母の恨みを胎児が晴らす「死後の出産」
昭和50年、東京郊外の木造アパートに、20代のカップル敦と恭子が同棲していた。その日暮らしのしがない貧乏生活で、二人は喧嘩しつつも別れることなく同棲を続けていた。
しかし、ある夏の暑い日、ついに喧嘩は暴力沙汰へと発展し、酔っぱらっていた敦は恭子を絞殺してしまう。
事の原因は恭子の妊娠だった。敦がそれに気づいたのは性行為に及ぼうとして恭子を脱がしたときだった。お腹が膨らみ始めた5カ月目の状態だったからだ。
「なぜ、今まで言わなかった!」
「言ったら堕ろせと言うでしょ」
「当たり前だ」
「子どもが生まれたら、あんたが真面目に働いてくれると思ったから黙ってたのよ」
だが、このやり方は生活力のないクズな性格の敦には逆効果。ますますふてくされて喧嘩の絶えない日々が続いた。
そんな状況で数カ月が過ぎ、恭子のお腹も目立つようになっていたとき、泥酔して帰宅した敦は強引に迫ろうとした。だが、当然のことながら恭子は拒む。それに激怒した敦は、気づいたら恭子の首を絞めていたのである。
「あんた……やめて……。赤ちゃんが死んじゃう……」
気が動転しているうえ酔っぱらっている敦にその声は届かない。気がついたときには、恭子はすでに事切れていた。
「うああ……死んじまった……。うわぁー!」
敦は声をあげて部屋を出て行った。
行く当てのない敦は河原で寝泊りをしていた。夏なので野宿しても問題はなかった。しかし、毎夜悪夢にうなされる羽目に……。恭子が出てくるのである。
「なんで……なんで……」
なぜ私を殺したのかと責め立ててくる。
「うるせぇ!」
後悔しても始まらないことに苛立ち、敦はただ河原で怒鳴るしかなかった。
「あたしはあんたから離れない……どんな形になってもあんたの元へ戻るから……」
「もう勘弁してくれよ~!」
敦はクズではあるが極悪非道ではない。気が小さく、優しい面も持ち合わせている。こういう人間ほど良心の呵責に苛まれて夢にうなされるものだ。
一方で、恭子の強い怨念が飛んだということも否定できない。
恭子が言った「あんたの元に戻る」の意味が分からず、熱帯夜に苦しみながら悩み、暑さによる汗ではなく冷や汗ばかりをかく日々が続いた。
そんな日が毎晩続いては堪らない。敦は様子を見にアパートへ戻ることにした。ドアの隙間からかすかに異臭がしてくる。腐敗が始まっているのかもしれない。思い切ってドアを開けると、もあ~っとした生ぬるい空気が顔を包み込む。
「うぷっ……」
閉め切っていた部屋から腐った空気が解放されたのだ。続いて漂ってくる悪臭が吐き気を催すほど鼻をつく。かなり腐敗が進んでいるのだろう。
部屋の奥を見ると、大きな黒い物体が目に入った。
「なんだあれは? あんな大きなものはうちになかったぞ」
部屋に入り恐る恐る近づくと……
「うわっ!」
敦が驚いたのも無理はない。そこにはパンパンに膨らんだ人間がいたからだ。
「だ、だ、だ、誰だお前!」
顔も限界まで膨れ上がっており、見開いた目は今にも飛び出しそうなくらい目玉が突き出ていた。その異様な目は恨めしそうに敦を睨みつけている。
「お前、恭子か……。なんでそんな姿に……。化け物になって俺に取り憑こうってのか! それが俺の元に戻るって意味か!」
思わず腰を抜かす敦。だが、次の瞬間、さらなる恐怖が敦を襲う。
「な、なんだ、あれは……」
恭子の股間からもぞもぞと動く物体が見えたからだ。それは子猫ほどの大きさの黒褐色の塊であった。そして徐々に徐々に恭子の股間から這い出てくる。
胎児だった……。恭子は死んでからもなお自分の赤ちゃんを産み、敦に届けようとしているのだ。
その光景に敦は戦慄した。産み出された小さな胎児が、腫れぼったい目を向けながら自分の方に向かって来るのだから……。
「パパ……今、そっち行くからね……」
敦の脳裏にそういう声が伝わってきた。
「うぎゃー!」
悲鳴をあげて四つん這いになりながら敦は部屋から逃げていった。産み出された胎児を残したまま……。
これは殺された恭子と赤ちゃんによる、恨みのなせるわざなのだろうか。答えはノーである。
死んだ人間は腐敗が始まると体内に腐敗ガスが溜まり破裂寸前まで膨らむ。そのガスは限界まで達すると、口や肛門といったあらゆる穴から漏れ出てくる。
つまり、恭子が赤ちゃんを産んだのではなく、体内に溜まったガスによって胎児が押し出されたのである。
この事件に限らず、似たような事例は実際にある。柩に納められた妊婦の遺体が、翌日の本葬で蓋を開けてみたら、子どもが生まれていたということが起きているのだ。
人はこれを「生命の神秘」「母体の驚異」と呼んでしまいそうだが、単なる物理的現象なのである。腹腔内や子宮に大量の腐敗ガスが充満すると、子宮が反転して死亡した胎児が娩出される。これを「死後の分娩」あるいは「棺内分娩」という。