すべての 始まりは 私の「やさしさ」だった。

 

私は お兄ちゃんや 弟が 怒られている時の

彼らの表情を 見るのが とても 辛かった。

自分の心が 締め付けられる。

とても とても 痛くて、

見ていられなかった。

 

だから そんな兄弟たちの痛ましい姿を 見なくていいように、

いつも お父さん、お母さんの 顔色を窺っていた。

家庭内で波風が立たないように

親が イライラしないように。

 

いつしか それが 自分の役割のように なっていて。

勝手に 自分にその責任を課していた。

自分次第の立ち振る舞いで 家族が 崩壊するかどうか? くらいに 思うようになってた。

 

それを 結婚した後も ずっとやってた。

その役割を 責任を果たそうと必死だった。

失敗しないように、間違えないように。

 

パパが 子供たちを怒ることがないように

いつも ご機嫌で いてもらえるように

子供たちを 動かしていた。

先回り先回りして

パパが 子供たちにイラつかないように

子供たちの 行動をいつも注視してた。

 

そんなこと 言っちゃダメ。

そんなこと やっちゃダメ。

 

そのことには ずっと気が付いていたのに、

私はね、自分が「優しい人間」だってことを 

かたくなに 認めようとしなかった。

自分の優しさを 認めようとはしなかった。

 

ただ 自分が見たくないだけでしょ。

自分のためでしょって

自分の優しさを それはただのエゴなんだって 

自分自身に言い聞かせ続けていた。

 

そのことが、一番、自分自身を傷つけていたんだと思う。

今朝、この気づきが起きた時、

 

あぁ。。 私の優しさだったんだ。

お兄ちゃんと 弟が ただただ かわいそうで かわいそうで、

助けてあげたいけど、助けてあげられない。

大人には 逆らえない。

お父さんとお母さんを 怒らせないようにすることしか、

私には 兄弟を 助けることは 出来なかった。

自分の無力さが 情けなかった。

 

って、自分の気持ちを 認められた時、

わぁぁぁぁぁぁ って 腹の底から湧き上がる感情と共に涙が 溢れ出てきた。

 

私は 本来とても 優しい人間なのだ。

共感力が 強すぎて 人との境界線が うまく引けないのかもしれない。


自分の優しさが 恐いっていうのもある。

底知れない 包容力が いつか 自分を 破滅させて しまいそうで恐いっていう感覚もずっとある。

だから 優しさの出し惜しみをする。

愛の出し惜しみともいうのかもしれない。

 

でも、それもまた 自分自身のハートを 固く閉ざしているような

感覚になるし。

 

この辺が 私の人生の課題でもあるのかもしれない。

 

かえりたい。

本来の自分に かえりたい。

ありのままの自分に。

 

もう 自分を取り繕ったり、嘯いたり、ごまかしたりせずに

このまんまで 生きたい。

それだけ。

 

で、私はずっと お父さんが嫌いで。

私が こんな風になったのは お父さんのせいだって思ってて、

お兄ちゃんと 弟に 厳しかったのも お父さんだった と思ってたんだけど、

違ったのかもしれない。。と 最近 気づき始めて。。

 

そのことは また、次の記事で。