何でも初めてというのは、緊張するものです。

森林インストラクターになり、様々な催しや試みに参加させて頂いてきましたが、今回初めての催しを企画。

 

飯田市龍江の東照寺さんでここ数年開催されている、「クラフトまつり」に併せて、近隣の里山を巡るという

「自然を感じるネイチャーハイク ~昔の道で里山をあるいてみよう~」。

 

スタッフったって自分のみ。よって出来る事は知れている。

案内できる人数も、どう多くても10名が限度。

それも全員と言葉を交わすにはまだ多いくらい。

 

様々な迷いや不安、体調不良もあり、実際に実行しようと踏み切れたのは開催2日前…

 

本当はそんな短い期間での周知は反則。

やっちゃいけない。

 

おそらく 誰も… と思いつつも、「まずは一歩 始める」

 

「クラフトまつり」の主催者である住職に挨拶をし、山門からでようとすると…

 

嬉しい事に、お一人参加者が。

生涯忘れる事はないでしょう。

感謝の気持ちを胸に、下見していたコースを歩く。

 

保寿寺の境内は花盛り。

南山檜とよばれる巨木も眺め

 

有名なシャクナゲもちらりと

 

保寿寺を後に里山を目指します

水路沿いの道に沿った山際には、萌芽が旺盛で何度も伐られた跡が残る広葉樹がちらほら。

元は広葉樹が生い茂った場所であったこの場所も、戦後の拡大造林によって、ヒノキに植え替えられましたが、

何度も萌芽して再生する広葉樹はその旺盛な生長から、崩れやすい法面などには残されたものも。

 

今は使われなくなった昔の道を歩きながら、現在の里山の現状についても説明。

竹についても次々と現れるタケノコを見ながら、人が常に管理し続ける必要について。

 

 

原ノ平城の跡では、この辺りでは珍しくなった「フモトミズナラ」(ナラガシワ)の巨木。

また、謎多きこの城の城主や成り立ちについて、引用した資料と推察した根拠について。

 

城に面した棚田が「御殿田」という小字であったり、その脇に平安時代の窯跡があった事実。

 

すっかり忘れ去られているけれど、天竜川から離れた標高の高き丘陵地でありながら、天竜川を渡る船渡と遠山郷や遠州と繋がる秋葉街道を結ぶ道に面していたこと。

 

もしかすると、この今田(龍江)を最初に支配した豪族が、最も早く館を築いたのがここだったのやも。

 

そんな歴史ロマンも話しながら、下りの道へ

広葉樹が多い場所にあっても

 

 

ちらほらとある人工林

 

ですが、よく見ると畑の跡であったり、水田のためのため池も。

 

里山もずっと同じ歴史を経てきたのではなく、人の都合によって改変されてきたことが解る場所。

 

 

この道も、今はすっかり木々に覆われてはいますが

 

今回持参した江戸時代(1800年頃)の絵図のこの場所は木々が無い「草地」。

肥料がない頃には、耕作するために草を刈りそれを畑に漉きこんだ「刈敷」も行われていたのが里山でもありました。

 

この斜面はこうして長い間、木々は生えず、肥料が普及した戦前から戦後には先駆種のアカマツが生えてましたが、今はすっかり枯れて様々な広葉樹が覆っています。

 

様々な木々がありますが、人間は「自分の都合や利益になるかならないか」で排除しようとする存在。

有用な木々の生長に支障あるなら除こうとするものの…

この世に不要なものがある筈はなく、生きとし生けるもの全てに何らかの役割があるのです。

「その生態を知り、うまく共存していくこと」

それが必要なのです。

 

 

 

人は今見ている景色がずっと続いてきたと思い込みがちですが、全然そんな事は無く

今、山々に木々が覆う光景というのは、もしかすると「ん百年ぶり」なのかもしれない。

 

そしてその前は?

この場所であっても、見た事もないような巨大な木々が覆う原生林だったのかも。

妄想は尽きず。

 

自然の地形を生かした兎城

 

深く掘られた掘

 

天竜川とイタチヶ沢に面した尾根を削って作られた郭(くるわ)

 

高さと長い法面からは、その堅牢さを今も。

 

 

 

絵図に残された道を辿って集落を抜けていきます。

 

 

この龍江にはまだまだ往時の雰囲気を残す道が残り、その道標も。

「右 南原  左 船渡」

 

 

ゴールしたのは予定よりも40分遅れて。(反省)

 

「お代はいりません ただしクラフトまつりに寄って」というのが、この催し。

参加された方も、自分も地元の「春日二八会」の皆さんが手打ちされたお蕎麦をいただく。

 

今後もこのコースを定期的に歩きたいし、

他の地域においても同じテーマで歩かれる場所は沢山ある。

 

ただ、「自然は大切だ」 「希少植物を…」だけでは多くの人には身近な自然の素晴らしさが伝わりにくい。そこに暮らしてきた人々の営みと歴史、それ以前の太古の昔の地形や地質なんかも交えたら

 

どんな場所でも、自然や歴史などについて楽しく学べて実感できる場所になりうる。

 

専門家である必要はなく、あくまで「きっかけ」を与える機会を提供しつづけられたら。