すっかり不定期かつ、記しても週末の記録となり
日記と記しているのもおこがましいのですが…
ともあれ、新たな年度を迎えました。
小雨の降る寒々とした朝ですが、起きて早々
タガを握りしめ、薪置き場へ。
乾燥させた「アカマツ」の薪をタガに詰めます。
これがパズル感覚で楽しい 始めるとついついあるだけやっちゃう。
既にタガ詰めされてた薪束に加えて
こいだけ新たにタガ詰めした薪束を用意。
空いたとこへはまた薪を置ける(嬉)
そんな薪束を愛車ハイラックスの荷台に積載
物々交換のため、とある場所へと向かいます。
着いたのは上伊那。
しかもここ、雪積もってた(汗)
交換するのはこのぶっとい アカマツの丸太群
もっとも、全てでなく これと思う物のみ数本。
乗っけてもらいました。
彼の力はたいしたもん この規格のまだ半乾きの丸太の重さってものすごく重いのに
身体の力というか、動きを上手く使ってました。
室内にてお茶を頂きながら、頼んでおいたモノを購入。
かまど仕様のやかんです。
外作業における焚火にガンガン直火でかけられ、真っ黒になってもイイやかんのリクエストに応えてくれました。
我が家にも既にありましたが、探し出してくれた気持ちにも感謝して購入。
色々と話をしつつ、この本も手に取る。
自分が目指すのは「半農半X」というよりは
「半農半山」 ううん 違う
やはり どちらも生きる上で生活の中に取り入れ、技術を繋いでこられた
「お百姓さん」
だな。
何処の記事か忘れたが、残念なモノを見た
飯田市を訪れたインパウンドのイギリスの学生らを受け入れた農家の話だと思ったが、
「この時期は農家はする事がなくて、体験は…」とのコメントだか、記者の記述。
え゛っ
ほんとに?!
この事からも、現代の農家ってのが完全に「農作物のみで生計をたてる」事に終始してしまっていることに改めて気づかされる。
すいませんが、周囲の里山は今(もう遅いけれど)することだらけ なんですが…
いかに里山がある場所ですら、山の活かしかたというか得られる恵みについて解らなくなり、そして恵みを恵みと思わず、「面倒なモノ」=「手間がかかって儲からないモノ」と捉えているか…
哀しくて悔しくて涙が出てきた。
これだけ人間に多くの恩恵をもたらし育んでくれている山々を、何だと思っているのか…
そもそも、そんな思いすら無いのが現代社会なのかもしれない。
そんな現代に 一石を投じるというか、
岩ぐらいの規模でなくとも、漬物石ぐらいを放り込み、さざ波を立てたいのがこの
森林インストラクターなのだ。
まず身近にやって見せる。
今日はそんな想いもあって、恵みの一つでもある薪をお届け。
暮らしに欠かせぬ燃料として、木々を使う事。
そこに多くの学びがあります。
今は薪ストーブが主流なのですが、
「木を無駄なく使い切る」
という、木という生き物の尊厳と、その命を使うというありがたみを最も感じられるのが
「薪風呂」だと感じています。
薪風呂には、もちろん薪が必要ですが、薪だけでなく、細かい枝も、竹でも場合によっては剪定した庭木や果樹の枝でも何でも燃料とできます。
つまり捨てるとこなんてない。
身近に得られるという事は、
遠くまで薪を求めて車を走らせるエネルギーも
大木を伐る危険やそれに必要な機器の購入やメンテも少なくて済む。
だから、
薪ストーブで薪の良さや素晴らしさをしってもらったら、
是非続いて
「薪風呂」
この流れを何とか生み出したい。
だから今、していきたいのが、
「薪風呂を供えた小屋づくり」
身近にある枝などを燃やし、実際に沸かしたお風呂に入ってその良さを実感してもらう。
農家民泊を受け入れているところにも是非。
おのずと薪が必要になれば、「冬場することない」なんて無くなる。
果樹農家であれば、剪定枝をそのまま燃料にできるし、
身近に里山があれば、そこから半永久的に再生する広葉樹の木々が得られる。
こうした燃料収集が冬場の作業になりうる。
便利は時間を生んだかもしれないけれど
その生み出した時間はどうなったのか?
さらに何かに振り回されるだけになっていないか?
時間をかけて自ら動き、感じた経験は、便利さには替えられぬ「喜び」を生む。
そんな喜びがあるのが、この場所。
多くの人に体感してもらい、自らの生き方について考えてもらう機会と場所を生み出す。
今年度はそれを始めます。