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腎臓がんといろいろ日記

30後半に腎臓がんになった40半ばのブログです。
まずは、自分の備忘録・記録として少しづつ腎臓がんや体調の経過を書いていこうと思っています。
あとは、日記の代わりとして考えたことやあったことを書いていきます。
将来、子供が読んでくれたらと思っています。

あれから9年ですか

大震災後の南三陸におりたったときの衝撃、ショックはいまだ忘れません。

自分自身も予定していた大事な終の住処が住めなくなり、身内をなくしました。それについては某電力会社のせいですが……
住んでいた人が亡くなってしまうと何の保証や補助もないので、自分の親は自腹で行き来して片付けや手続きをしています。

いまだもっと苦しんでいる人達もいるかと思います。いつか救われる日がきますように。
大変お久しぶりです。

なんとかやっております。

いろいろ亡くなった方々を思い出しつつも、日々の生活が細って苦しいので更新しずらくありました。

自分の癌も8年目に入り、何年たっても油断できない腎臓癌であることにつらさを感じております。

この間、気休めでも除菌スプレーしたマスクをつけて仕事してたら、「何でマスクしてんの?」と自分が腎臓癌だと伝えている唯一の職場の人に皆の前で言われて苦笑いしかできなかった、弱者(子育て)に大変に優しい職場に勤める私です。
ちなみに癌になったとき無理して引継ぎ書作りに出勤して、渡しておいたら手術後出勤したところ一切タッチもしてなくて、無理難題がさらに積み重なっていた弱者に優しい職場です笑い泣き。仕事無理して頑張る病人と子育て頑張る未来ある方々の扱いは違って当然ですよね〰😢。私も多大なる支援をいつもさせていただいてます。


まあ、そんなことはよしとして。

もう何年目でしょうか。311またこの日がきます。

最近はコロナで騒がしいので、よくテレビを見る時間がふえたような気がします。

なんですかね。あれ。

やっぱり数字、利益に直結する話題を煽りまくるのが仕事なんですかね。

311津波の時に数十メートルを数メートルと誤報して安心させ、家に待機させて、万単位で人の命を間接的に奪ったのは反省とか一切ないんですかね。
自分らでわからないことはいくら電波で拡散しても何もおとがめなしなんですね……

今回のコロナも自分らではわからないからと煽りまくって、結果いろんな人が間違って行動して苦しむのも、かつてない災害、ウィルスだったから〰煽るのもしょうがないよね〰と許されることなんですかね。
トイレットペーパーが売り切れてますって……それってテレビで煽りまくる誰かがいるからでないの。
もっといえばマスクでウィルスが防げるかよくやったほうがいいのでは。なってる人がマスクするならともかく、ウィルスよりマスクの網目のほうが本当に小さいのかなー?
ちゃんと放送して煽りまくらなければマスクが罹患してる人に行き渡ったのでは。


あれ、本当になんのために津波の誤報流したりコロナの煽りをしてるんですか……
人の命に関係していると本気で理解しないのでしょうか。
テレビでやれば本当だーと思う人ってものすごく多いことを、当の流す本人は理解してないのかな。


学校登校しないようにしたら、やれ長い休みで困る人がいる~だの勝手に決めて~どうとか、、
じゃあそのような人は夏休みを代わりに無しにしてあげたらよいと思うのです。一体いままで夏休み冬休み春休みはどのように過ごしていたのか不思議です。
(しかし本当に子供を預かってもらわなければいけない2馬力でない独り親で祖父母が近くにいない方々には社会がもっとずっと手厚く保護保証すべきかと思います。)
コロナで罹患する可能性が増えるお年寄りの命より自分の都合と二人分の収入が大事だと言うなら、、、まあ、何とも、、そうですか~と私は悲しくなるだけですが。


どうせ休校しなければ、そのせいでひろまった~のだと騒ぐだけでしょう。

そのような目的で休校をあーだこーだ言うのは不思議でしょうがない。
リスクを回避することがそんなにいけないこと?
ただテレビの人らは単に政権=日本をぶっつぶしたい?大震災とかゆとり教育の時みたいに。

とにかく自分の立ち位置を明確にしないで、超大量な人達に電波を利用できる立場で、偏った意見考え煽りは流すべきでないと思うのです。

皆マスコミは正しいとの観念があるのですから。


最近テレビ見る機会が多いからこんな戯れ言が言いたくなるのかも。

やっぱり見なければいいんですね〰

気を付けます。




いや大変でした。

皆さまもいろいろ大変でした。

職場につくまで四時間かかりました。

まずは最寄り駅の入場規制から
ほとんどこない各駅になんとか乗り込み

途中駅の乗り換えで、もうマックスぎゅうぎゅうの状態の電車にホーム満載になってる乗客のごく一部がなんとか押し込まれる……

それも1時間半待って押し込まれたが、、
電車のなかはキツすぎる状態で怒号が飛び交うー
それを各駅ごとに繰り返し、、

なんとかなんとか職場の駅へ。

着いたらすぐさま、理不尽会議へ……

本当に悪意のある、自分ができると勘違いしている、押し付け人はやっかい。
正直いないほうがずーっとスムーズに全てが進んで皆が喜ぶと教えてあげたい。自分ではエリートが面倒みてやってると思ってるらしいが、滑稽だわ。


帰りもいつもの通勤路線が怪しいので、振替で正解。多少の時間追加で済んだ。


本日は痛勤大変でしたー
かれこれ

20数年前……

大洗から苫小牧へフェリーで

原付、スクーターで北海道へ


まず大洗行くのが大変だった。道が沿道なくて。トラックをギリギリ避けながらいったなぁ。

フェリーで苫小牧ー二十時間。。
からの夜中に五、六車線の太い道路を通りホテルへ。泊まり慣れていないのでビジホの朝食バイキングが珍しいー。一路、新冠へ


馬産地をみてまわった。

アロースタ○トとかいったなぁ。

新冠のユースホステルでは皆と話して、なんだか有名な馬のたてがみをもらったような。

夕食からいろいろ知らない人と語り合い楽しく過ごした。なんとなく夕食はハンバーグだったような。


夜は二段ベッドの上で薄い携帯ラジオでよく知らない番組を聞きながら寝たなぁ

一人でこんな知らないとこをふらついている自分を不思議に思いつつ➰


翌日は襟裳岬へ

途中、道の駅みたいなとこ、みついしと言ったかな、でソフトクリーム食べたかな。ただ海沿いをひたすら走った。

襟裳岬近づくにつれて、海沿いをぎりーの道が多くなった気がする。


やーっと、襟裳岬。

売店やらを冷やかして、風の資料館みたいなとこで襟裳の風を感じる。

ここがあの!襟裳の春は〰


一頻り実感して、今度は十勝方面へ

百人浜というとこを通ったのをなんとなく覚えている。

とにかく海沿いをスクーターでひたすらー


海沿いのトンネルとかを潜りながらついたのは、広尾。

といっても東京のではなく、北海道の港がある広尾。


そこで味のある大通りそいの民宿へ

なんていったかなぁー

夕食に豪華御膳がでて、カニとかあってびびった。床の間があるような渋い部屋。
トイレは共同だった。廊下にマンガがちょっと置いてあった。

たぶん出張サラリーマンとかが隣に泊まっていたんだろうな。

そこの民宿を出るときは雨だったのを覚えている。カッパを難儀してきて、通りをエイゃって出発した気持ちがまだ残っている。


なんにしても広尾。あの民宿。

どこだったんだろうー

発見してまた泊まってみたいな。