御朱印帳ブームから始まった御朱印集めは未だ健在のようである。本来の意味からすると、神社好きの自分としてはブームに乗った集め方は受け入れがたいものがある。特にブーム便乗派はデザイン的な見た目を重視して、貰ったり貰わなかったりする人がいるので、それは大変失礼ではないかと気分を害してしまう。
一方で、「御朱印集めを通して、若い層から年配の方まで、日本の文化に触れることができる良い機会だ」という意見もあり、それもまた一理あると思ってしまう。実際、私の神社巡りに付き合っていた友人が、潜在的な霊感を目覚めさせてしまい神社好きになったという例もある。そういう意味では、御朱印集めを一概に無意味だとも言い難い。
神社によっては、御朱印集めの正しい作法を重んじる所が多々ある。中でもお寺の御朱印と混同させて一冊に纏めている場合、記帳を拒否する所が多い。それはもっともなことで、やはり分けて使うことは当然の礼儀だろう。
記帳拒否は対応がまだ柔らかい方で、場合によってはもっと厳しい神社もある。そのひとつが乃木神社だ。ただし乃木神社は東京赤坂をはじめ日本国内に複数にあり、その中で唯一作法に厳格なのが山口県下関にある神社なのである。乃木神社は乃木希典大将ゆかりの地に多くあるのだが、そのうちの下関は出身地にあたる。
先日この神社に、友人がお参りに行き御朱印を頂いてきたのだが、宮司さんがいろいろと話をしてくれて為になったと報告してくれた。
「やはり変わってないな」と思った。というのも、私も数年前に同じ体験をしたからだ。
その日、私は何十年かぶりに生まれ育った下関の城下町長府を散策し、乃木神社へ寄った。子どもの頃はここでよく遊んだことは記憶にあるが、神社という聖域であることは全く意識していなかった。何の神社かも知らず、何故か乃木大将という名前だけは鮮明に覚えていた。子どもだから仕方のないことだが。
だが、今は違う。久々に故郷を訪れ、楽しかった子ども時代を過ごせたことを感謝しに訪れたのである。そして、いつものようにお参りをして御朱印をもらいに行ったときのこと。
記帳を待つ人は他に誰もおらず自分一人だけ。なのに時間がかかっている。よほど手の込んだ御朱印なのかと思ったが、見せて貰ったところいたってシンプル。宮司さんはこう説明した。
「ここでは印と文字を重ねません」
確かにそうだった。伊勢神宮と同じだ。
▲ 左が乃木神社、右が伊勢神宮(内宮)
さらに、宮司さんは「御朱印について少しお話させてください」と言った。その内容を概略すると以下の通り。
「持ち主本人が亡くなった場合、お棺に入れて燃やしてはいけません。先祖代々受け継ぐ物であり、受け継ぐ者がいない場合は神社で御炊き上げをしてください」
…実は、これは一番知りたかったこと。いずれ誰かに聞きたいと思っていたことを教えていただいたのでありがたかった。
「神社とお寺の御朱印帳は別々にしなければいけません」
…確かにその通りだ。そうしなければただの御朱印集めに過ぎない。
「お釣りをもらわないようにした方が良い」
…お賽銭でおつりを貰う者はいない。それと同じだ。御朱印はお守りを買うのとは意味が違うので正論だと思う。
「御朱印帳には氏名・連絡先を書くように。実際、取り間違いがおきていますから」
…なるほど
「カバーに書いておくと使いまわせます」
…さらになるほど。
今までお寺の住職にいろいろ話しかけられたことはあったが、神社の宮司さんは初めてだった。いろいろと教えられ勉強になりありがたかったので、最後には感謝したほどだ。
ところが、対応によっては快く思っていない人も多数いた。御朱印帳を正しく使っていない人は説教されているらしいのだ。口コミを見ると…
「説教されて落ち込んだ。神社で嫌な気持ちにさせられたのは初めて」
「宮司が一人一人に話をするので長い行列ができていた」
「参拝時に神前で脱帽しなかったり、参拝前にいきなり御朱印を求めたら説教された」
…それは当然だと思うが。
「勝手に今まで頂いた御朱印をチェックされた」
…だから、私の時も待たされたのか。
「夏の炎天下の中、延々と説教をされた。人の命より、神様への振る舞いを大切にする神社。非常に不愉快になり体調不良になった」
…そこはちょっと問題かもね。
「単に御朱印集めしているのは神様に失礼と注意された」
…私は御朱印マップを渡され推奨されたよ。真面目にお参りしている人には逆に勧めてくれるみたい。
悪い口コミばかりではない。
「御朱印を頂いた時に御朱印帳について、いろいろ丁寧に教えて頂きありがたかったです」
…私と同じだ。
「参拝時の最低限のマナーや常識が足りていれば、宮司さんは普通に接してくれますよ」
こんなアドバイスもあった。
「一般の方が軽い気持ちで、御朱印集めをする為に不用意にうかがうことはお薦めできません」
…まっ、そういうことだね。
宮司さんの対応を「説教」と捉えるか、「ありがたい教え」と捉えるか? それは人による。
趣味で御朱印集めをしていない人ならば是非寄ってみる価値はあると思う。
[編集後記]
私自身、このような神社があるということを初めて知った。それにしても、子どもの頃は何も知らずにここで遊びまくっていたわけだが、今にしてみればよく怒られなかったと思う。