つづきです。


えーと、そう
母のようになりたくなかった私。

それはそのまま父そっくりだった。



と気づいたところで終わってましたね。

この話を書くのはすごく消耗します。

奥底から引っ張り出して書いているので、正直しんどいです^^;


私は、母に求めるのを諦め悲しみに蓋をしました。

それで思ったのですが、兄を亡くし、そのことを一言も話さない父と母も
やはり大きな悲しみに蓋をして生きていたのだと思います。

自分の子を亡くす。
それがどれほどの悲しみか。
交通事故という話がもし本当なら、
相手に対する怒りや憎しみがどんなにあるか。

親子で同じ課題を抱えていたんですね。
それは、今だから言えることですけれど。


私自身親となった今なら、その悲しみや怒りを少しは理解できます。
想像するのと、実際体験するのとでは
大きな隔たりがあるでしょう。
だから、少し。


怒りや悲しみを表現することに罪悪感を感じていて、出さないように生きていた私。

それ以外にも
『これが欲しい』
『こうしたい』
『これはイヤ』
とにかく、自分のそんな思いを表現できない人間になっていました。

思いを表現すること、そのものに罪悪感を感じていたと思います。

もう、それは私に染み付いて、簡単には取れませんでした。

だって、その生き方が正しいと信じていたから。
思ったことを口にすると、相手を不機嫌にさせる、傷つける、怒らせるという思い込み。

幼い私と母とのやり取りの中で、固く固く出来上がった思い込みでした。

社会人になってからも、それは続きました。

それともう一つ。
幼い頃から父と母に言われ続けた言葉があります。

『人に迷惑をかけるな』

幼い頃から、ことあるごとに言われました。
私は素直にその言葉を受け取り、心に刻みました。

人に迷惑をかけてはいけない

その言葉をいつしか

人に頼ってはいけない

と、自分の中で変換していました。

人に頼る=迷惑をかける

これもまた、私の中に出来上がった思い込みです。

人に頼ることはいけないこと
そんなことをしたら嫌われる
だから、私一人で頑張らなくちゃ
やらなくちゃ

これは、特に仕事をする上でこの思いを発動させていました。
あぁ、子育てでもそうでしたね。
一人で抱えようとしてたなぁ。
子育ては唯一夫には頼っていました。

仕事では、明らかに一人でできない状況でも
『できます』
と、頑張り、自分を犠牲にして無理を重ねました。

そしてなぜか、上司に気に入られ
店長になり
エリアリーダーになり
全店舗を統括するリーダーへと
立場がどんどん上がっていきました

リーダーとは、誰よりも1番仕事をする人
すべてを背負う人

という、これまた苦しいリーダー像を持っていたので、
『できません』
『こうして欲しい』
と上司や会社に対して言うことが出来ませんでした。

そう、ここでも思いを表現できなかった。

今思えば、そんな中でよく仕事してたなぁ、と思います・・・。

統括リーダーとなり、通勤に時間がかかりましたが頑張りました。 

1年くらいやってたかな。

朝は7時に家をでて、夜10時に帰る。
服のままリビングで寝てしまうことも多かった。

そんな生活も限界が来たので、会社の近くに部屋を借りて、
一人暮らししたいと思い母に話しました。

このときは母もあっさりOKでした。
『お父さんがいいって言ったらいいよ』と。
その日の夜に父に話し、家を出ることに。

その頃、私はすでに夫と付き合っていたので、
夫とその友人に引っ越しを手伝ってもらい、
会社の近くに引っ越ししました。

通勤が楽になり、何より母に気を使わない生活。

引っ越してから実家にはほとんど帰りませんでした。
電話も私からはしなかったと思います。


一人暮らしから半年後。
夫との結婚が決まりました。

夫の家族は親族を含め、とにかく言いたいこと、思ったことをそのまま表現する人たちばかりでした。

そして、
『りえちゃんはどう思う?』
とよく聞かれました。

正直苦手でした。
言いたいことを言われることも、
私の意見を聞かれることも、
どちらも苦しかった。

 
そんな幼い頃から大人になってからも築き上げてきた思い込みや価値観が崩れだしたのは、
病気になってからでした。
37才でやっと。

心や生き方と病気の関係

本や人から話をきいたりするうちに、これまでの私が信じていたことが何だったのかと
目からウロコでした。

人に頼ってもいい
怒ってもいい
愚痴言ってもいい
イヤだっていってもいい
嫌われてもいい
悲しいって言ってもいい
出来ないって言ってもいい
助けてって言ってもいい
迷惑かけてもいい

もう、とにかくたくさんたくさん

思うことすらだめだと
自分に禁止していたことが崩れ始めて、
と同時にどんどん心が楽になっていくのが分かりました。

『母のようになりたくない』

と思っていたけど、母が私に見せた怒りを、私も同じように表現してもいい。

母のようになってもいい。そう自分に許可が出せた感じ。

少しずつ、思えるようになってきました。
(まだ、表現するのは抵抗ありです💦)

そして、
『自分の感情』を蓋をせず感じることができるようになってきました。

母が許せなくて、嫌いで
でも・・・やっぱり母のことを求めていました。
私の願うような
穏やかで優しい母を求めていました。
ただ、私が求める愛情表現でなかっただけで、
母は母なりに愛情表現をしていたのかもしれません。
そう、求める方と与える方でズレがあっただけ。

私が母に求めていたのは、

私の話を聞いて欲しかった
分かって欲しかった
怒られて悲しかった
母が怖かった

母がそばにいなくて寂しかった

そうだ。私、寂しかったんだ。
(わー、涙が💦)

まともに話ができなくて
よく怒られて
そばにいてくれない

母から愛してもらえていないような気がして
私、悲しくて寂しかったんだ。

本当は、この思いを母本人に伝えられたらいいんだろうけど・・・できるかな〜?


今は、この自分の思いを私自分が受け止めます。

寂しかったね。
悲しかったね。



そういえば・・・母の話、私の抱えていた思い込みを何年か前に夫にはすべて語ったことがありました。

黙って長い話を聞いてくれました。

そして何より私の抱えていたものに驚いていました。
夫に話すのも勇気が要りました。
最後まで聞いてくれて、救われた思いでした。

『もっと人に頼っていいんだよ』
『迷惑なんて誰も思わないよ』

最後まで話を聞いてくれた後で
静かに言ってくれました。

まだまだ自分の思いを表現するのは、抵抗を感じますが、
夫には意識して表現するようにしました。

今では夫には、自然にそのまま表現できるようになりました。


自分の中で怒りも悲しみも、どんな感情でも悪者にせず、湧いてくるまま、身を任せています。

本当に少しずつ、少しずつの亀の歩みだけれど、
何年か前の私も比べたら確実に前に進んでる。

37年間積み上げてきた私。

今、それを崩す作業を続けています。
それが崩れ切ったら何が出てくるのかな?

まだ、時間がかかりそうですが
楽しみでもあり、何が出てくるのか怖くもあり(笑)


先日息子に対して思っていると書いた言葉、

喜怒哀楽を存分に味わって、
幸せだな!って思える人になってもらえたら最高!


もう、これは自身への言葉だよね(笑)
『人に言っていることは・・』です。


なんだか、最後うまくまとめられませんが。

母のとの間には、まだまだ書ききれていないいろんなことがありました。

でも、そこにもうとらわれず、自分の人生を自分の生き方で生きたい。

感情は命。感情を殺すことは自分を殺すこと。

感情は私そのもの。
そう思うのです。

私は私の命を大切に生きていきたい。