今朝 思考をノートに書きだしていて現れた観念。
「彼(だんな)の役に立たなければ、養ってもらう資格はない」
「役に立てなければ、捨てられても仕方がない」
「養ってもらわなければ、生きていけない」
っていうもの。
この考えを強く信じている自分。
だから一生懸命に証明しようとする。
役に立っているということを。
まさに 必死に。
「見捨てられる」という恐怖。
で、お母さんのことがふっと上がってきた。
この「役に立つ」の基準が お母さんなんだ。
私のお母さんはとにかく良く働いていた。
常にパートは2つ掛け持ち。で、子供が帰ってくる時間には家にいたいと
午後はうちで ミシンの内職をしていた。
そこまでしないと、家のローンを返しながら 3人の子供を育てていけないんだと
思っていた。これも、今の私と全く同じ状況だ。
でも、夕飯はいつも手作りだったし、美味しかった。おやつもよく手作りが用意されてた。
夏の 牛乳アイスとか。 それに、部屋もいつもきれいだったし、片付いてた。
そこまでしないと、認められない。
で、そうできない自分を許せないでいる。
裁いている。
でも、私はお母さんにじっくり話を聞いてもらったという記憶がない。
他愛もない会話をした記憶もない。忘れているだけかもしれないけど。
手作りのバッグとか、洋服とか、どこかに連れて行ってもらったこととか、
大事にされて育ったという証拠はいっぱいあるけど、
お母さんのぬくもり みたいなものが思い出せない。
実は、お母さんに避けられている気さえしてた。今でもしてる。
私?子供たち?を避けるために あんなに忙しくしていたのではなかろうか?という気さえする。
でも、なんとなく お母さんの気持ちも分かる。
お母さんも きっと 内に、寂しかった子供を宿している。
私は相当 寂しかったのかもしれない。
寂しかったんだろうな。
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