前にブログに書いた通り
ボクは大学生の時に週刊少年マガジン編集部へ
持ち込みを、してて、よく、東京文京区、講談社へ行きました。
担当編集者は、吉沢さんといって【コータローまかりとおる!】【あいつとララバイ】の有名な当時、編集者でした。
マンガの中に、出てくるような。^_^
その方と仲良くなり、講談社近くの喫茶店へよく行きました。
ある時、その喫茶店で、
食事する事があり、次の【手塚治虫漫画賞】に、推薦するという 話でした。
僕は必死に名古屋から絵コンテ❗️
原稿にする前の段階を吉沢さん宛に送りましたが
ある日、大学で、原因不明の病気?で倒れてしまい
吉沢さんからは(藤田くん治ってからまた送って)という、電話でした。
それからです人生が、180°変わったのは、
その後、32年経ってまさか難病になるとは想像しなかつた
藤田タケシひとりぼっちの難病生活の1ページ