやうく、連れ戻されそうにはなるけれど、ギリギリのラインでまた戻っている感もある。

甘いな、私😅


でもね、危うくまた引き込まれそうになったとしても、ギリギリのラインで気付いて戻って来れる自信だけは何故かある。


昔から、こういう種類のカンみたいなのものは、外れない。なんと言っていいかわからないんだけれども、根拠の無い自信、みたいなもの。


同じ空間を使いながらも違う世界を生きながら、共生していく…というのはもしかしたらアリかもしれないけれども、そちらの世界で生きる事だけは、ちょっともうできないかな…。


最近よく聞く二極化とは、もしかしたらこういうことを言うのかな。



…ここ最近、そんな事を考えていた。