道は通る人がいなくなれば、当然維持されなくなるし、やがて消えゆく。

 

仕方ない…とも

 

かつて旅人らが休憩し、お茶で喉を潤したであろう茶屋の跡も、林道と作業道で消える。

 

だが…

せめて、古道への連絡路は残して欲しい。

 

この下、つまり作業道を開削した際に出た、残土や抜根された切り株などの下に古道がある筈なので、一生懸命に探したのだが…

 

ついに見つからず(涙)。

 

実はこの地点、一番最初に峠越えをした際に迷った場所。

できるだけ古道を歩こうとすると、ここからの道が全く解らず、誤って違う谷を降りてしまった。

途中であまりにも古道とは違う雰囲気(結局それは作業のために歩いた痕跡)に引き返して事なきを得たが、最悪の事すらありうると。

 

古道に歴史的な価値を見いだせない価値観を持った人であっても、せめて歩かれるようにだけは…。

もっとも、存在すら知らない担当者であったのかもしれない。

 

「今あるモノが無くなるのが未来」

良く判ってはいるが、せめて・・・・・。

 

前回はまだ何とか降りられた、山中にある筈の古道を下る事を諦め、林道をとぼとぼ歩く。

 

やがて視線の先に、茶屋跡から作業道を開設し、間伐した木々を運び出したと思われる山腹が見えた。

少し腹立たしくなった自分が悲しくなった。

 

古道も最初は自然を改変して出来た事に違いない。

この林道も、茶屋跡からあの山腹への作業道もそれは「現代の自然の改変」

 

以前の道が消えたとしても、それは自然の中においてはほんの些細な事…

太古の昔から繰り返された、地形の改変の一つなのだと。

 

 

 

 

人が通られなくなった事で、かつては歩かれた林道から古道へと通じる木道は

 

老朽化し朽ちて危険であるためか閉鎖されていた。

そもそも林道が開設されなければ古道は維持され、このような付け替えの木道も必要ではなかったかもしれない。

 

林業のためには仕方ない、仕方ないのだ

 

頭の中でのツブヤキが繰り返される。

 

利用の頻度から舗装はされていない林道

 

どうしても雨が降れば砂利は流され、洗掘が進む。

さりとて舗装をすれば一気に雨水が集まって災害の要因となる。

 

人が手を加えたものは、自然に抗ってその用途を終えるまで手を加え続けなければならない。

 

やがて

間伐が行われた斜面が見えてきたが

 

林縁部の木々がバタバタと林道に向かって倒れている。

 

 

林縁部の木々にしては、枝打ちが上までなされており、明らかにバランスが悪い。

風が強く当たる部分の木々は、下枝が残っていなければ倒れるというのに…

 

自然な状態で育つ木々において、何故そこに枝が生えてくるのか?

観察して考察すれば感じられる事があると思うのだが…

 

ため息と、足元から伝わる古道とは違う 機械によって固められた道の硬さに疲れが増す。

 

やがて林道を閉鎖する鋼製のゲートが見えてくる。

 

幸いなのは、きちんとこうして普段は閉鎖されているということ。

開けてあると、興味本位の方々が乗り入れ、林道にて何かあると「管理者が悪い」と…

管理する側の責任ももちろんあるが、まずは自己責任ではないか?

 

ここは山中であり

 

危険に満ち溢れている。

 

整備された都市ではない。

人々が暮らす地域でもない。

滅多に人が訪れない場所なのだ

 

それを忘れてはならない。

 

 

だから、秋葉街道の入口がやむなく封鎖されていても、仕方ない。

通る人が少なくなり、維持する人がいなくなれば道は自然の中に消えゆく。

 

自分はこうした現在歩かれない部分を、何とかしたいと考えてはいるが一人では限度があるし、途切れずに繋いでいくには多くの人の力を借りねばならない。まずはその存在をこうして知らしめ、魅力について伝え、実際に現地に足を運んでもらう機会を作って行かねばと考えている。

 

県道上飯田線を下りながら、そんな事ばかり考えていた。

 

明るさと陽気な気分は失わないように心がけつつ。

 

一番最初に下った時は、帰りの足とした市民バス遠山郷線のバス停通過時間が迫り、ここをヒーヒー言いながら走ったなぁ(苦笑)

 

あの時は、沢には巨大な砂防堰堤(表面は木張りだに!)があったけれど、あまり眺めている余裕なく、

 

くねくねと曲り降りていく道に、「あの先にショートカットできんか」と焦っていた思い出がふつふつと。

 

なお、越えていくまでガイドできるなら、この先にネタ。

 

一見何のこともない橋と県道だけれども、驚きの秘密がここに。

 

 

下りきった上村自治振興センターは、かつての門村(今の上村)の中心地である「上町」にある。

そこに建てられた案内地図を眺める。

 

現在地(赤色の地点)から見ると

 

ゴールの和田宿まではまだまだ先だなぁ…(焦)。

 

ここで尽きかけていた水を補水し、再び歩き出す。

 

趣きある看板にココロ和む。

 

かつての宿場町だけあって、馬宿として使われていたであろう建物などが

 

軒を連ねている。

 

歴史を感じさせる

 

碑もいたる所に建てられている。

 

道沿いにある「清水屋」さんでは、ジンギスを食べられるので、次に越える旅をする時には予約の上で余裕を持って訪れて「焼きたい」。

 

かつての街道はこの橋を渡らず、遠山側の右岸沿いにあったらしいが、現在はその跡を見る事はできず。

 

橋を渡って国道に出て、小学校の横を南下していく。

 

三遠南信自動車道になる部分であり、道幅も広く行き交う車の速度も速い。

対して衣食住の装備を背にゆっくり歩む自分は、とても遅い。

 

だが、現代においてはこの「遅さ」が贅沢とも。

古道歩きが好きな自分にとって、現代の「早く快適」な道は硬いし暑いし単調で辛かった。

木々も無く、生き物の痕跡もない。

 

幸い、道と遠山川との間に拡がる水田の

 

伊那谷側とはまた違う稲作の様子(はざかけの高さ!)を観察できる事で、気を紛らわす。

 

橋を渡る事で、ようやく古道へと戻る。

 

あの先の道が…

 

本来の秋葉街道。

 

交差点からすこし北側に戻った場所に

それを示す看板と案内。

 

生活のそばに信仰があった事が判る

 

一番右の注連縄が張られたものが秋葉様と金毘羅様を祀った石碑。

並んで記されているのは飯田下伊那で多くみられる。

 

右岸沿いの道を行く

右側の斜面は、かなり削られている所を見ると、元の秋葉街道はもっと川沿いだったのかもしれない。

 

L字の木は一体何かと近づいてみれば…

桐の木でした。随分と腐朽菌が回ってきていたけれど、僅かに残る周囲の樹皮の形成層で何とか生き残っている。

倒れるまで生き続ける樹木のタフさを感じます。

 

お茶を栽培しつつも、この獣害ネットの様子から御苦労はされていることとか、

 

 

面白い形状のツリフネソウが生える場所は、少し湿った場所であり、上部の斜面から湧水があるのだろうなとか。

 

道沿いに点々とあるピンクのテープから、国土調査による公図(地番図)の作成が続いているのだろうなとか、

 

梅の徒長枝の様子から、どのくらい手が入っていないのかな?とか。

 

 

あの菊の御紋の入った石碑は、碑でなく墓石、しかも木地師のものかもしれんな とか。

下りの道から変化した足への負担と疲れも感じつつも、眼に入るモノから様々な考察。

 

でも

なんで下っていく地形の訳なのに、登らにゃならんのだと毒づいてみたり(苦笑)

 

それでも、人家が近づくと なんだか嬉しくなって、疲れが少し和らいで

 

なるほど、ここに出るのか&元の街道かと、納得できました。

 

そしてこの先で思わぬ出会い

何とカリバチによるハンティングに遭遇。

 

哀れアシダカグモ… カリバチによる神経へ針の一撃で麻痺。

生きたまま巣穴へと運び込まれ、産み付けられた卵から孵った幼虫の餌となる…。

 

書物で読んでその生態は知っていましたが、屋外で本物を、しかもこの踏査の最中に見られるとは。

独り興奮しました。

 

 

 

 

そして

 

十王堂の案内看板に。

この上にある十王堂と祀られた十王像の由来に

 

集落と国道とを繋ぐ橋が「ローゼ橋」という形式である解説があります。

もうこの形式の橋梁は、飯田ではこの遠山郷沿いにしか残ってないので「土木遺産」でもあるなと。

 

旧街道であることを充分認識できる

 

家々が並んでいます。

 

今の国道は早くて快適だけれども、それは単にショートカット。急ぐ事でこうした魅力ある場所や景色を知らずに通り過ぎていく。

道とは、人々の暮らす場所を繋ぐ存在であるはずなのに、誰と誰を繋ぐ目的のためなのか?良く考える必要があるのでは?

 

道沿いの家々は古くからあるお宅が多いのか

 

植えられた木々も歴史を感じるものがあった(写真はクリの古木…確か)

 

この田園風景の中を、家々を繋いでいたのが本来の街道。

ヒトの暮らしの息吹を感じられるが

 

トンネルと橋ばかりの道は無機質。

 

曲がった先にて再び国道に合流し

梨元を過ぎて

 

その先の木沢を目指す。

 

正直申しますと、この時点でかなり疲労困憊

木沢の集落に入った時点でもう自力での踏査は断念しようかと。

 

霜月祭りで有名な木沢正八幡神社にて

 

ここまでの旅のお礼をして

 

旅の思い出のお土産にと、落ちていたムクロジの実を拾って終了!

 

と考えたものの、一息入れて再考。

 

「せっかく八幡町から歩いてここまで来たというに、ここから和田までバスに乗ってちゃあ、自らの足で踏査するという当初の目的が失われてしまう。またここから歩く事はできるけれど、やはり続けて歩かれる機会が今後の人生において何回あるのか?」

 

よっし!あとひと山、越えて和田宿へと行く! と決意した、遅れに遅れた15時過ぎ。

 

続く(それでも次回で和田宿へと着くに)