連日の猛暑にぐったりですが、長野県より拝命している巡視で訪れる大平県有林は標高1000mを超える場所ゆえ

にまだまだすごしやすい。
また、巡視3路線の中でも比較的高低差が少なく、歩きやすい。

 


県道飯田南木曽線を歩き、盆小屋の大カツラのある場所から歩道へと分け入る

このカツラは巨木で、近寄ると判るが、根本から枝分かれをしている。
また、かつて大平宿に人々が暮らしていたころは、根本に神様が祀られており、

その記録もあるし実際に朽ちてしまった祠も残っている。
この木は信仰の対象となっていただけあって神々しく、いつもこの経路を巡視する際と

その年最初と最後にはそれぞれお参りを欠かさない。
今回も巡視時における安全を祈願。御神酒を捧げてきました。



歩きなれた巡視路ですが、急な場所では息も上がりつらい。

 


だがこの経路ではこの坂を登りきると…


根元で枝分かれしたミズナラが並び、その後様々な木々が茂る緩やかな場所に出る。

 

林床は笹に覆われてはいるが、先述のミズナラのほかにもモミやツガ、ヒノキにダケカンバなど

針葉樹と広葉樹がうまく混在した森が広がっている。

 


だがその植生はずっと続かない。

 

 

その先には、この歩道を境に植生が大きく異なる場所がある。

左がヒノキの人工林
右が様々な広葉樹の天然生林


左は林内へ降り注ぐ日差しは少なく、暗めだが

 

 


右は燦々と降り注ぐ日差しを感じ、とても明るい。



「どちらを好むか」と言われれば、やはり陽が差す広葉樹林と答えたくなる
おそらく動植物ほとんどがそうであろう。

そもそも、単一の樹種ばかりある森自体が自然界の中では異質であり、自然の中でヒノキばかりが生える場所も本来はない。
人間が管理しやすいよう、無理に構築した場所であり、やはりどことなく違和感を感じる。


笹が迫る歩道を歩き、折り返し地点から戻る。

 


以前ここはツキノワグマのヒリタテの糞や、確証はないが足音を聞いた事があり「おっかなびっくり」の場所。



植えられたカラマツがあるが、その一本一本は…
収穫するために植えられた筈だが、現実には伐採してもどう運び出すのか…



下りながら木々の様子を見る。

ここは一度皆伐された過去の痕跡が残り、植生にもそれを推察できる場所もある。

 


部分的にダケカンバばかり生えている場所があるが、そこに面した歩道には黒い炭の破片を確認する事ができる。


これは推察だが、伐採した木々のうち太い部分は丸太として持ち出したものの、

残った枝はこの場で燃やした跡であろうと思われた。
また、ダケカンバは山火事の跡や森林の土壌が撹乱された場所に生えると聞く。
おそらくこの木々が芽生えたころは木々は全て切られ、残った枝も焼かれるなどした場所となり、

切られた木々の株も焦げ、萌芽よりも、ダケカンバの芽生えが多く勝った結果でこのような植生になっていると思われた。

また植えられたカラマツも受難。
この辺りもツキノワグマの生息域であるが、ツキノワグマの生態に皮剥ぎというのがある。
これは主にヒノキの樹皮がツキノワグマによって剥がされ、形成層を下あごの歯で傷つけるものだが、

 


カラマツにもその被害の痕跡が残っている。カラマツはこの傷をいやそうと樹液を出し、少しづつ覆わんとしていますが…

 


その速度に対し、露わになった部分への昆虫の侵入や、腐朽菌の速度のほうが早そうなので、

いずれその部分が朽ち、上部の幹や枝を支えきれずに倒れるかと。

人間が思うように管理しようなんて、そもそも…

 


なお今回も夏のキノコ発見。

 

ビロード状の細かな毛に覆われた褐色のキノコでしたが、

 

何者かに喰われた跡あり。

 


さて誰の仕業か…それに何故この程度食べて止めたのか気になる。


またミズナラの柔らかい樹皮の特徴なのか、他の木々を巻き込む様子も判る。

(左 ヒノキ 、 右 ミズナラ)

別に枯らしてしまう目的なのではなかろうが、覆われようとする樹木にとってはどんなものなのか…




今回も無事に戻って来られ、県道飯田南木曽線に降り立てた。

 

 


その道沿いにある地名に「博打小屋」とある。
おそらくそんな小屋があった事が由来なのだろうが、その解説に「昔、山が動いたそうです」とあった。


地滑りだろうが、そんな災害のあった場所だからこそ、人は住まず博打小屋ができたのやも知れない。

 

もっとこの大平の歴史についても学び、この森にも往時の痕跡を探したい。