畑の隅で満開となったでかいシデコブシ。河津桜の次に満開となった5mはあるかと思われる早春の雄姿だ。30年前に初めて会ったのが紫色のシデコブシだった。都会の片隅で2mほどの小さな木だった。花弁が10枚前後に切れていながらもその濃紫色の花色が楽しみだった。しかしある時、その家の主が引っ越してまもなく、そこは更地となってしまった。注目していたシデコブシの姿がなくなっていた。

 

 その後、オイラは都会からここ中山間地に不時着して山に囲まれたポツンと6軒の静謐な集落にたどり着いた。そんな農地の片隅にひょろりと他の木の陰で2mほどの名前のわからない木があった。弱々しいので伐採しようか迷っていたうちに、3mほどに成長した木になったのが下の画像である。

 

 

 7年前の2019年に、これがシデコブシであることがやっとわかってきた。この木の花色には、白・薄いピンク・濃いピンクの種類があるのもわかってきた。しかし、幻の紫の花ではなかったので混乱していた。どうも、紫色だった花は園芸種らしい。

 

 そのうちに、このシデコブシは、「東海丘陵要素植物」といういかめしい名前が付いた貴重な植物であることが判明した。その湖はは東海地方に琵琶湖よりも大きい「古東海湖」というのが300万年以上前に存在し、100万年前から徐々に乾燥していき消滅に至ったというのだ。

 

   

 そこに取り残されたものの環境に適応しながら生き残ったのが、シデコブシ・ハナノキ(カエデの仲間)・ヒトツバタゴ(なんじゃもんじゃの木)などだったという。愛知県などの一部にシデコブシの自生地があるものの、開発に追われ絶滅危惧種に指定されている。

 

 本種は自生地ではなので、園芸種「姫コブシ」の流れもあるだろうが、大切に見守っていきたいと新たな見直しの気持ちををささげたい。数百万年の風雪を経て、今は太陽の光を一身に受けて大木となったシデコブシに敬意と感謝を送りたい。知らないことは不遜でもあるんだなー、ごめん、シデコブシよ。

 前々から読みたいと温存していた上橋菜穂子『狐笛(コテキ)のかなた』(新潮文庫、2006.12)をやっと読み終えた。児童文学ではあるが80歳の傘寿(サンジュ)に達したオイラが読んでも充分そのファンタジーの世界を浸ることができた。

 

    作者は「書籍版のあとがき」(2003.9)で、「日々を暮らしているうちに、知らず知らずのうちに溜め込んだ多くのイメージが、心の底にしみこんで、溶けあって、深い湖のようになっていて…そういう所から生まれてくる光を、てのひらの内にくるみこんだ灯りのように輝かせて」物語を書きあげた、という。文章がみずみずしい。

 

  

 さらに、「文庫本のあとがき」(2006.10)では、「田舎で味わった夜の闇の圧倒的恐ろしさや山の中の匂い」、それに、育った下町の「すすきの穂が光りながら波打つ、茜雲の下の枯野は、わたしの心の底に、確かにある」と語る。そこから、狐の霊狐(レイコ)「野火」や女主人公の「小夜」が誕生したことを明記している。

 

 こうした、だれでも経験したような原風景を心に刻み込んだみずみずしい感性が著者の内部で輻射していく。そのファンタジーの大集成が『守り人』シリーズに違いない。それは、世界的ファンタジーとなった『ゲド戦記』『指輪物語』『ハリーポッター』『ナルニア国物語』『モモ』などにつながるものを感じる。

 

  

 著者の優れているところは、人間と異界の狐との共存を日本的な四季織りなす背景を感性豊かに描き、その豊穣と厳しさを心の世界として実写していることだ。著者が研究しているオーストラリアの先住民族のアボリジニの魂も垣間見えるように思った。目次の次に、「人物紹介」が出ていたが、うっかり飛ばして読んでいた。こうした書籍を読むときは、できるだけ人間の相関図を書きながら読み進めると模糊とした世界が近づいてくれる。(画像はわが家の近くにやってきた狐)

 

  

  23年前に、理論社から出版された本書は、現代の終わらない戦争拡大をすでに暗示しているようだ。人間のおぞましい欲望や呪い・憎しみといった呪縛からどうしたら解放されるのだろうか、というヒントが投げかけられた作品でもある。

 解説の金原瑞人氏は、和製ファンタジー作家の三羽烏として、萩原規子・小野不由美・上橋菜穂子を挙げている。それは従来の創作民話風とは全く違った「長編小説としての骨格をしっかり持ち、オリジナルな世界観を巧みに表現したファンタジーだ」と評価している。

 

 

    

    そのうえ、この三人の中でも「筆力、膂力、迫力、という点では、上橋さんの作品が突出している」と絶賛している。膂力(リョリョク)とは骨格とか力強さとかという意味だろうか。作品としては、暗いままのシーンが続いたが最後にほのかな光、希望を用意し、児童文学らしい大団円を迎えている。

 

 狐笛を持ち領主に使える呪者の「久那」(クナ)の描き方が分かりにくかったのが残念。あえて、カモフラージュにしたのかもしれないが。その意味で、大団円に至る叙述部分の丁寧なページが欲しかった。

 それでも、作家の宮部みゆきは、「小説というものは、魔法です。…魔法の呪文を綴る作者と、それを唱える読者の共同作業です。…本書の魔法は超一級品です」と、評価する。

 

 そして、「本書は<物語なんて、みんな都合のいい作り話じゃないか!>と考えている子供たちのための物語です。

本書は<物語なんて、とうの昔に後ろに置き去りにしてきたきれいな夢だよ…>と考えている大人たちのための物語です」と呪文をつけくわえた。

 

  

      

  好きなジャガイモのアンデスレッドを植えているとき、体長7cmはあると思われるバッタがトンネルカバーに止まっていた。頭からしっぽまで黄白色のラインが恰好いい。カメラを持っていなかったので急いで母屋に取りに行く。戻ってみたらまだバッタは化石のようにじっとしていて動かない。時期的に敵対的な昆虫や野鳥が少ないとはいえ、生き残り戦略としては不安ではないのだろうか。

 

 

 しばらく、ダンデイなバッタをながめていたが、作業の邪魔になるので捕まえて隣のほうに強制執行を断行した。それでも抵抗せずに逃げないとはよほどの大物なのだろうか。体の形態からして、イナゴの仲間であるのは確実だ。「ツチイナゴ」(バッタ科)ではないかと見当をつけた。

 

 ツチイナゴは日本に生息中のバッタの中で唯一冬に活動をするバッタであるのが珍しい。といっても、寒さにとりわけ強いというほどでもないらしい。だから、天気の良い日は日光浴して、寒いときは枯草の炬燵でじっとしている。普通のバッタはイネ科植物の細い葉を食べるが、ツチイナゴはクズなどの広い葉を食べるというのも珍しい。

 

  

 ツチイナゴを正面から見るとなかなか愛らしい。眼の下の黒い涙がツチイナゴの有力な手掛かりとなる。ほかのバッタと生き方とは違った真逆の道を選択しているところが魅力的だ。ポツンと一軒家に住む人間と通じるものがある。食べ物も少ない中で生きていくのは、弱肉強食のせち辛い関係を避けたからなのだろうか。顔は仮面ライダーのようだが、優しい「人柄」に見えてきた。

 

  (画像は歌舞伎座から)

 画像は、東海道53次の「桑名」宿。背景に江戸・京都・大阪を流通・文化でつないでいた桑名港・桑名城。手前には伊勢の伝説上の船頭「徳蔵」に扮した、三代目尾上菊五郎の役者絵。1852年(嘉永5年)に発行された「役者見立東海道」シリーズの1枚。画家は役者絵の代表的な絵師「三代目豊国」で、やはりなかなか迫力がある。

 三代目菊五郎は、市川團十郎(7代目)・岩井半四郎(5)・松本幸四郎(5)らとともに化政時代の江戸歌舞伎の黄金時代を担う。三代目菊五郎は一代で看板役者としての名跡を残した。

 

  

 船頭徳蔵は、海上で出会った巨大な海坊主にたじろがず、世間知らずの海坊主に「怖いのは世の中だ」と諭して追い払った剛毅な船頭だったという伝説がある。本画像(1844年)の絵師は「国芳」。構図が国芳らしい。「東海道53対」の「対(ツイ)」とは、宿場の風景だけではなく、人物と対比した構成を特徴とする。「東海道53次」の「次」とは、次の宿で流通の荷物を新しい馬に積み替える「宿駅伝馬制度」による。その意味では、豊国の絵も「東海道53対」ともいえる。

 

  

 右上には、徳川四天王の10万石藩祖・本多忠勝が入城した「桑名城」が描かれ、同時に、「桑名港」に関連した船の錨・方位磁石・名物の焼きはまぐりが象徴的に描かれている。

 ここで注目したいのは、この画像の右下に目立たぬように「シタ売」という言葉があったことだ。というのは、水野忠邦が天保12年(1841)に天保の改革を実施し、贅沢な衣裳や装飾品・奢侈な風俗を禁止した。その影響で、人気歌舞伎役者の役者絵は禁止され、中村座・市村座・森田座の3座は浅草の猿若町に強制移転された。人気歌舞伎役者「市川海老蔵」は江戸から追放された。

 

 そのため、役者や世間は萎縮しているなか、版元らが自主的に始めたのが「下賣り」の販売方法である。

 「下に置いて目立たぬように売る」ことを明記したのが「シタ賣」印である。嘉永3年(1850)から3年間は役者絵に「シタ賣」印を押し、役者名も記していない。嘉永期のわずか数年のことである。庶民はヒントなしで役者がわかったようだ。

 

  

 左側に名主2名が並んで検閲印が刻印されている。右が「渡邊庄左エ門」、左が「米良太一郎」であることが分かった。その下には、発行年月の印で、嘉永5年、「子」の年の3月であることもわかった。検閲担当名主が2名体制であることもこの印から当時の統制の厳しさが類推できる。版元は「住吉屋政五郎」、彫師は「横川竹次郎」、摺師は「大海屋久太郎」である。

 かようにして、役者絵の隅々には絵師や歴史のメッセージが込められているのが魅力である。普通の役者絵なら、着物の家紋とか模様で役者名がわかることがあるが、あえてそれを避けているところにも天保の改革の圧力が垣間見える。

 

 

  

 すっかり春を感じる。鶯の鳴き声はまだ磨きがかかっていない。練習中なのかも。2月中旬くらいから隣の山の

 小梅の花が満開。いち早く開花する体内時計の素早さにいつも感心する。

 

  

 春を迎えて、まんず咲くという「マンサク」の花がガーデンの一番乗り。マンサクは日本原産だそうだが、花弁の黄色の見事さやその付け根の濃紅色からすると、シナマンサクとの交配種かもしれない。花がよく咲いたので、今年は豊作に違いない。つまり、「満作」ということだね。

 

 

  アメリカ先住民は、水脈や鉱脈を占うときにマンサクを使っていたらしい。そこから、花言葉に、「呪文」「魔力」「霊感」という意味が付加された。成長は遅かったが2mほどに伸びてきて、やっと満開の花を見られるようになった。寒さが強いというので、ぴったりな日陰気味環境での生育だった。ありがたい。

 

 

 伊豆や街中ではすでに満開の「河津ざくら」。2本がやっと5分咲きくらいに開花した。この桜はシカの食害に5~6回受けていて、何度も折られてきた猛者でもある。そのため、健康優良児とはいえないが、ここまで幹が太くなるとシカは樹皮を食べることもなくなった。シカは桜が大好物で、近くにあった3本の桜はその食害のため枯れてしまった。

 

 

  沖縄の代表的な桜である「寒緋桜」の花が二分咲きくらいだろうか、裏の畑で咲きだした。寒緋桜の花弁は、下の画像の通り、釣鐘状の下向きに咲く濃紅色がいい。そのため河津桜の片親ともなっている。次に、Aquaさんの水滴詩と画像を紹介する。「冬の焚き火」という表現が秀逸だ。

 

  

 沖縄の桜の標本木はこの寒緋桜ではあるが、沖縄気象台は「ひかんざくら」と表記している。どちらも同じ桜ではあるが、春の彼岸の頃咲く「彼岸桜」は別。こちらは「エドヒガン」「コヒガン」などがあり、薄いピンクの花弁ではあるが、ついソメイヨシノに見えてしまう。なかなかわかりにくいね。

 これから、ソメイヨシノや大島桜などが咲く桜の本番。わが家には、これから「松月」「ウワミズザクラ」が4月中旬に開花する。こちらも楽しみだよ。ぐいと、春が来た。鶯の鳴き声はじょうずになったかな。