ある日、笹井くんから相談されました。

「長野の日本酒が元気な中、僕らの地元「松本」はアピールが下手で出遅れている感があり正直焦っています。何かできることはないでしょうか?」

笹井くんとはもちろん、松本市で笹の誉を醸している笹井酒造の笹井康夫さん。もちろんこだまではお馴染になりましたが、独自のストイックな小仕込みでじわじわとファンを広げている小さな蔵の造り手です。

僕もちょうど思うところがありまして。

僕の立場である「酒屋」というものは「扱っている蔵の酒を広めるために活動する」のが当たり前じゃないですか。この「扱う」という行為への解釈はいくつかあって、うちみたいに「扱う≒結婚する」と考えて将来に渡って末永く応援させていただく前提で深く深くお付き合いするところもあれば、売れてるものや流行りのものをスポット的に入れて銘柄をどんどん入れ替えていくところもある訳で(それに対して言いたいことはありますが今回はその話ではないので割愛)、特に僕のような小さな小さな酒屋には銘柄数にも限界がある訳です。

でも、頑張ってる蔵元見ると応援したくなっちゃうのよ(苦笑)。

それじゃ、って銘柄をそう簡単に増やす訳にもいかないし(これでもアプローチいただいていながらお待たせしている蔵が20蔵くらいあるのです)、そもそもお酒並べるスペースないし(笑)、あとはこれが一番大きいんだけど、増やすとひと蔵あたりの僕の愛情が薄れる気がして嫌なのです。今年はだいぶ増やしたけどもうこれで精一杯。

なので前々から考えていたこと、えーとこれからちょっとおかしなことを書きますが笑わないでください(笑)、要するに「取り扱いをしていない蔵元を応援する方法はないだろうか」とずっとずっと考えていたのです(大真面目)。

だったら信条曲げてスポット的な扱いとかすればいいじゃん、とお思いでしょう。ええ、ええ、頭ではわかってはいるんですよ。でもね、そういう安易な付き合い方が出来るほど器用な男じゃないんですよ。付き合いだしたらたぶん必死になっちゃう。だから今はそれが出来ないしやらない。

という訳で前置きが長くなりましたが、笹井くんから相談を受けて「これはいい機会なのかも」と思い立ち、まずは松本管内の蔵元の意思を確認していただきました。こういう場合、最も大切な「モチベーション」が揃わないと何も進まないのです。その結果、笹井酒造を含む5蔵が名乗りを上げてくださったということで、まずは僕自身がその蔵と酒、そして人を知らねば何もできないということで6日(火)に早速松本を訪ねてきたのです。

もちろん何もかもが白紙の状態。
僕もまったくの手探りなら松本の蔵も何だかよくわかってない(笑)。
こういう時に僕の信条のひとつ、「悩んだら動く」が役に立つ訳だ。難しいことは後で考えりゃいいじゃん。まずは会わなきゃ始まらないぜ。


8時ちょうどの~スーパーあずさ5号で~♪・・・と40代以上にしかわからないネタはお約束と言うことで(笑)松本駅に降り立ったのは10時半過ぎ。今日は一日、笹井くんが車で各蔵を移動してくれます。言いだしっぺとはいえお疲れさま、笹井くん。


まずは、善哉(よいかな)酒造へ。



松本城からもほど近い、静かな町中にあります。代表銘柄は「善哉」「女鳥羽の泉」。以前は穂髙社長が杜氏をされていましたが高齢のため、以前より蔵人だった根岸則夫さんが8年ほど前から杜氏を務めています(僕のひとつ歳上)。豊富な湧水(蔵の前にも女鳥羽の泉が湧いており、近所の方が水を汲みに訪れていました)は美ヶ原を水源とする柔らかな水で、その水質を生かし9号酵母をベースに潔い印象の酒を醸しています。古い蔵ではありますがウッドソンを入れたり急冷に手間を掛けたりと随所に工夫が見られ、それが酒質に反映されています。仕込みは1トン仕込みを中心に、3名ほどで約200石を醸します。根岸さんの柔らかな人柄がそのまま酒になったような印象を受けました。


そして、岩波(いわなみ)酒造へ。



松本市内からちょっと山の方へ。まさに「山里」という雰囲気の中に蔵はありました。主要銘柄は「岩波」。当主の名字が小岩井、そして近くを流れる川が重要な生活用水となっていた歴史の中で「波」という呼称が生まれて「岩波」となったようです。過去にはかなり大きな生産量がありましたが、現在の仕込みは5名ほどで1,000石弱を造ります。タンクの関係で仕込みはほぼ全て総米2トン仕込みという決して小さくはない仕込みですが実に丁寧な仕込みをしている印象。数年前に頭から就任した柔軟な思考の50代の佐田直久杜氏、そして30歳の次期蔵元、小岩井昌門(まさと)くんの若い感性が融合してベーシックな中にも新しい形が芽生え始めています。


さらに、亀田屋(かめたや)酒造店へ。



こちらは松本市の郊外、大信州さんの本社からすぐ近くの島立地区にあります。代表銘柄は「亀の世」「アルプス正宗」。作家もされている竹本祐子社長のもと、東京の澤井酒造を経てこちらへ就任した40代前半の清都(きよと)幸大杜氏、そしてそれを陰で支える敏腕営業マン(笑)の50歳の鳴澤英春さんが活躍しています(ちなみに清都さんのご実家は富山の若駒(勝駒ではありません)さん)。古いけど整理整頓された蔵で伝統を守りながら新しいことを模索している真っ最中という感じでしたが、どの酒にも「男性的な強さとキレ」を感じたのがとても印象的。こちらは北アルプスからの伏流水を使い、総米600~1トン程度の仕込みが主体で約200石を醸しています。


そして最後に、EH(いーえいち)酒造へ。



住所でいうと安曇野市になりますが同じ松本管内の蔵です。代表銘柄は「酔園(すいえん)」。名前を見てわかる通り、13年前にいわゆるM&Aでそれまでの酔園酒造から生まれ変わった会社です(経営母体のEH(エクセルヒューマン)社は製造小売業の会社でアメリカにワイナリーも持っています)。蔵は海外の大きなワイナリーのような外観でおよそ日本酒の蔵には見えませんし中もとてもお洒落。ところが実際に造りの現場に入ってみるとわかるのですが、見た目はハイテク、中身はローテクと言いますか(笑)全てが手造りそのままの工程になっています。これは北条杜氏の方針に沿って設計されたそうですが、その北条杜氏も高齢(75歳くらいだそうです)でそろそろ頭(40代前半)に道を譲るかも知れないという話でした。現在も北アルプスからの伏流水を使い、2トン前後の仕込みを主体に1,000石弱の造りをしています。酒質はもう流石と言いますか、このクリーンな環境と設備を生かして米と酵母の特性を素直に引き出し、さらに柔らかで丸い甘味が実に印象的。その酒質レベルには正直、ちょっと驚きました。常務で40代前半の飯田純一さんが丁寧に案内してくださったのですが、実は彼、元々は酔園酒造の息子さん。EHのことも突っ込んで聞いてみましたが造りのことに関しては完全に現場を信頼して任せてくれていて口出しも一切なし。その辺は全く問題ないようです。酒質に関しては現時点ではちょっと頭ひとつ抜けてる印象です。


さて、これで5蔵回りました。・・・あれ?5蔵?


・・・あ、笹井くんとこ忘れてた(爆


笹井くんとこは、まぁ、しょっちゅう行ってるからいいや(笑)


さて、夜は懇親会です。松本駅前の庵寿さん。おつまみもお酒も美味しい、明るい雰囲気のお店でした。みなさんお忙しい中集まってくださいまして、これがまたすげー盛り上がりまして(笑)岩波の昌門くんを除けばみんな40前半から50歳という同年代(?)なもので、お酒のみならず趣味の話やらなんやらであっという間に時間は過ぎていきました。



左から、EH酒造の飯田純一さん、前が笹井くん、後が岩波酒造の小岩井昌門くん、そして亀田屋酒造店の鳴澤英春さん。

あまりにも盛り上がり過ぎて、庵寿さん出た後にいつものばんざい家さんへ。それを聞きつけた風林火山の中村さん、アガレヤの千國くん、そして厨十兵衛の井出さんまで駆けつけてくれて最後はぐちゃぐちゃ(笑)有り難いなぁ。あー、楽しかった♪



さて、この結果、何が始まるのでしょう。

始まるかも知れません。始まらないかも知れません。
けっこう早いかも知れません。かなり時間が掛かるかも知れません。
ここでは話せないこともいろいろありますが、ひとつだけ確実に言えること。


みんなと仲良くなれた!(わーい♪)


うん、今はとりあえずそれで充分。
みなさん、本当にお世話になりました。
頼まれなくてもまた松本へ行くぜ!(笑)




そして翌朝、少々二日酔いだった僕を気遣って駅前のスタバに誘ってくれた笹井くんと朝からデートの図。笹井くん、目を開きすぎ!(笑)自身の蔵や酒だけじゃなくって地元である松本を盛り上げていこうという気概と優しさの持ち主です。笹井くん、ありがとね。


善哉、岩波、亀田屋、EH、そして笹井。それぞれがそれぞれの想いで頑張っています。見かけたら、よかったら、応援よろしくお願いします。

何かが変わる。何かが動く。何かを創る。
既成概念としての酒屋の枠を超えたい地酒屋こだまの楽しい松本旅行でした。


 *関係者の年齢は呑みながら聞いたので記憶が不確かです(笑)間違ってたら教えてください、すぐに訂正します。