■今月の「たけべ人(びと)」
建部で活き活きと活動する人にスポット。
今月はこの4月より岡山市地域おこし協力隊の一員として建部町に派遣された今田龍希さん。
(取材・写真 三宅優)
(プロフィール)
今田 龍希(たつき)
平成6年、倉敷市に生まれる(24歳)
県立高松農業高校卒業後、中国学園大学入学。
在学中に東日本大震災のボランティアとして活動。
平成27年、大学を中退し倉敷アイビースクエアに入社。
平成30年、岡山市地域おこし協力隊員に任命される。
現在、奥さんと子どもの四人暮らし。富沢在住
建部町に地域おこし協力隊が派遣されて2年。 高橋りつ子さん、頼元徹さんの活動は当新聞でも伝えてきたが、 新しく3人目のメンバーが加わった。弱冠24歳、 調理師の資格を持つ今田龍希さんに聞きました。
(聞き手 三宅 優)
倉敷のお生まれで、高校は高松農業高校に行かれたそうですが、進まれたいきさつは?
「そうですね、普通科絶対主義のような風潮があって、僕もその道を勧められたのですが、何か違うんじゃないかって。 そうしたら、倉敷市の情報か何かに高松農高のことが載っていて、アルギン酸を使って人口イクラをつくろう、みたいなことが書かれてあったんです。 すぐに、そんな楽しい学校ってあるのかーって思いました」
(笑)なるほど、それで学校ではどんな勉強だったんですか
「僕が入ったのは食品化学科というコースで、農業についても一通りやるんですが、主としては食品衛生、食品加工、化学が中心です。 豆腐に含まれているたんぱく質の検出方法とか、成分を抽出する作業なんかもやりました」
その後、大学へと進まれたわけですね
「中国学園大学の人間栄養学科に入ったのですが、そこは管理栄養士を養成するのが目的でした。 でも2年目の時に東日本大震災の被災地復興支援のボランティアにのめり込んだんです。高校の時も生徒会長をやってて、 募金活動をしたんですが、この時は直接、現地の気仙沼に行って活動しました。3年経っていたのですが、まだ海岸の船が撤去できてない状況でした。 ボランティアのリーダーになって仮設住宅を訪れ、回り中にボーボーと生えてる草刈りとか蜂の巣を取り除いたりしました。住民だけでは、 もうそこまで手が届かないのが実情でした。高齢者の家を声掛けして回り、 お祭りにあわせて岡山の祭り寿司を作って喜ばれました」
で、大学の方をそのあと辞められたのですが、それはどうして?
「栄養士の授業でも調理実技があるのですが、で、自分としてはその方が楽しかったんです。料理をしたいという気持ちが高まって、調理師になろうと。 それで先生に相談したら、今までのことが無駄になると言われて、そんな時、妻が妊娠して。そんなこともあって4月から休学しました」
倉敷アイビースクエアに入社したのは?
「結婚式とかで出す洋食宴会の仕事でしたので調理の実技をいろいろ学べる上に、資格を取るためにも、うってつけだと思いました」
そして3年後、地域おこし協力隊へと変わられた
「職場がホテル業界ですので派遣社員の人とかが多くいて、そんな人と話した折り、今度、地域おこし協力隊に入ると聞かされました。 それで、それはどんな仕事だろうって調べました。そうしたら、農業やジビエ、加工調理とかに取り組んでることがわかって、 これはまた面白そうなことをやってるぞと。岡山でも募集してることがわかり、サービス業から生産者になるチャンスだと応募しました。 岡山の建部なら1時間で二人の実家に行けれるし、失敗しても帰ればいいやと気楽な気持ちだったです(笑)」
ついて間もないですがどうですか
「ずっと思ってたのは自分が岡山で生まれて、岡山で育って今さら外に出たくない。 歴史好きなので桃太郎伝説とか岡山県はこんなに面白いのに知られていない。なんか、岡山をPRできる仕事に就けたらいいなあって。 そこにピッタリな地域おこし協力隊があったわけです。今は富沢の里山建部をベースにして活動してますが、これからどんな仕事に 拡げて行けるのか計画の段階です。他にも力のある所とかあるので、その力のある所同志をつなげられたら成功かなとも思っています」
ありがとうございました
(記者感想)
インタビュー当日、出来たばかりという猪肉のソーセージを頂いた。 夜さっそく調理して食したら、これがお世辞抜きに旨く、ハーブの使い方が手慣れている。なかなか、やるなあと感心。
また、先の当ギャラリーで催した「3.11追悼の集い」にも手伝いに駆けつけてくれたが、その行動力の速さ、 自分で進んで手を動かす様子を見て、場慣れした感じを受けた。 その通り、東日本大震災被災地でボランティアのリーダーとして奔走した経験をお持ちだった。
聞くと記者とは同郷で、小中学校の後輩にあたる。校庭に立っていたトーテンポールの話になり、 それは記者が教育実習で母校に通ったときに作ったと作品と明かすと、「あれって誰が作ったんだろうって、ずっと気になってたんです」と 大笑い。
常に決める基準は「面白いかどうか」。弱冠24歳、まさに面白い奴がやって来た。
(取材・写真 三宅優)