『ディック・ホイト』
全身麻痺の息子、リックの車椅子を押し、トライアスロン。
息子のために鉄人になった父。
彼は、障害を持つ息子のリックを車椅子で押して、32.195kmを82回も走った。
 トライアスロン8回、これはフルマラソン、ボートに乗せた息子を引っ張りながら4km泳ぎ、
そしてハンドルバーに座らせ180km自転車をこぐ。
クロスカントリースキーでも息子を引っ張り、また背中に負ぶって山を登る。
二人は自転車でアメリカ大陸横断にも成功した。
 この愛の物語は47年前の、マサチューセッツ州ウィンチェスターで始まる。
 ディック・ホイトはジュディと結婚、幸せの中1962年1月に男の子が誕生した。
ところが、産まれた赤ちゃんが全身マヒという事実を医者に知らされる。
出生時にへその緒が首に巻き付いていたリックは、脳に障害が残り、手も足も動かせない。
生後9ヶ月の時、「一生、植物人間状態です。施設に入れなさい」と宣告された。
しかしディックは、
「自分たちが諦めてしまったら、この子に明日はない。」と自分たちで育てると決める。
赤ちゃんをリックと名付け、生後9ヶ月で退院し自宅へ。
ディックは息子を励まし、チャレンジしようと常に声をかけた。
しかし、リックは声も出ない、物を掴むことも、歩くこともできず、耳が聞こえているかもわからない。
両親は辛抱強くリックに何度も話しかけ続けた。
ある日、息子が、部屋の中を移動する両親を目で追っていることに気づく。
リックには意志もあり、耳も聞こえている!
やがてリックは、頭の動きで「YES」「NO」を伝えられるまでに。
両親は、ヘッドギアをつけた頭を上下左右に動かすことで文字を入力できる装置の開発をタフト大学で研究していることを知り、これでリックとコミュニケーションが取れると、この研究に5000ドルを寄付、完成を待ち望み、試作品が完成する。

リックが11歳のとき、二人はタフト大学へと息子を連れて行き、
この子が意思疎通できるようにしてくれないかと請願。
「無理ですよ。彼の脳は全く機能していませんよ。」そう返事が返ってきた。
「それじゃ、何かジョークを言って下さい。」父は食い下がった。
彼らはその通りにジョークを言い、リックは笑った。
実際には、彼の脳は活発に機能していた。
スイッチに振れるとカーソルを動かせるコンピュータを頭の横に付け、
ついに彼は意思疎通できるようになった。
最初の言葉?それは「行け!ブルインズ(ボストンのホッケーチーム名)!」。

リックは中学校に編入、この装置で毎日猛勉強。
その努力が実を結び、同年代の生徒と同じレベルであることを
ディックは学校側に認めさせた。
学校ではクラスメートに支えられたおかげで、
他の生徒と同じ様に学べたが、
リックは、自分も何したいと考える。
 そんなとき、
地元大学のラクロスの選手が交通事故によって全身麻痺になったことがきっかけで、
その選手を応援するため、8kmのチャリティマラソンが開催。
それを聞いたリックが言った。
「父さん、僕もやりたい。」
まさか!デブで、1kmも走れないディック、
どうやって息子を押して8kmも走る?! とディックは悩む。

 しかしリックの、人のために何かしたい強い気持ちを知る。
ディックはリックと共にマラソンに出場を決意。
翌日からディックはトレーニングを開始。
今まで運動など、ほとんどしてなかった38歳のディックが、
アスリートのように肉体を鍛え始めた。
そしてディックは、
重量60kg以上の車椅子を押してひた走り、無事ゴール。
「2週間、体中が筋肉痛でもう無理・・・。」

「父さん、」息子がひまわりのような笑顔で父に言った。
「一緒に走っている時、僕、自分が障害者じゃなくなったような気分になったよ!」
その一言が、ディックの人生を変えた。
父は、息子のひまわりのような笑顔に取り付かれた。
今度はフルマラソンに出よう、「CAN できるよね?」
リックの希望を叶えるためにディックは、2年間かけて車椅子を改造し、毎週、様々なレースに出場。
父のチャレンジする姿を見たリックも、努力で、名門ボストン大学に入学。
 ディックのぽっこりお腹はぺたんこに、
二人は1979年のボストンマラソンに出場を新たな目標に、練習したが・・・。
「まさか、無理ですよ!」マラソン事務局に断られた。
ホイト親子は、一人で走るのでも、車椅子走者でもないから。
仕方なくディックとリックは小規模なマラソン大会に参加する。
そして1983年、あるマラソン大会、
ディックが車椅子を押しながらも2時間45分という速いタイムで走ったので、
翌年のボストンマラソン正式参加が認められた!
しかもボストンマラソンの車椅子部門ではなく、一般の部でエントリーすることができた。
結果も2時間53分で完走!
リックは自らの力でボストン大学を卒業し、
全身マヒを抱えた学生として初めて学位を取得、
ディックの肉体もますます進化を続け、アスリートとしての評価が高まり勲章が与えられた。
さらには、水泳・自転車・マラソンの過酷なレース、トライアスロンレースの招待選手にも選ばれた。
それは、アスリートとして名誉ある招待だったが、息子と一緒でなければ意味がない、
と出場を断った。
が、リックが「僕トライアスロンに出たい」という。
「CAN できるよ!」
しかしディックはほとんど泳げない、6歳以来自転車を漕いだこともない、
どうやって50kgの息子を引っ張ってトライアスロンに出場するっていうんだ?!
しかし、それから5年後、
世界一過酷なトライアスロンと言われるハワイ・アイアンマンレースに
二人で参加できるまでの実力をつけた。
ボートに乗せた息子をを引っ張り水泳3.9km、前に乗せて自転車で180.2km、
最後は車椅子を押しながら42.195kmのフルマラソンを走り抜き、
屈強な若者が単独でも完走が難しい、世界一過酷なレースを
50キロの息子を連れて完走。

「一人で走ったら、世界記録が出るかも、やってみたら?」
「まさか!やだね。」ディックは即答する。彼が走る理由はひとつ。
共に走り、泳ぐ中で息子の、
ひまわりのような笑顔が見たい。
ただ、それだけ。
マラソンの自己ベストは1992年の2時間40分で、世界記録から35分しか離れていない。
この世界記録は、車椅子の男性を押しながら走ったのではない。
「疑う余地も無く、僕の父さんは今世紀最高の父親だよ。」とリックは言う。
年齢を感じさせない体で900以上のレースに出場したディック、
しかし62歳のときマラソンでゴール直後、心筋梗塞。
幸い大事には至らなかったが、
医師には「鍛えていなかったら50歳を待たずに心筋梗塞で亡くなっていた。」と言われた。
ディックは「今生きているのはリックのお陰」、
リックは「僕が生き甲斐を持てたのはパパのお陰さ」と互いに感謝。
現在68歳のディックさんは、親子の絆がある限り、
不可能なことは何もないと、今なおレースに参加。
一方、現在47歳のリックは、
ホームケアを受けるが、アパートで一人で暮らし、

ボストン大学のコンピュータ研究所で障害者用補助器具の開発で働く。
ディックは軍を退役し、マサチューセッツ州ホランドに在住。
しかし、二人はよく共に時間を過ごす。
全国で講演を行い、レースに毎週、出場している。
ある年の父の日の晩、リックは父に夕食をプレゼントするが、
彼が本当に贈りたいものはお金では決して買えないもの。
「僕が一番やりたいことはね…、パパを車椅子に座らせて一回でもいいから押してあげることさ」
「不可能なんて、ない。CAN やればできるさ」
http://www.youtube.com/watch?v=VJMbk9dtpdY&feature=related

ディック・ホイト 全身麻痺の息子 トライアスロン
皆さんは人を愛してますか?

愛せる人もいるし愛せない人もいると思います。

僕は一応クリスチャンなのですが、自分ではこの事はわかってるつもりでした。

でも出来てないなぁと人の口を通して示されました。


人を愛すると言う事はどうゆう事でしょう?

口先だけで愛してるとは誰もが言える事。

でもそれは果して愛してると言えますか?


聖書には敵をも愛しなさいと書いています。



敵?

そんなんムリムリ〓

はい〓

そう言っちゃった方


言葉は力を持つので

そうゆうマイナスは発言は止めましょう(笑)


愛する=その人の事を親身になって本気で考えてあげて、その人のニーズに応える。


ニーズに応えるのは難しい事ですがメッチャ大事やと思います。


中には自分がしたくない事もあるし、なんでやねん

て思う時もあると思うけど、だからこそ愛が伝わると思います。


この人なんか他の人と違うわ


ってなるんちゃいますか?


そしたら人はだんだん心を開く


一人一人と向き合ってください。


嫌いな人はいませんか?
苦手な人はいませんか?


そうゆう人こそ一緒に時間を過ごしましょう〓


僕も頑張ります〓〓
今日道端でカラスが死んでました〓〓
 
本間にビックリtakechanman0724さんのブログ-EntryImage~27.gif
 
猫は見た事あるけど、皆さんカラスですよカラスtakechanman0724さんのブログ-EntryImage~18.gif
 
信じれます?takechanman0724さんのブログ-EntryImage~14.gif
 
最初は普通にゴミ袋かと思いました(笑)
 
 
なんで飛べんかった〓
 
運転手がシューマッハで早すぎたんか〓〓
 
とりあえず偉いもんみてまいました。
 
 
以上