これは、私の身の上に

起こった話では無いです。

X(旧Twitter)の投稿で、

見つけました。

キラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ

凄い話ですし、今、難病で絶望している

人にも、希望が持てる話ですので、

是非、シェアしたいと思います。

以下、転載になりますが、

イメージしやすいように

写真やイラストを挿入させて

頂きました。

下矢印下矢印

 

(以下転載)
私は30代から、

異常な頭痛目眩に悩まされ、

40歳で脳に明らかな異常があったが

何の病気かわからず、

43歳で脳萎縮

(長年アルツハイマーを患った90代並み)
が見つかり若年性アルツハイマー

診断された。

大学病院の教授に

末期の末期で何しても絶対良くならない、
お気の毒に。
」と泣かれた

脳がほぼ死んでる!
と驚愕された

脳波はほとんど反応なく

MRI画像は、

小さな脳と真っ黒な空洞

これでは笑うことも不可能と

 

当時はショックもなく

「あーそうですか」って感じ

食事やどこに行ったことも、

忘れて思い出せない状態だった。

 

東京の大学病院に一人で
新幹線で行ったので驚かれた。

家族はいたが

病名がない=精神的なもの

と思われ嫌われていて

誰も病院に

ついてきてくれなかった。

右半身動かず何日も放置され

食事なしで一人で寝ていたこともある

トイレには這って行った。

 早く死にたかった。

麻痺が出る日とない日があった

 

大学病院には漢方科に通院して

1年ほど、漢方薬と鍼。

多少マシになっていたので

周りには早く治せと怒られていた。

 

若年性アルツハイマー

診断されたことを看護師の母に伝えたら、

娘の介護をしなきゃいけないのかと
泣かれた。

 

同居家族にはあっそー!

くらいで誰も心配しなかった

治療法はなく夢も希望もなく、

病名がわかったが、

やっぱり死にたかった。

今の夫に会ったのは、

確定診断が出た前日の

私の誕生日だった。

ブログに辛い辛いと書いていた

私を見つけて、僕ならなんとか出来る

と言われて行ってみた。

 

生命科学の研究をしていて

食事や生活改善でなんとかなる

と言われたが、

大学病院で何も出来ないのに

そんなので治るもんかと

怒った記憶がある。

 

43歳になった翌日、

若年性アルツハイマーと確定診断

右半身がやられていたので

口も右側が閉じず右目も垂れていた。

 

そこから夫(当時は他人)
の言うことを聞いてみるかと

翌月海の近くに

引っ越した。

毎日海に入り

砂浜を散歩して魚を食べて

朝晩温泉に入った。

不思議と麻痺は起こらず

記憶がなくなることもなかった。

 

どんどん動けるようになり

波打ち際に座っていたのが

浮き輪で泳げるまで回復

 

外見も老婆のようにガリガリに痩せて

顔がシワシワだったのがぴちぴちにひらめき

 不思議なメルモの主人公の気分だった

3ヶ月後に再検査で大学病院へ

 

7月に絶対に治らないと言われたのに、
MRIで、

委縮した脳が大きくなっていた!

西洋医学ではあり得ないことらしい

何をやったか聞かれて答えたら

そんなことで、

ここまで治るのかと驚かれた。

 

アルツハイマーだけでなく、

血液と子宮のガン、

心臓病も良くなり

今も元気にしてます。

確定診断から15年経ちました。

その後パパと結婚して私を治した

方法をまとめたメソッドをスタート

 

明後日58歳の誕生日。

当時より今の方が、

中身も見た目も若いです

 

パパがいなければとっくに死んでいた

感謝しかない。

15年のありがとうをパパに。

原因は調べてないけど

美容師だったので毒ガス吸い続けてた、

10年心臓と喘息の薬を大量に飲んでた、

赤血球のガンで酸素と栄養を

運べなかったとか、

 

3人年子を仕事しながら育ててたとか、

複合的な感じでしょう

 

海は凄いですよね、

前から知ってるんです。

サーフィン波波波波波波

 

オッドアイ猫とてもとても、素敵なお話です。

自然の力は凄いですね!

この投稿者の方、

他にも非常に気になる事を

投稿されています。

是非、こちらも、ご覧ください。

下矢印下矢印

(以下転載)

息子は当時1才ちょっと

それまで別々だったものを3種混ぜた

全く新しい3種混合MMRワクチン

を打って・・・・

1週間程経って高熱を出し、

ワクチンを打った小児科へ。

風邪薬を処方されたが全く治らない。

2回小児科へ行ったが、

40度を越す高熱が続き

何も飲んでいないのに吐き続けた。

 

意識はないのに噴水のように

吐き続け

慌てて国立病院に連れて行った。

無菌性髄膜炎だった。

どんどん悪化して意識不明。

絶対ワクチンのせいだ調べてくれ

と言っても諭されて

因果関係はわからないまま。

 

それからしばらくして
そのワクチンは中止になった。

息子が打ったのは中止になる

少し前のことで副作用について

聞いたことはなかった。

そんなに危険なものと

知っていたら絶対に打たせなかった。

後から知って無知でバカなせいで

息子を酷い目にあわせたと

心底後悔したタラー

幸いその時は半月程で

回復したが、成長するに従って

ちょっと違和感・・・勉強が出来ない。

学校の集団検査でひっかかり

病院に検査に行ったら

重度のネフローゼ(腎疾患)

そしてAIDS発症患者より、

免疫が低下しているのが見つかった

無ガンマグロブリン血症

余命3ヵ月だった。

 

絶対にワクチンのせいだ

でも証拠も何もない。

今のワクチン騒動を見ていると、

当時のことを思い出す。

後悔先に立たず。

国は責任なんて取らない。

ワクチンで髄膜炎が多発している

にも関わらず(国は)接種を続け、

発症した子の追跡調査もしなかった。

当時は医療費無料なんてなかったから

高額な治療費もかかった。

そしてなんとか生き延びたが

透析中(障害1級)

子供の頃の病気が

原因なので障害年金なし。

びっくりマークびっくりマークびっくりマークびっくりマークびっくりマーク

 

私がバカだったせいで

息子の人生めちゃくちゃだ。

だから今子供達にワクチンを

打たせてる親に言いたい。

何かあってから後悔しても

健康な体は戻ってこない。

遺伝子が逆転写されるんだよ?

いつどうなるかわからないんだよ?

だから私は、

子供に打たないでと

誰にでも言う。

えーん

転載させて頂きました。

貴重なお話をありがとうございました。

今、ワクチンに反対している人は、

本人または、本人の家族、

または友人など親しい人が、

酷い目に遭った人です。

その経験から、色々と調べて、

勉強をして、

そして、その結果、

自分たちのような

思いをさせたくなくて、

必死で伝えているのです!!

「反ワク」等という呼び名で、

レッテルを貼らずに、

是非、耳を傾け、

考えて頂けたらと思います。

ピンクハートラブラブブルーハートブルーハーツ