私は、忘れたくない事がある時は、自分で自分にトラップをしかけるようにしている。


例えば、必ず明日、出さなければならない資源ゴミがあれば、前の日に準備し、玄関に向かう廊下の真ん中にわざと置いておく。


朝起きたら必ず一番にコーヒーをいれるので、キッチンにその日忘れずにやらなくてはいけない事を大きくメモした紙を置いておく。


今は手が離せなくて出来ないけれど、後で洗面所の前を通るついでに持っていきたい洗濯物を、リビングの出入り口にわざと邪魔な置き方で置いておく。


そういう風に、必ず自分が引っかかるポイントに、わざと邪魔な感じや目立つ感じてワナをしかけておく。


スマホのアラーム機能も併用している。

何月何日は何があるから、まだ先だけれど忘れたくない…というときはアラーム機能を使う。


…今、私が色々気付き始めている事は、もしかしたら生まれる前に自分で自分に仕掛けたアラームやトラップに、自分で引っ掛かっているのかもしれない、と最近思ったりする。


そして中でもかなり大きなアラームは、このコロナ騒動の気がする。


このあたりから、もういい加減おかしくないか…?と思う事が沢山出てきた。


これは、ある意味チャンスだと思う。色々な事に疑問を抱き、調べ、考えて自分なりの答えを出し、行動するチャンス。


私の年齢や身体機能を考えると、ラストチャンスなのかもしれない。


小さなチャンスはまだまだあるかもしれないが、大きなチャンスの中で、自分にまだ十分にそれを活かせる余力がある、と言う意味では。


まだなんとか、身体は問題なく動くし、平均寿命から考えれば、まだまだこれから色々やる時間はある。


だいそれた事は出来ないかもしれないが、小さな連鎖を起こして行くことなら出来るかもしれない。


このブログだって、いつか何かの役に立つかもしれない。


自分の思いをここに書くだけでも、頭を整理するだけでも、私にとっては意味がある。


たまに最初から読み返すと、自分の事が改めてわかったりする。


また近い将来今日のブログも読み返し、何か気付くかもしれない。


そういう意味ではこのブログもまた、自分で自分に仕掛けているトラップなのかもしれない。