誰かの話を聞いたとき、
誰かと誰かの会話が聞こえたとき、
誰かの投稿を見たとき、
誰かの記事を読んだとき、
何かの出来事に遭遇したとき、
誰かの行動、態度を見たとき、
自分の中から、
違和感だったり、
誰かを責めたい気持ちだったり、
自分を責めちゃう気持ちだったり。
苛立ちや怒りが湧いてきたり、
反発心が湧いてきたり、
指摘したくなったり、
することがあります。
大事なことは、
それは現実ではなく、
「自分の心の反応」
だということです。
そう見えた、
そう感じた、
「心の反応」
だということです。
それに対して、
感じた反応は、自分の「心の反応」だということ。
自分の心の中の「何か」と呼応して「痛み」が発した。
最近は、特に、
自分の心に「痛みが発したこと」をメモして、クリアリングするようにしてます。
本当は、「痛み」を感じなくてもいいこと。
過剰反応しなくてもいいこと。
だけど、反応するということは、そこにまだ癒されてない「傷」「記憶」があるから。
いろんな傷に向き合って、
記憶を癒して、
気付いたことは、
無意識に
「めっちゃビビって生きてた」
ということ。
ビビって、無意識に、いろんなことを避けてきた。
避けようとしてきた。
だけど、
人の心、人生って厄介なのは、
「痛み」を避けようとして生きるということは、
「痛み」を怖がりながら生きるということだから。
それは、結果的に、
その「痛み」を現実化して生きることになる。
避けようとすればするほど、避けられなくなる。
面白いですね。
気付かないうちは、痛いだけだけど。
クリアリングして、
「あれ?これって、手に入れるのに、もっと時間かかると思ってたけど、こんなに簡単だったの?」
がいくつか起こってます。
無意識に、自分が難しくしてたんですね。
ストレスが湧きやすい今だからこそ。
それを、自分の伸び代に気付くチャンスと捉えて、
もっと「自由」になっていきます。
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