こんにちは。
今回は、実は公開されてすぐ観に行った『 レヴェナント 』
【 解説 】レオナルド・ディカプリオと、『バードマンあるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』などのアレハンドロ・G・イニャリトゥ監督がタッグを組んだ話題作。
狩猟中に瀕死(ひんし)の重傷を負ったハンターが、自分を荒野に置き去りにした仲間に復讐(ふくしゅう)するため壮絶なサバイバルを繰り広げるさまを描く。
オスカー常連のカメラマン、エマニュエル・ルベツキが自然光のみで撮り上げた臨場感あふれる映像にも注目。
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ディカプリオが、やっとオスカーを獲れた事で話題になったこの作品。
アカデミー賞がイニャリトゥ監督に2年連続、監督賞をあげたのにはびっくりしましたが、
実際に作品を観て「これは、監督賞獲って当然」と納得しました。
僕の結論から言うと、
映画史に残る記念碑的な偉大なる作品
という評価。
あらゆる点で凄まじくスゴイ!!
「映画の可能性の扉を一つ開いた」と言ってもいいかもしれない。
実話とフィクション(脚色)が見事なバランスで、一つの臨場感世界を作り出した。
自然光の生感とCGの見事な融合が、これにリンクする。
過酷な自然の真っ只中での撮影。
半端なごまかしのフィクション映画を撮るつもりなら、こんな所まで来る必要はない。
過酷な自然の中で撮る映画は、日本映画でもたまにある。
しかし自然の中で撮れば、そのままその自然を感じれる見事な映像が撮れるかと言えば、
そんな単純なものではないという事は誰でも容易に想像がつくだろう。
カメラは観たままを映すものだが、感じる所までは映してくれない。
夕日に映える富士山や、大きく輝く満月をカメラに納めたことはあるだろうか?
下手なカメラでは、写った乏しい情報量に愕然とする。
カメラは、そう簡単に心の驚きまでは写しとってはくれない。
この作品の凄さ!それは臨場感!
迫力という言葉ではちょっと違う。
機をついて脅かすような下品な迫力の演出ではない、凄まじい臨場感である。
それは人工照明を使っていない、自然光だけの波長のせいもあるのか?
ここまで見事な臨場感あるカメラワークは他では観たことがない。
リアルな生感を追求しながらも、時に登場人物の心の中にまで入って行くかと思う様な、まるで宮崎駿アニメみたいなファンタジーなカメラワーク。
これほどの映像を撮る為には、よほどの入念な撮影計画と、過酷な状況の中での何回もの撮影リハーサルが必要であっただろう。
一体どうやって撮影しているのか?
これ何テイク撮って成功したのか?
想像もつかない。
2Dなのにまるで自分も同じ現場に居合わせている様な臨場感である。
これ見たら、3D映画の存在意義が無くなるね。
自分が映画好きだと自称する人は、絶対劇場で観るべき作品!
ネットの評判では、「眠たくなった」なんて意見もあったり、あまり良くないものも多い。
なるほど、そうかもしれない。
映画好きを自称する人の中にも、これを受け止められない人(難癖を付けたくなる人)が多い可能性を感じる。
だとしたらそれは映画というものを、期待通りの感動を見せてくれる筈の『 商品 』としてしか見られなくなっているのかもしれませんね。
目の前のものを素直に見れていない。
「映画というものはこういうもの」というような自分の先入観のキャパの中でしかモノを見れなくなっているのでは?と危惧します。
映画は確かに娯楽であり商品ですが、稀にアートでもあるのです。
そして、そんな商品やアートを撮って世に公開したという記録でもある。
例えるならこの作品は『2001年 宇宙の旅 』級の作品だと思える。
『2001年 宇宙の旅 』は、
単に映画史というだけでなく、当時の人々の脳内に発想の限界を超えるとてつもない衝撃を与え、新たな時代の扉を開いた記念碑的作品であると思うのだが、
公開当時、あの作品を理解した者はどれだけいたのだろうか?
きっと誰も本当に理解なんて出来なかっただろうな。
ただ「凄い!」ってことしか言えなかったのでは無いだろうか?
そして、きっと沢山の人が、後半つまらなくなって眠ってしまったことと思う。笑
それでいいと思う。
アートいうものは、その時々の自分なりに理解すれば良いものだが、たとえ全く理解出来なかったとしても、それでも触れる価値があるものと思っている。
アートとは、体験することだと思う。
何を感じるかは自由。
好き、嫌いも自由。
作者の意図と違う解釈をするのも自由。
逆に言えば、アートとは我々の好き嫌いによって全く傷つけられないもの、価値の変わらないものである。
近年では、アートの仮面を被った商品も当たり前に出回っているので、アートと商品の境界線というものは分からなくなってしまったが、でも本質的にアートと商品とは相容れないものと思っている。
たとえば『全米が感動!』というよくある宣伝文句。
それを期待して観に行き、感動出来たならそれはそれで問題ない。
でもそれはアートではなく商品である。
かゆい所を掻いてもらいに行き、掻いて貰うのと同じ行為だ。
勘違いして欲しく無いのは、
僕がこの作品をアートと言うのは、実はこの作品の持つストーリーや感情についてなど文学的側面についてではない。
ストーリーは極々単純な話だ。
お話から学ぶような含蓄など特に無い。
この映画がアートと言えるのは、映像そのものだ。
映像の美しさがアートだと言っているのではない。
「 映像が映し得るものの情報量の凄さ」とでも言おうか。
この映画のストーリーの主題は「復讐」だろう。
僕はこの復讐劇にはあまり興味がない。
僕が夢中になったのは、
映画の映像として面の隠れ主題と思われる
「自然との闘い」
と言っても、実際には闘いにさえなっておらず、
自然を汚し抗いながら、只々必死に生き抜こうとする人間の営みである。
ここに「先住民と侵略者の争い」や「命の尊厳」に対しての、普通の名作にありがちな叙事詩的な神の目の視点や、解釈の誘導が無いところにもこの作品の独自性がある。
カメラは起きている出来事を偏った解釈なく、ありのままに見つめていく。
僕はこの映像に、子供の絵本を読んでいるような淡々とした感覚を覚えた。
『 〇〇は、△△をナイフでずぶりと刺しました。
刺したところから血がドロドロと流れ△△は死んでしまいました。 』
そんな感じ。
そのカメラは、決して冷酷な目ではない。
だが暖かでもでもない。
ありのままの目だ。
あなたが映画ファンなら、
あなたが映画では稀なアートを観たいなら、
あなたが歴史に立ち会いたいなら、
是非、劇場で『 レヴェナント 』を観ることをお勧めする。
すでに上映回数が減っているとは思いますが、まだ上映中です。
これが『 映画 』です。
文学でもない。お芝居でもない。舞台劇でもない。
映像でしか表現し得ない『 映画 』です。
ちなみにですが、
僕は全くディカプリオ・ファンでも無いし、イニャリトゥ監督ファンでもない。
イニャリトゥ監督の前作『 バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』も、イマイチという感想でした。(やってる事は面白いと思いましたが。)
ずっとクレイジーな男の役ばかりを選んで演じ続けるディカプリオ。
大体どの作品でも饒舌にクレイジーな口調で喋りまくっている彼が、
この作品では殆ど喋らない。
いや喋れないし喋るどころではない。
僕的には、それがもうなんだか可笑しすぎて。
ディカプリオは素晴らしかったです。
こんな過酷な撮影状況の役に自ら挑むクレイジーなハリウッド俳優は、ディカプリオしかいないでしょうね。
これで僕もディカプリオ・ファンになってしまったかもしれません。
イニャリトゥ監督の過去作もチェックしようと思います。
ではまた。
