シニアへの取材をしていると、時折終活の話が出てくる。中には定年と同時に終活に取り組む人もいた。
そんな世間の動きに対して、某週刊誌に「終活なんかやらなくていい」という記事が載っていて、翌々週にはそれに賛同する読者の声が載せられていた。
投稿した読者の男性は読書家で多くの書物を家に保有している。妻には「ただのコレクションなら意味はない。今さら全部を読み直しもできないのだから、終活の一環として捨てるべきだ」と詰め寄られている。
だが、男性にとってはどれも愛読書であり、自ら処分するのは自死に等しいものだった。かと言って妻に処分されるのは、自分が生きているうちは納得がいかない。どうせなら自分が死んだ後に、一部を棺桶に入れて一緒に焼却して欲しいと願っている。残りはその後に勝手に処分してくれればいいと。
その気持ち、すごく分かる。私も家族に、我が人生のバイブルとなった『あしたのジョー』の後半部分(カーロス登場以降)を棺桶に入れてくれと頼んでいるからだ。年代ものなので色褪せているが、宝物なので処分はできない。だったら一緒に墓場まで持って行く。
終活するにはまだ早いが、私もそろそろ断捨離を兼ねて写真アルバムの処分をしようと思った。私ら昭和世代の写真は紙焼きだし、アルバムもやたらでかい。生まれてからデジタルカメラが普及するまでのアルバムの数は段ボール1箱分以上ある。これがクローゼットの邪魔にもなっている。
だが、いざ処分をしようと思ってもなかなかできなかった。昭和世代はデジタル世代と違って、昔から何度もアルバムを読書のように見ていた。それだけに思い入れが強すぎるのだ。見るたびに懐かしさがこみ上げてきて思い出が蘇る。そんな素晴らしい物をどうして処分などできようか。
このことを友人に話したところ、大いに賛同してくれた。そして、これだけは家族に処分してもらうしかないという結論に達した。特に子どもらにとっては何の思い入れもないので、痛くも痒くもない代物だからだ。あっさり捨ててくれることだろう。
ということで、私はアルバムの終活をやめることにした。
[編集後記]
アルバムの愉しみ方を知らないデジタル世代は、ステキな時間の楽しみ方を知らないので勿体ない気がする。