今日は何を観ようか?と、上映スケジュールをサラッと眺めて、YouTubeで予告編見てコレ!と決めた作品。

それ以外、何の前情報も入れずに勢いで観た

 

 

『 ルイの9番目の人生 』日本公開 2018年1月20日 

 


 

 

*ストーリー

ひどい難産の末にこの世に生を受けたルイは、奇妙なことにそれから毎年、8度にわたって生死に関わる大事故を経験していた。そして美しい母親ナタリー(サラ・ガドン)、別居中の父親ピーター(アーロン・ポール)に9歳の誕生日を祝ってもらうためのピクニックである渓谷を訪れ、ルイは崖から転落。9度目の悲劇に見舞われてしまう。地元警察のダルトン刑事(モリー・パーカー)はこの事故を“事件”ではないかと疑い、現場から忽然と消え失せたピーターの行方を追っていた。(公式サイトより抜粋)

 

 

 

 

前半〜中盤ごろまで、何のジャンルの映画なのかよくわからない。

ジャンル臭を強く打ち出さない作品は好きなので、少しワクワクする。

 

ファンタジーのようでもあり、コメディー・センスも匂わすが、どうやらコメディーでもない。
ジャンルが見えない原因は音楽にもあるようだ。
映像このままで、ホラー風、サスペンス風の音楽に変えたら、それとして成立してしまいそうな展開。

そして最後まで見終えた時に、これが広義の意味でのSFを軸にした「推理もの」の様な「サスペンス」の様なものであったことに気づかされる。

 

 

さて、出演情報入れてなかったので映画を見始めてビックリ!

米ドラマ『 ブレイキング・バッド 』のジェシー役のアーロン・ポールが出ているではないか?!

 


右の人ね。

 

『ブレイキング・バッド』とは、僕ランキング・テレビドラマ部門で唯一『 LOST 』を超える、怪物ドラマです。

 

アーロン・ポールは、その主役格2人の内の一人を演じていました。

当然、アメリカでの認知度も高いでしょう。

 

それで、この映画のオリジナル版のフライヤー、ポスターもこうなるわけだ。

 

 

『ブレイキング・バッド』では死ぬほど苦悩する役を演じ、その後の米ドラマ『THE PATH/ザ・パス』でも苦悩しまくる男の役でした。

この映画の役柄もその流れ。

 

ヒット作で、一つの役柄のイメージが付いてしまうと、その後しばらくはそのイメージを引きずってしまう傾向があります。

一つの役柄のイメージを貫いて成功を続ける俳優もいるし、役のイメージに縛られるのを嫌っているかのような俳優もいるし。

これは、どちらが正解ということはない。人によるし、状況にもよるでしょう。

俳優としての自分プロデュースの判断の難しいところですね。

でも、アーロン・ポールの違う役も見たくなっているというのが僕の正直な気持ち。

 

 

 

アーロンの後ろに横向きで立っている髭の男は、ジェイミー・ドーナン。

『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』というエッチしまくりなエロエロ映画で主役やってた方です。

(すまん。見てないので、こんなイメージしか持ってないのであります。)

 

 

 

僕的に、この映画の一番の驚きはこの女優さんが出ていたこと。

 

サラ・ガドン(Sarah Gadon)

カナダの女優さんです。

 

僕がサラ・ガドンを初めて観たのは、

スティーブン・キング原作、J.J.エイブラムス制作の米ドラマ『 11.22.63 』

 

原作がそうなんだから仕方ないけど、途中からどんどん期待しない方向へ物語が進んでしまい、僕的には残念な結果になってしまったドラマでしたが、唯一の収穫といえば、このサラ・ガドンという女優さんの存在を知ったことでした。

 

 

写真で見るとね、まあ美人ですよね〜

ってくらいでしょうが、動いているサラ・ガドンは、写真に撮りきれない魅力と独特の存在感があります。

良い意味で今っぽくなく、時代を感じさせず、清濁合わせ持っている感じがあります。

この女優さんのそういう魅力は、なぜか写真には映らないんだよね。

 

 

「世界で最も美しい顔100人」

なんか、聞いたことありますよね?

一体誰が、どんな基準で決めたんだよ!ってツッコミは置いといて、

それの2017年版で、サラ・ガドンは4位だそうです。

「世界で最も美しい顔100人」(リンク)

 

 

確かにこの人なんだけど、でも動いてるサラ・ガドンこんな感じじゃないんだよな〜

写真だと魅力が伝わらないですww

 

 

 

 

(感想)ネタバレあり

原作読んでないのに無責任に言いますが、恐らく原作小説を読んだ方が遥かに物語を楽しめそうです。
映画としてのプラスαの魔法は起きていないようです。

あくまで、映像化難しいと思われた原作を、

原作のイメージ壊さないように映像化してみたよ

くらいな感じです。

つまり映画としてのパワーは無いです。

最終的にテーマは一応重かったと分かるんですが、作品としての重みはないかな〜。

が、

それを踏まえた上で、期待せずに気楽に観ていただければ、結構楽しめるのではと思います。

 

 

どこに映画としての失敗があったのだろうか???

 

一個だけ僕が思うのは、医師役のジェイミー・ドーナンのキャスティングではないですかね。

カッコ良すぎるのです。

〜そりゃあ不倫するわ!モテそうだもの。遊んでそう〜

って感じを匂わせちゃって、映画が軽くなりましたね。

 

もっと誠実そうで、浮気とは程遠いイメージの役者の方が良かった。

そんな地味で生真面目な医師が、気が弱くなり医師を頼る母親に同情して面倒を見ているうちに・・・

とういう演出の方が、サラ・ガドンの純と魔性の両方をもっと引き出せるし、失踪した父親をもっと悪者にも出来るし。

 

原作では、医師はどういうイメージだったのだろうか?

 

小説で読んでおかしくない要素を、そのまま映像にすると全体のバランスとしてそぐわない場合があると思う。

文字で読んだものは、こちらの脳内で都合バランスよく修正が効くが、そのまま映像にすると間抜けに見えたりする。

 

手に取ってみた時に最高に素敵だと思えた服が、試着してみると急にさっきのその服へのトキメキが消えてしまい、100%の確信を持って「この服は買わない」と思えることがあるが、そんな感じだ。

 

ここは原作無視してでも、医師のイメージ変えたほうが良かったのでは?と思います。

 

 

 

 

僕が、この作品で面白いと思ったのは、

こういうテーマの作品でありがちな、"スピリチュアル”的な解釈へと流れなかった事。

霊とか、臨死体験とかの解釈に流れなかった。

あくまで、"意識の世界"という解釈でした。

 

僕自身、個人的にずっと意識の研究をしているのですが、

僕的にも、意識は「海」にたとえられます。

ルイが海に落ち昏睡状態となり、心の海の中を彷徨うというのは、見事な隠喩になっています。

 

ラスト、意識の海を泳ぐルイは父の言葉に促され、

 

起きる???

どっちでもいいけど、でも目覚めるとするか・・・

 

といった感じで目を開ける。

ここで映画は終わるが、おそらく昏睡から意識が戻ったであろう。

 

少しジ〜ンとしましたね。

だって起きたって、ずっと殺されかけて、心も歪んでしまった人生だったし、起きてももう両親ともいないし、身体じゅうの骨はバラバラだし、起きても当分苦しみしか待ってない人生ですよ。

(血の繋がらないおばあちゃんが側にいてくれたことが救い)

 

それでも彼は、目を開けました。

生きると決めました。

 

どんなに苦しくても、それでも人生には生きる価値がある。

 

そんなメッセージに受け取れました。

 

 

 

 

あともう一つ、僕が受け取ったメッセージは、

" 血のつながりよりも、心のつながり "

かな。

 

長期的に見て、これからの時代は、これがどんどん大きな意味を持ってくるでしょう。

 

昔は、血のつながりこそが大事だった様に思います。

人間が、ただ食べて生きていくだけでも困難な時代は、血のつながりは信頼できました。

 

文明が豊かになるという事は、生きる選択肢が増えるという事です。

 

 

毎日の様に、家族同士の殺人事件のニュースを見ますよね。

悲しい事です。

殺すくらいなら、離れれば良かったのに。

離れるという選択肢があるのに、それが出来ないのは、血のつながりという呪縛があるからでしょう。

 

 

この映画の家族の場合は、それとはまた少し事情が違いますが、

それでも一緒にいなければ、彼女自身も殺人者にならなくて済んだのです。

 

 

「ルイは、血の繋がっている母親からは命を脅かされている

父親とは心がつながってるが、血は繋がっていない。

父親と母親が別居する時には、ルイは当然母親と一緒にいなければならない・・・」

 

 

 

 

どうしても合わない人とは、

一緒にいると問題が起きる人とは、一緒にいない方がいいんだよね。

お互い殺人事件の当事者にならないで済む。

たとえ殺さないまでも、いがみ合ったままではお互いが不幸になるだけです。

 

職場の人間関係が悪ければ、すぐには無理でも、いざとなったら仕事を変えて離れられると思えれば、まだそれで少し心の余裕を持てますよね。

 

でも、血のつながりは変えられないので、良くも悪くも強い呪縛となります。

昔は我慢が出来たんですよ。血のつながりで団結しないと生きていけなかったから。

 

映画でマフィアとか見てると、例外なく家族を凄く大事にしますよね。

あれはやっぱ血のつながりで団結して助け合わないと、警察はもちろん、敵のファミリーとかあって生きづらいからですよね。

 

人間というのは、ワガママなものなのです。

血のつながりに頼らなくても生きていけるとなれば、その重要度は下がります。

 

100年か200年先かは分からないけど、血のつながりの重要度はかなり低くなり、そういう法整備も整うでしょうね。

 

「え〜?!200年前の人は、自分で自分の家族を選べなかったの?!」

みたいな。

 

昔は住むところ、職業、結婚相手を自分で選ぶなんて出来ないか、出来たとしても困難であり、またそれが自由になるなんて想像さえしていなかったかもしれません。

今では、とても考えられません。

文明が進むと選択肢が増え、いろんなことを自分で選べる様になっていきます。

それが、幸福に向かう道なのかどうか?そんなことにはお構いなしに、文明とはそういう方向へ流れていくものです。

 

[追記 2018,2/5]

早い話が、近い将来、ベーシック・インカムが本当に施行されるだけでも、人はかなり自由になれる可能性があります。

ベーシック・インカムとは、世帯ではなく個人に支給されるはずなので(本人しか受け取れない様にしないのなら意味がない)、大人でも子供でも食べる生きる最低限が保障されれば、虐待されている子供や妻は夫から逃げることが出来ます。パワハラやセクハラ、ブラック企業を辞めることが出来ます。生きる為に犠牲にしなければならないことが減り自由度が増すことでしょう〜。

 

 

ルイと、血の繋がらない父親と祖母の心のつながりに、そんな人類の未来へのサインを感じてしまいました。

 

 

まぁ、話は色々脱線しましたが

『 ルイの9番目の人生 』

50年代のハリウッド女優の美しさを少し思い起こさせる サラ・ガドンの魅力を確認する為に、観ておいても損はない作品かもしれません。特に男性は。

 

 

ではまた!