おひさしぶりでございます。年度末のため、パソコンも携帯でのブログチェックも、ましてや昨日のスワローズの開幕戦すら観られぬ日々が続いておりました。


溜まった更新を立て続けに行います。





飯田お練まつりが始まっている今日、冷え込んだ朝でした。たぬきは久々に酷い二日酔いで午前中はまったく起き上がれず。


午後に入っても二日酔いは良くなるどころか悪化。しかし無理やりハビリ。向かったのは


ひら衛門のぽんぼこ日記

龍江地区の北側にある城跡「兎城(とじょう)」です。自宅から自転車で約5分ほどの場所にありますが、来たのは何年ぶりか?


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入っていくと堀と巨大な土塁が目の前に現れます。文献をきちんと読み返さないといけませんが、確かこの城は「戦国時代にこの周辺で勢力を伸ばしていた知久氏の出城として築かれ、武田氏による知久氏の居城『神之峰城』の落城と同時にその役割を終えた」と記憶しています。


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天竜川とイタチヶ沢との合流点の突端に築かれており、三つの郭が確認できます。


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土塁も残っています。


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二つ目の郭からさらに先へ降りていくと‥


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三つ目の郭が現れます。広さもあり、それなりの人員を収容できたと思われます。


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眼下には天竜川が見下ろせます。


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さらに遺構などは無いかと歩いてみますが‥


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下を走る県道飯田富山佐久間線から見られるようにと設置された「兎城」の看板が残ってました。昔はよく見上げると確認できてたものですが、近頃見かけないなぁと思ってました。寄ってみると中央から折れてます。


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看板の裏からは対岸の下久堅や竜丘が良く見えます。また、この城が築かれた地形的な理由がよく判ります。


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看板の近くには巣箱?養蜂箱?が木に掛けられていました。


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そこからさらに斜面を下ります。もはや道らしきものはなく、笹をガサゴソ掻き分け下っていきます。かつて武田氏が侵攻してきたときにもこのように天竜川へ向かって落ち延びていったのでしょうか?




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と、少し下ると道らしきものが


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どうやら下を走る県道まで続いているようです。幅や形状から最近作られたもののようです。


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県道に降りて背後を見ると、古ぼけた標柱があり「兎城公園登口」と読み取れました。


落城時には当然道は無かったでしょうから、ここまで降るのはさぞかし大変だったでしょう。ここからさらに天竜川沿いに隠れながら逃げ延びたのでしょうか?


落ち武者の悲哀を感じたぬきです。